毒で淀んだ場所から逃げるためには

毒で淀んだ場所から逃げるためには

生きる、

「生命」だけを考えたら、命が尽きるまで生命活動を続ける、という事なのかな?

幼児期、青年期、壮年期と過ごしていくうちに、世界は「地理的」な意味だけでなく、「考え方」も「広い」と知った。

自分の考えを、他者に伝える。当たり前にできる事かもしれないが、私には出来なかった。どうしても相手の顔色を伺ってしまう。

結婚すれば、居場所のなかった家庭から逃げ出せば、しっくり、幸せになれると信じていたのだが、結局のところ、変わらなかった。

縛り付けこそしても、寛ぐことを教えてくれない家族だったから、「情報」が欲しかったんだと思う。生き方のお手本を知るために、たくさん本を読んでいた気がする。

ラジオからいろんな曲を知り

本心を親へ言えず「溜まっていく気持ち」を「ギュッと完結に」伝えてくれることにハマった。

読書とまた違う高鳴り。私の心のうさを、熱い歌詞で、晴してくれる。

音も活字も、友人知人と貸し借りをし、互いのお勧めを交換し、そこからまた、興味の枝葉が伸びていく。

毒親に邪魔されない、私だけの世界

小説も、詩も、音楽も、映画も、ドラマも、漫画も、アニメも、ゲームも、私の気持ちにバチっとハマるものに出会えた時、とっても幸せ。

そう、わかる、その通りなんだよね。とか、そうか、そう考えればいいのか、とか。

今の自分には、見つけられなかった面の発見、球体に思えていた物が、実は多角形で造られていた事。

「気付いている人」に国も年齢も関係ない事。早くに気がつけるか、命が尽きる瞬間まで気がつかず終えるのか、ただそれだけ。

私の好きな「作品」は

発信する媒体が異なっても、好みが一緒。

相手の痛みを理解できる人。これに尽きる。純粋で真っ直ぐで正直な気持ち。

すべてをさらけ出す事が良いのか悪いのか、この線引きが出来、相手を思いやる心を持ち、作品にプライドをかけ、世に生み出し、決して舞台裏を曝け出さない、潔さ。

私の人生の1面は「毒親」に踏みつけられた

ある1面は「両親」に愛された。決してつるつるの球体ではない。

痛みも幸福も、すべて自分に起きた事実

生命活動において、芸術は必要か?と聞かれたら、不必要と答えるだろう。

「生きる」ことにおいて、芸術は必要か?と聞かれたら、必要不可欠と即答するだろう。

居場所のない家庭環境で

気持ちを代弁してくれた、泥沼から抜け出すための知恵を授けてくれた、人と楽しく生きる方法を教えてくれた、何より「生き方」を学んだ。

それら全て、表現者が世に送り出す「芸術作」からだった。

それがなければ、人との距離感を親から学べない、自己肯定感の低い私は、友達を作る事が上手くなかっただろう。

生産性は?と問われれば、俯くしかないが、生きるためなら?と問われれば、真っ直ぐ目を見て、大切だ、と答えたい。

淀んだ「今」を抜け出すにも

方法を知らなければ、動く事が出来ないし、気分が浮かない時、元気になれる手段を持っていれば、束の間救われるのだ。

芯を持ち、痛みを知り、優しさと、厳しさを「解っている」、そんな人に憧れる。

楽しい時間は、どっぷり浸からないと、損をする。当たり前に存在してるだろう「時間」は、実はすごく貴重な「瞬間」なんじゃないかな。

抱えている不安を共有し

癒される事は、本当に素晴らしい。思いやり「愛」を交わす、尊く、大切な時間。

だが、不安を自分でなだめる努力をせず、相手に預けても、自分の不安が消え去るわけじゃない。

毒親が漠然と抱く人生の不安感を、一緒になって不安になる時間なんて、それこそ、癒されもせず、嫌な思いを抱くだけで、生産性など1ミリもない。

そこから抜け出す術を

知恵を、表現者に教わった。淀んだ場所だと気づくきっかけをくれた。綺麗な水辺へ移動出来る可能性と、勇気を教えてくれた。

楽しく人生を送ること。そのために、どんな方向に努力をするべきか、それを教えてくれたのは、両親ではなく、表現者たちだった。

「表現者=芸術作」が、私の人生を救ってくれた。

怖くても、不安でも、

心細くても、前へ進むしか、人に選択肢はない。

どう生き切るか?私には自分で学び、掴み取るしか術がなかった

助けを求めるにも、求め先を知らなければ、救ってもらえない。

今日はバトミントン、楽しかった。そして、子供の荷造り。一緒に手伝える事が出来て幸せだった(こっそり泣いちゃたけど)。

絶対はない、不幸も幸福も、ね。気を引き締めて、明日も「今日」を大切に生きるんだ。

by 毒親育ちmochi