だんだん追い詰められる私の心

だんだん追い詰められる私の心

引っ越し、追い詰められていく家庭

知り合いが1人もいない見知らぬ土地へ引越した。(※父母は2度目※兄と私は初めての引越し※)

新しい環境に慣れるべく、各々が自分のフィールドでもがき頑張っていた。

環境の変化に家族全員が四苦八苦

結婚当初、母は父の実家に同居し兄を育てていた。

父の転勤が決まった先は、父母共に生まれ育った土地から遠く離れた知り合いのいない新たな場所だった。そこで乳幼児(兄私)を育て、兄が幼稚園へ通いだんだん人の輪が広がってきていた頃、その場所からも相当遠い場所に引っ越した。

父母が二人で戸建て購入を決めたのだが、その選択は、またもや知り合いの全くいない場所で、ゼロから人間関係を作り上げることを意味していた。

私も環境に溶け込むのに必死だった

母は「品格」を追求する人だから、PTAが不安と判断するような番組は論外。それでもテレビは1日1番組と決められていた。(※兄と被る日は0番組なこともあった)

だから流行りのアニメソングを知らない事もまぁまぁあって「今月の帰りの歌」を、知ってるような顔で歌うふりをしていたけど、当然番組の会話に入れなくて、お友達になる「とっかかり」のストックを持ち合わせて無かった。

そして毎日発表会に出られそうな、フリルやリボンやレースなどの装いが、学校の中で「浮いて」いた。

みんなが着ている「普通」の洋服を着て学校に行くことは、母の「地雷」だったので、からかわれるのが辛かったが、砂を噛む思いで、服の袖を通していた。

(※この頃の苦い経験はお子との関わりに活きました♪)

せっかくお友達ができたのに

母は放課後遊びに行くことを嫌った。クラシックは音が出るから、夜に練習して欲しくないと。(※私ではなく母が習わせたかった習い事※)

お友達に「迎え」に来てもらえば遊びに行けるかも!と試みたが、友の目の前で「お前はサボること」を考えて「浅ましい」と、金切り声で怒鳴られ、掃除機の吸い取り部分で何度も殴られた。

お友達が怯え泣いて帰ってしまったほどの「激しい怒り」の感情の爆発。翌日からお友達がよそよそしくなり、そっと距離を置かれていった。

10歳にして、生きることに疑問を持ち始めた

母は「あなた将来のため」に「あなたを愛している」から「より良い人生」のために教育を行っている。だからあなたは親の言うことを黙って聞いていれば間違いない。

本当に困った時、助けてくれるのは友達でも親戚でもない「親」だけだ、と繰り返し繰り返し、言い聞かせた。

お友達とコロコロ笑ったり、

喧嘩したりしながら、宿題面倒なんだよねー、じゃあ一緒に片付けちゃおうよ、なんて「普通の放課後」は、叶わなかった私の小学校時代。

学校から帰ると、習い事の練習と、宿題と、別のドリルをする。

冬は日が暮れる前に洗濯物を「自主的」にしまい畳む。雨戸を「自主的」に閉める。お米を「自主的」に研ぐ。

これらをこなしても、母が怒ることは止まず、暴力はすでに日常化していた。

10歳にして「生きる」ことに意味を見出せなくなり、疲れ始めてきていた。

学校も居場所があるのかないのかあやふやな状態。

本当に困っていても、助けてくれそうにない「父母」。

部屋に入ったら出てこなく、リビングで顔をあわせると無言で睨みつけてくる兄。

追い詰められたある日

家でも学校でも、緊張し張り詰めて生活していた。

ふと、私がこの世から消えたら「お母さん困って泣いてくれるかな」と思った。一度、一度だけね、縄跳びを鴨居にかけて、試そうとした日がある。遺書も書いた。でも、ほどけてあざを作るだけで終わってしまった。

その日からだんだん反抗する心が芽吹いた

次第に、私も叩かれたら親に掴みかかるようになった。恐怖心が上回って、攻撃されたら、反撃を開始しろ、と私の本能が訴える。

一度感情が爆発すると、親に対し「大声」で「わめき」「暴れ」そこらにあるものを手当たりしだい、投げつけた。

所詮、子どもである。すぐに押さえつけられる。でも反抗心は増していった。

母同様、私もまた家の中では、感情の押さえが効かなくなっていったのだ。

緊張を強いられる食卓

母は料理上手で、綺麗な「洋食器」に、レストランで出てくるような夕食を作る時があった。

しかし、ナイフフォークで不快な音を出したり、「手が込んだ」料理を提供しているのに、母の想像と違う感想を述べたりすると、途端に「泣き」「喚き」「母親なんていらなんでしょ」と始まってしまう。

母と兄と私しかいない3人の食卓で母が癇癪を起こすと、「いいかげんにしてくれ」と叫び壁を殴る兄、「喧嘩しないで」と泣く私。全くもって「だんらん」の気配など微塵もない、薄い氷の上にいるような危なっかしい、晩餐。

アンバランスになっていく心

学校では、ニコニコしていたと思う(多分)。家には、感情の抑制の効かなくなった母と兄と、そして私。不在がちな父の記憶は薄い。

徐々に私は、本の世界に「逃げる」ようになっていく。

漫画は許されていなかったが、本の種類に規制がないのは幸いだった。

本の世界にいるときは、家族との争いから心が一旦離れ、しばし何も考えずに没頭できた。

疲れた心を休めてバランスをとろうとしてのかな。

ふう、思い出すと思ってたよりハードモードだな。

親は子どもを選べない、逆もまたしかり。

でも、月並みだけれど、痛みを知っている分、少しは人の心を理解する幅は広がったかな。経験値アップ的な?

もし過去の痛みが、私の大切な人たちの気持ちの理解に、少しでも役立ってるのなら、まあ、それもまた「人生」ってやつなのかな?

by 毒親育ちmochi