毒を抜き自己判断で生きてやっと2年

毒を抜き自己判断で生きてやっと2年

未成年の間、

肉体的にも精神的にも辛く痛い思いをし、生きてきた。そのせいか、学生時代の記憶が薄い。

深く考えないようにしてきた。そう、自主性を打ち出せば、必ず叩かれ、非難され、受け流される経験から学んだ、自分を守るための思考回路。

理不尽だなぁ、と思う。

こうしろ、ああしろ、親のいうことを聞いていれば間違いない、だからお前は駄目なんだ、いくらお前に費やしたと思っているんだ、

だから、精一杯「親の要望する器」に収まるよう、頑張ってきた

社会人として責任を持って生きろ、

初任給も、毎月お給料が入った時も、ボーナスが出た時も、お菓子やお花を買って帰り、お礼を添えて現金を渡していた。

おかしいなぁ。笑顔で「あなたは優しい娘ね、ありかとうね」という時と、

「これっぽっちの金」と罵られ、今まであんたにかけたお金全て返して、あんたは失敗作よ、という時。

どちらも本気の言葉みたい。その時々の母の、毒母の虫の居所で、返事が違うんだ。

私が失ってきたもの、なにがあるかな?

小学生時代、日が落ちるまで思いっきり遊ぶ事、嫌な習い事以外で夢中になれることがあったかもしれない可能性、

仕事にしたかった職種への道、母の顔色抜きの結婚生活、夫の実家との交流、ざっとこんな感じかな

でもね、

これらを母にぶつけてみたところで、

「あんたが全て望んだ事じゃない。私が一体何をしたっていうのよ。どれだけお金かけてきたって思う?

感謝されても、責められる筋合いはない。そこまでいうなら、今まであんたにかけてきたお金全額返しなさいよ」

としか返ってこない。何度も繰り返した「抵抗」、そして「迷惑をかけた」という思い、「罪悪感」。

まあね、実際に行動していたのは

「私」だから、確かにその通りなんだろうけど、母の圧力がなければ、違う生き方をしていた未来

ずっと、両親に迷惑をかけている、そう思っていた。私にお金がかかって申し訳ない、今の私があるのは両親のおかげ、

だから「親を怒らせてはいけない」、だって私は「親に感謝するべき責任がある」のだから。

行動は確かに「私」、でも決めさせてきたのは「母」

トラブルが起きれば責任転嫁をし、「ほらやめたら?って私言ったじゃない」と逃げるのに。

悪性腹膜中皮腫(希少がん)になった時も、

病気になった「私」が悪い、母の老後を奪ったと申し訳なくなった。

さらに私は、複雑性PTSDという病気で、脳を負傷、そして心も負傷、治療が必要な事がわかった。それすらも「私が弱いせい」だと言うのだ。(詳しくはこちらをどうぞ↓)

複雑性PTSDという病名

母は常に「自分は悪くない」「悪いのはあんた」と。

絶縁し、私の世界に

「ライオン(毒親)」がいなくなり、心が安定してから、落ち着き、過去の過ちが様々浮かんでは消えるようになった。

残念ながら「過去」であり、今更取り戻せはしない

書き出しているこの文章は、愚痴なのだろうか。それとも文句なのだろうか。よくわからない。ただ、もう母に責められたくない

こんな風にずっと教え込まれてきた私を、母は「恩知らず」と思い続けているのかな?こんな老後を送るのも「私のせい」なのだろうか。

心の痛みが消えるわけではない、

ただ痛みが軽減している実感はある。

これは私の心が強くなったからなのか?それとも阻害薬の効果なのだろうか?

平穏になり、やっと悪性腹膜中皮腫(希少がん)だと、自分の病気を飲み込めるようになった。これも強さなのか??

告知から5年目の誕生日、

仕切り直した人生、5歳になったと思ったのだけれど、それも仕切り直しで、やっと2歳になった(笑)。

笑ってしまう、半世紀近く生きてきて、自己判断で生きるのはまだ2年しか経っていない。よくこれまで、なんとかやってこれたもんだ。

洗脳、怖いよね。本当に、母の言う事が「正しい」と思っていたからね。

自主性とは、

失敗も成功も自分が経験し、親に、時に諭され、励まされ、褒められて育つのだろう。

これを、親の顔色を伺いながら自分で育て、時期をみて逃げるなど、考え付きもしなかった。

遠回りをしても良い事はなかった、

薄々気がついていた過去の自分に歯痒さを感じる、もっと早く自分が変わっていたら、「私の家族」との「楽しい時間」が増えていた、悔やまれる

でも、気がつけて良かったとは思う。死の縁で気がついたとしたら、家族を再構築することなど、不可能だっただろうから。

仕方がない、これも人生、

そう思い飲み込み、粛々と「正」を生きる。これが今の私の「命題」。

心でつながる真の「絆」、これをちゃんとで理解できるようになったから。

子が老人になるまで生きる力を、育てる責任が、親にはあるんだよなぁ。

母と関わっていた時は、

母との争いが耐えなく胃が痛かったけど、今は誰もイライラする人がいない、穏やかな暮らし。

心の安心がずっとある、味わったことのない安定感。

変われてよかったよ。

by 毒親育ちmochi