幼子の清い心には毒親が何を言おうが敵わない

昔はよく父が孫を連れ出かけていた。
父は孫たちを何かと「食事」と「散歩」をセットで誘う、孫も喜んで出かける、実際楽しかったようだ。
母もこれを「喜んで」いた。私と二人で出かけられるから。
ドレスアップし母の知っている「洒落たレストラン」でランチをし、「話したい日々の不満」を思いの丈私に話せるから。
高価なランチをご馳走したのよ、私は優しい母でしょ?ねぇ娘、うれしいわよね?と言わんばかり食い気味に、会計後のレシートを見せ
「美味しかったわねぇ、さすが〇〇はサービスも味も確かだわ」とおっしゃられる。
そして私は、洒落たカフェで母へご馳走するのがルール。
母よ、確かにお料理は綺麗で
素晴らしくそしてサーブもさすがな店ばかりではあった。でもね、どちらかというと子供と公園で遊びたいのは、父ではなく「私」なの。
だって、可愛い盛りだよ?公園ではしゃぐ姿好きなんだよぅ。
母の愚痴や悪口を聞くキラキラしたお料理より、公園で食べるおにぎりで十分だった。しかも自分じゃ入らないお高いカフェでご馳走しなくてはいけない縛りは家計へも心へも負担だったの。
父は平日は出勤、
土日家にいると母と言い合い喧嘩になる。だから孫たちと「外へ」出かけたい。
母は私を独り占めしたかった。父もまた孫を独占したかった。両親にとっては、win-winだ。私の気持ちは「忖度」なし。
心配だったのは、父は子供たちから目を離してしまう事がある。そして家でお酒を飲むのを母が嫌うから、孫とのランチでビールをジョッキ3杯程度飲むこと子供から聞いた事。
だんだん私が不安になり、孫+私+両親で行動したい要求を伝えて、なるべく一緒に行動するようになった、心配だからね。
ある日、子供①の習い事の関係で
子供②を実家へ残した事があった。
連れて行く予定だったが、まだ幼いので退屈なのは理解できたし、子供②が両親の家で待っていたいと言ったし、両親も喜んでいたので、小さいから気をつけてねと母に告げ…
夕方知らぬ番号から私のガラケーに連絡が入った。救急隊員からだ。(デジャヴかな?)
子供②が公園の遊具の約3メートルの高さから落ち搬送されました、お母さん今すぐ〇〇病院へ来られますか?と。
私の了承を得ないまま。
父は子供②と少し遠い公園へ出かけていたと知り、家が見える距離まで帰ってきていたので、震える手で保険証と診察券を握りしめ病院へ向かった。
小児専門病院、紹介状がないと初診は受けられないところ。子供たち二人とも幼い時に先天性鼻涙管閉塞でお世話になっていた病院。
そこへ搬送されるほどの怪我、子供②の顔が浮かび最悪しか考えれられず、まるでドラマのように、受付で子供の名前を告げ、
看護師さんが「ちょうどCTを撮る前です。お子さん不安でしょうから行きましょう」と、子供②の元へ急いだ。
驚きで、声が出なかった。
ストレッチャーに横たわり、頭部の損傷の確認がとれるまでと、ウレタン素材とベルトで頭から爪先まで動かないよう固定され、まるで殴られたボクサーのような痣と止まらない口からの血。
小さな手を、痛いといけないので優しく包み込むしかできなかった。
子供②が「ママごめんなさい。子供②がけがしちゃって…」と今まで我慢していたが堪えきれなくなった、そんな風に痛々しい顔を歪めポロポロと泣くのだ。
たまらなかった。
「泣かないで。ひとりで寂しかったね、不安だったね。ママが来たからもう大丈夫だよ」言っている私が堪えきれなかった。
CT室を出たら憔悴した顔の父がいた。「すまない。本当に申し訳ない。ちょっと目を離した隙に高いところへ上がっていた」と。
そして救急隊員が言った。「救急車を要請してくれたお母さんがいました。その方の目撃だと、前歯を強く地面に打ち付けたそうです」と。
父は家に連れて帰ろうとしたのだそう、
父を止め、救急車を呼び、隊員が駆けつけてくれるまで付き添ってくれ、ご一緒だったママさんは売店で箱のティッシュを買い血を拭いてくれたそう。
これは救急車で運ぶべき怪我だと判断し、名乗らず去っていかれた、命の恩人。あの日、子供を思い救急車を呼んでくださり、助けていただき本当にありがとうございました。
診察の結果は、
大事には至らなかった。
骨に異常はないので帰っていただいて大丈夫ですよ、と医師から告げられた。
だが、子供②の上の歯茎がパックリ切れて骨が見え血が止まらないのだ。「この傷は治療していただけないのでしょうか?」
ここは小児の救急病院でもあります、今すぐ命に関わらない場合はそれ以上治療はしません。本日は日曜日ですから、明日月曜日に近くの歯医者で治療してもらってください。
こんなにも血が止まらないのに?
