暗黒時代の真っ只中

暗黒時代の真っ只中

思い返しても暗黒時代でしかない

曖昧で、薄らぼんやりした、小学校高学年〜中学の記憶。特に「あの家」での記憶全般。

誰かがイライラしては、怒鳴る毎日

家庭内に「どす黒い感情」がそこかしこに転がる日常。もはや家族全員が常に戦闘態勢で、「笑顔」「安心感」などは微塵もなく、

なのに夢のような未来を語る母

機嫌の良いときの母は楽しそうに「未来の家族」について語るのだった。兄は有名大学にはいり、私は女子大か音大にいくのが良いと思う、

きっとその頃には父も本社に戻るだろうから、二世帯住宅を購入する。兄は卒業後一部上場企業に就職して実家から通勤、そのうちお嫁さんを貰い同居すればいいと。

私は音大を卒業し「手に職」をつけ、自宅でお教室をすれば良い。結婚に関しては長男以外、そして孫は女の子が良いと語った。

兄は高校受験を控え

相変わらず家では無言を貫き、高校受験もこのままだと「制服」で「ばれちゃう」学校しか入れない。そこで母は、どこから探してきたのか、スパルタな(今はコンプライアンス的にありえない)塾へ兄を放り込む事を勝手に決めた。

塾の先生が一度自宅へやって来た。

怖かった。

やる気などどこにも見当たらない兄の胸ぐらを掴み「甘えてるんじゃない」「いいか、俺が預かるからには甘えていられないからな」と凄んだ。気の毒に、涙目だったよ兄。

結果は、想像通り悪化の一途。

ますます母に憎しみのこもった目を向け、無言で過ごす兄。時々私の部屋に来ては「お前は女だから甘やかされていいよな」と、兄と私の待遇の違いの不満を、吐き出したいだけ吐き出し、また部屋に籠る。

私は「パンドラの箱」にせっせと災いを詰めていたのだ

その頃私も中学生だった。

相変わらずぼんやり覇気を失ったまま、たんたんと過ごしていた。

残念ながら私も兄同様に母の思うような成績ではなかったから、高校受験を見据え私もスパルタ塾に放り込んだ。

もう地獄…あったよここにも竹定規。

なんだろう、叩きやすいのだろうか?

母、塾以外にもある出来事(兄による性暴力)」があったのだが、

母が「あんたって兄の話をする時本当に嫌そうよね(だっと思う…)」と憎々しげに言った30代のあの日まで、「性暴力の過去」を「全く」覚えていなかった。本当に、一ミリも覚えていないまま、20年ほど過ごしていた計算。

そう、私自身に降りかかった「災い」をせっせと「パンドラの箱」に詰めては必死に蓋を閉めてたのだった。

恐怖を再現するような思いは、脳が意識的に忘れさせる、とドラマや本で知ってたけど、私もそうだったとは思いもよらなかった。

家族4人で住むのは私が中学生の時に終わった

高校生になった兄は友達ができたようで、少しづつ口数も増えたような気がした。相変わらず、怒りを壁や家具にぶつけてはいたけど、回数は減ってきていた。

私が高校受験を考える頃、今度は兄の大学受験があった。

タイミング悪っ…て思うけど、その時期に父の転勤も決まった。

兄の受験までまだ一年ある時期だった。父は家族4人全員で「父の実家」で同居したい希望がある事を私たちち告げた。

母は「同居」以外は、家族皆でそのタイミングで引っ越すことに賛成した。(※兄が父の実家から通える場所の大学を受験することを強く希望)

兄は、友達と一緒に地元の大学に進学し一人暮らしを希望。

私に関しては、選択肢は持たされず転校一択。

父が単身赴任を決めるまで

主に、父母と兄の意見が真っ向から対立した。

「同居希望の父母(皆で引越し)」 vs 「一人暮らし希望の兄(地元に残る)」

もう、みんなが譲らない、人の話を聞かない

話し合うんではなく、言葉でねじ伏せるから会話になど全くならない

各々が、自分の意見を通すために、「喚き散らし」「怒鳴り声」で主張を述べるのだけ。

落ち着いて会話する事など秒で崩れ、必ず兄が暴れ、それを父が抑える。そこを母がネチネチと嫌味で「責める」、私は「いい加減にしてくれ」と泣く。

結局は兄が暴れすぎて、最終的には、大学受験までの一年は父が単身赴任、兄は地元の大学へ進学し一人暮らし。ここまでなんとか決まった。あとは母が「同居」を飲み込めない問題が残った。

一度目の転校で懲りた私は、またもや知らない場所で高校生から始めるのだ。ただでさえお年頃で心が揺れ動くのに、増した不安が大きすぎて途方に暮れていた

一人暮らしが決まった兄は、すこぶる調子が良くなっていく。

それを憎々しげに横目で見ながら、

母は「兄、父、父母の親兄弟、親戚」これら他者の愚痴を、私に永遠と垂れ流し、デトックスするようになる。

話の濃さが、今まで「子供向け」だったのが、「大人向け」バージョンになり、より具体的に愚痴を聞かせるのだ。

同じ話を何度も、何時間も。

自室に戻り勉強をする(受験生だから)というと、癇癪を起こし「お前は冷たい」「母をかわいそうと思わないの」「優しくない子だね」「こんなんだから頭が悪いんだ」と責める。

私の心に「黒い感情」がどんどん溜まっていくのが怖かった。

暗黒時代もいよいよ最高潮へ

確実に母は心のバランスを崩していた。母の立場で考えれば、実際、大変だっただろうけど。

気を使わなければドアや壁を殴る息子、

転勤とともに家を買い換えたいのに、父に同居を打診される苛立ち。

あれ?おかしいくない?父は長男なのだ。長男家に嫁ぐものは同居するのがルールだったんじゃ?って心の中では突っ込んでたけど(笑)。

そう、母は、自分が嫌で仕方のない苦労を、子供も味わうべきだ、じゃなきゃ不公平だわ、と考える人。

だからとっくりとっくり、過去の「悲惨な生い立ち」を私に聞かせ、「お前は幸せだ」「私は同じ苦労を味合わせたくない」「私はずっと愚痴をきかされて育ち辛かった」、と言っては私に「愚痴を聞かせていた」のだ。

過去の事実を変えることはできない

でも過去を自分の経験値として取り込み、自分をバージョンアップするために利用することは可能だ。

「嫌だった」過去の出来事は、結局自分自身で飲み込み、乗り越えていく以外、誰も自分を救ってはくれないのだから。

母もそこに気がつけたなら、随分と生きやすかったんじゃないかな。

だから私は乗り越える

過去の辛かった自分の思いを、いろいろな経験から、多方面で物事をとらえる私へと変えてあげたい。

しつこいようだが、まずは、自分の心がどのような状況なのか。

その情報を集めるのだ。似た境遇の方の、エッセイやブログなどをSNSで入手するのも良いと思う。そこで、自分の心に「しっくり」きた情報を、何度も噛み砕いて理解を深める。

己を「理解」することから始めるのだ。「不安」や「怒り」を持て余し途方に暮れている人は、まず、その気持ちがどこからやってくるのかを突き止めよう。

自由になる、はじめの一歩。

自分をよく知る

これにつきる、まずは「負」の感情の源を突き詰めよう。それができたら、絶対に自分の心に変化が起きるから。

人間って結構たくましいものなんだよ。

かっこいいよ、がんばったね、自分って

いつか思える日がくるまで、

一つ一つ、心を解いていくのだ。

by 毒親ちmochi