毒親よ、さようなら、どうぞお元気で!(最期の手紙・全文)

毒親よ、さようなら、どうぞお元気で!(最期の手紙・全文)

最期に一通、毒親へ手紙を送ることにした

絶縁を決めたのは私、夫の洗脳じゃないよ♪

絶縁通知書(全文)

毒親と親族へ、絶縁状を送った反応(約2ヶ月後)

最期の手紙(全文)

先月は突然絶縁状をお送りしたにも関わらず、皆様お受け取り下さり誠にありがとうございました。

驚かせてしまいましたこと重ね重ねお詫び申し上げます。

実は絶縁状は着信拒否を全て解除してから投函しました。それは、一方的に私の意見を送りつけて反論の機会を遮断したままではフェアでは無いと考えたからです。(2022.03.03)

父母に関しましては、2017年から2022年04月30日現在まで、私への連絡は一度もありませんし、対面しておりません。(※固定電話は着信拒否はしておらず、先月まで開通しておりました)

一部の方に、母が「送付文書に書いてあること全てその通りで、全て私が悪い。土下座して謝ったけど、mochiは許してくれなかった」と謝罪の電話をしたそうですが、

私は一度も「土下座」されたことがありませんし、謝られた事自体そもそも一度もありませんので、訂正させていただきたく存じます。

土下座の話を聞いた時、真っ先に浮かんだ疑問は、もし「母が私に土下座をした」と仮定した場合、いつ(時期)、どこで(場所)、何(性暴力?父母の言葉?)に対し、土下座をしたのだろう?でした。

そもそも性暴力に関して、兄に問いただした事が有るのか無いのか、それすら知らされていない私に対し、

一体母はどのタイミングで、どこの場所で私に「謝罪しよう」と思ったのか、ましてや土下座をしただなんて、全く身に覚えがなくびっくりしました。

なぜ母の口から「土下座をしてまで謝ったけど、mochiは許してくれなかった」という虚言が出るのかは理解不能な案件ですが、事は「性犯罪」です。

父母兄へ添付した「暴力被害報告書」を警察署に提出したのち、警察から事件「内容」について折り返しの電話が数回ありました。

ある警察の方は「悔しい(時効)、良く死を選ばず生きのびてくれた」と、他人である私の心を心配し怒りを滲ませ泣いてくれました。

「それほど」のことが、兄と私の間にありました。そして同じ内容の文書は父母兄へ渡してあります。

他人である警察の方と、血縁である両親の温度差、正直、土下座で何かが変わる様な事案ではないと思います。

家族間の話し合いで済めば一番良かったのでしょうが、父母から話合いの機会を提案されたことは一度もなく、かといって性被害について積極的に私側から話したい内容でも無く、何事もなかったかの様に時を過ごす以外、私には出来ませんでした。

記憶の蓋が開いた〇〇歳、希少がん告知が〇〇歳、兄と再会の強要が〇〇歳、

兄は私をエアガンで撃ってはゲラゲラ笑い、自室に隠し持っていたナイフで私を脅し、何度も殺される恐怖を味わいました。

今も先端恐怖症は治らず、包丁を握っていて突然フラッシュバックし吐いてしまう事が続く日常で、それほどに性被害の痕跡はしつこく消えません。

でもこの恐怖は誰かが取り除いてくれるわけではなく、私が慣れていかなくては仕方のない、途方に暮れ眠れぬ夜も、延々と堪え生活しています。

日常生活にふと顔を出す「性暴力」の過去、当然なかった事になど出来ず、ましてや水に流し、血を分けたたった一人の兄妹だ仲良くしろ、などと「私だけ」に強要されても困ります。

性被害は、心を殺しました。

それを無かった事、有ったとしても大した事ではない、どうせmochiが大袈裟に言っただけ、そんな扱いの父母の態度は、追い討ちをかけ私の魂を壊しました。

5年前、兄が帰ってきていると母から電話で告げられた時の「恐怖」。そして今回父がこっそり心療内科に連絡を取った事は、「再び兄の件」に触れられ、「無かった事と」念押しされるかもしれない、再び心を殺される恐怖心を呼ぶだけでした。

その事を今回「暴力被害報告書」にも切々と訴えましたが、相変わらず父母からは、謝罪以前に先ず連絡自体ありません。

ちなみに私の携帯番号は5年前に着信拒否をしておりましたが、何かあれば「夫の会社」に連絡を、と夫より伝えており、実際2回ほど掛かってきて、夫が対応している事実があります。全ての連絡を遮断しておりません。

また、家の固定電話は着歴が残り携帯番号に着信履歴が送られる仕様ですが、2017年の絶縁後、一度も着信歴はありません。

2022年4月12日は、希少がん告知から丸10年が経ちました。

その日は父の誕生日でもあり、今年は松一長女さんを実家にお呼びし、お祝いをしたそうです。

私は、家族としっぽりお祝いしました。

性暴力の記憶が蓋を開いてから14年、相変わらず父母兄は「私の話を取り合わず」、今回も、私への連絡よりも先に「親族への火消し」を選んだ事、実に母らしいなと思います。

約半世紀生きました、希少がんと、性暴力のやりきれない悔しさを抱え、これからもきっと人生は続くのだと、続いたら嬉しいなと思っています。

[父母へ]

私は、私がどんなひどい事をされたのか、心身は大丈夫か、と私の心に寄り添って欲しかった。私の痛みを知ろうと、そして守ろうと思って欲しかった。だから「昔からくだらない嘘をつく」という言葉が、どれほどの絶望だったか、その言葉の重さと私の痛みを理解して欲しかった。父母が言っていた「我が子を命に変えても守るのが親だ」という言葉が今もしんどくのしかかります。

[兄へ]

あなたは「覚えてない」とヘラヘラ笑いながら私に答えました。肉体を殺し、心を殺し、魂までも最後にぶっ壊した最低な暴力を、今もなお過去の記憶に苦しむ数年にわたる「性暴力」を、本気で忘れているのだとしたらあなたの精神は病気なのでしょう。(時勢柄届くか分からないので兄に送りません。内容を伝えるか判断は父母に委ねます)

[皆様へ]

父母兄に何かを訴えても、事実は常に「母の都合の良い様に」捻じ曲げられる事を、何度も何度も身に染みていたから、私亡き後、夫が責められぬ様ブログをデジタル遺言(終活)として2年前から開設していました。

本当は最後に一通、父母宛に「ありがとう、傷付けてごめんね、さようならと、幸せを願う手紙」を手書きでしたため、発送する準備しておりました。

でも今回の母の対応を知り、やはり父母は「私の心身」ではなく「火消し」が優先で、私の気持ちは一生届かないことの理解を深める結果で終わりました。

ですので「この手紙」で最期といたします。

幼い時一緒に遊んだいとこちゃんたち、おばちゃんたち、楽しかった思い出をありがとうございました。

父母にも、感謝の気持ちはもちろんあります。私に教養を身につけてくれたおかげで、知識が今も私を救ってくれています。

人生の「まさか」は、本当にまさかのタイミングで起こります。私だと希少がん、自分の身に降りかかるとは夢にも思いませんでした。

皆様もどうぞお体に気をつけてお過ごしください。

わたしもきっとどこかでニコニコ暮らしていると思います。

ご迷惑とご心配と波風を立ててしまい大変申し訳ありませんでした。再びはございませんので、どうぞご安心くださいませ。

笑顔溢れる日々が、幸せが、皆様に沢山降り注ぎますよう、そして私から沢山のありがとうが皆様へ届くことを願って終わりにしたく存じます。

ありがとうございました

さようなら

お元気で!

2022.04.30

毒親育ちmochi

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