だが病院は治療をしないと言っているのだ。ここでごねてる時間が惜しい。
頭の中で日曜に空いている歯医者を思い巡らせた。タクシーに飛び乗り、車内で消防庁の夜間病院紹介に問い合わせたが、小児の歯茎を縫える先生が不在。
当時はガラケー、検索も思うようにいかない。思い当たる病院を巡ってもらったが、20時をすぎた、どこも開いていない。
子供②が空気を読んで
「大丈夫、血の味我慢できるよ」と、これまた心が張り裂けそうな健気な言葉を言う。
諦めないよ、大丈夫だから。そう伝えた矢先、シャッターを閉めかけている歯医者が目に入った。慌てて飛び込み、事情を告げる。
先生が「ラッキーだったね。今日は月に一度の大学病院で小児歯科医をしている女医さんが診察する日なんだ。僕よりベテランだよ、連れておいで」と。
閉めかけていたシャッターをあげてくれた。安堵、信じられない確率だ。
急いでタクシーに戻り、運転手さんにお礼を伝え、子供②を抱き歯医者へ戻った。
女医先生曰く、確かに明日でも問題のない傷、そして上の歯茎は薄いので縫っても裂ける可能性があるが、縫えれば治癒が早い。
そして子供②に、「夜寝るまで頑張ってお口動かさないようにできるかな?」と優しく問いかけ、縫ってくれた。
抜糸まで1週間、そう言われていたが若い生命力か、幸い裂けず、なんと3日で抜糸できた。
こんなに幼いのに、
怪我をして痛くて心細かっただろうに、泣くのを我慢し、最初に発した言葉が「ごめんなさい」だなんて、切なすぎる。
どうしたらこの清い心に応えることが出来るのか、その夜縫った子供の負担が少ないようおかゆを台所で泣きながら作った。
今でも、私の顔を見て堪えていたものが決壊したあの泣き顔が忘れられない。
しかし私は父を責めなかった。母も責めなかった。
「仕方ないよ、子育て中常に目を離すな、と言われたら私だって万全とは言えないから。幸い骨折もせず、歯も折れず無事だったから。
ただね、勝手に連れ出さないでほしい。年齢に合った公園の遊具があるの。保護者は私、だから〇〇へ連れて行きたい、とこれからは確認してほしい」淡々と告げた。
怒りがなかった?いいやそんな訳がない。むしろ殺意だよ。
でもね、子供②が「怪我は自分のせい」と
自分ではなく相手のために泣いたんだよ。この清らかさをどう大切にしたらいいのか、その方が重大だった。
しょせん毒親だ、私が怒り責めたら倍以上の言葉の暴力で「言い訳」と私の「落ち度」を責めるのはわかり切っている。
実際、父は魂を抜かれたように小さくなって泣き、公園のベンチでうたた寝をしていたと謝罪した。
幼い子供を自分が連れ出しておいて、なんて勝手な大人、殺気バリバリ湧くよ、思慮がなさすぎて残念な人だ。
母はやはり毒母だった。
私の言葉に涙し、謝っていたが「でも預けたのはあなたじゃない?それに孫よ、いちいち許可取らなくちゃいけないの?」と本音がホロリと顔を出す。
ふう、だから嫌なのだ。私は当たり前の主張をしただけ。
保護者の許可を得てから、目を離さず安全な場所で遊ばせてほしい、と。
たったこれさえも、毒親は子から「責められた」と被害者意識に囚われ反撃する。いやいや、そちらが加害者よ?実際子供②は大怪我してるじゃない。
たまたまコンクリートを外れ
土の上に落ちたから骨折を免れ、たまたま歯医者さんへ飛び込め、たまたま「子供②が天使の心」で許してくれたからこそ、今毒母はそのセリフを私に吐けているのだ。
一歩間違えたら2度と笑顔の子供②に会えなかった可能性を「想像」する心を持っていない両親に、いや毒親に、何度目かわからない「絶望(&殺意)」をした。
そして、預けた私が悪いのだ。そう「無責任」な「大人」に預けてはいけなかったのだ。
やはり毒親は信用ならない。
母は言った、娘なんて近くにいてもなんの役にも立たないと。
私も思う、毒親など近くにいても安心も信用もできないと。
誰かのために、自分を抑えて涙を流す、美しく清らかな心を前にしたら、自分を曲げず自分は悪くないと主張する毒親など、醜く汚れていて、このまま朽ち果てればいい、と心底思った。
そしてあの日思った気持ちは
「確か」だった。
毒親は相変わらず「淀み」の中で、自分たちに落ち度はない、そう信じ生きているだろう。
私のような生きづらい人生をなぞってほしくない。
毒親のフラッシュバックに悩まされる人生って一体なんだよ。おいおい親よ、しっかりしてくれよ、と毒づくこともあったけど、
子供たちが心配で両親を頼ろうと考える年頃をもう子供達は超えた、ちゃんと私が側で生きれた、だからもういらないよ?
そんな気持ちも捨てちゃった。私の人生に「毒」を持ちたくないから。
子供②の清い心は
今も変わらずにピカピカ輝き、青い春を楽しそうに過ごしている。
ふふふ、いいね、いいよ、いい感じ。
子供①も子供②も、優しく、そして生きるのに一番大事な「断る」事が出来る人に育っているのが、みていて頼もしい。
無理はいけない。嫌なら断る。これ大事。
やはり清らかな心は圧倒的に美しく、震えるほどに尊い。
幼子に教わったんだよ、あの日。
by 毒親育ちmochi
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