珍しく父の毒を思い出した夜

今は誰かがイラついた声で
話しかけたり不機嫌をドアや階段にぶつける音を聞かないで済む平和な時が過ぎていて、それをちゃんと私は認識している。
でもふと、本当にふっと「幼い私」や「悔しい私」が
ねぇねぇ、私の記憶はまだ癒されてないよ?忘れてない?
そんな天真爛漫なテンションで急に顔を覗かせるから気が抜けない(笑)。そうだなぁ、とぼんやり真っ暗な夜空を見ながら思い出すのはやっぱり「あの家」の記憶。(よろしけばらこちらをどうぞ↓)
遠くに山の見える坂の途中のあの家、
眠れない夜は布団の中に持ち込んだ懐中電灯の灯りで本を読んだ、いつも同じシーンが出てくる、父が買ってくれた分厚い世界名作集の怪盗ルパンシリーズを読んでいる私。
日本と世界の両方、全巻20冊くらいあったんじゃないかな。箱のカバーに入っていて、厚みは8センチくらい、サイズは新聞紙を半分に折りたたんだくらい、かなり重い本。
子供向けにしては味も素っ気もない、アイボリーに金文字でタイトルと数字が入っているだけ。挿絵は一話目のみ、ジャンルも様々「私ちょっと大人向けです」みたいな佇まいが好きだった。
特別お気に入りの話
というわけではなかったが、なぜかいつも思い出すのはアルセーヌルパン、なんなら挿絵も覚えてる。
長い物語があと2ページ程で終わる、空け始めた空、まだ灯る外灯、季節は冬、そっと窓を開けると吐く息が白く、なんとなくただぼんやりと明るくなっていく坂道を見つめていた。
なんであの場面を時々
思い出すのかわからない、だけど子供にしては「冷めた感情」でぼぅっとルパンを片手に眺めている私。
特段楽しいわけでも悲しいわけでもない記憶。
「あの家」できっと私は辛い思いを沢山したんだろう、そんなふうに見える自分。
過去を整理し、嫌だった記憶は「嫌」だったんだと自分が納得する、それをしないと「漠然」と不安が襲う。そして随分整理できたな、と思うと忘れていた別の「嫌」が呼び覚まされる、多くは「あの家」の記憶だ。
理由はわかっている、
あの家は「逃げ場」がなかった。
集合住宅に住んでいた時は一歩外に出ると常に誰かしらのお母さんや子供たちがいて、話しかけられたりして気が紛れるしほっとしていた。
再度の引越しで祖父母と同居した時は、私も大きくなり「自分で外に」逃げられる場所を見つけた。
だけどあの家のあった新興住宅地は、区画整備が行き届き、皆が庭があり、車移動がデフォだったから、人の往来が少なく、ひっそりした雰囲気の街だった。
父にフルスロットルで殴られ
外に逃げるけど、受け止めてくれるお隣の老婦人のような人は存在せず、だから「大声」で叫びながら家から飛び出す。
じゃないと聞こえないからね。靴を履く余裕なんてない真剣勝負、一目散に公園を目指す。そこまで逃げ切れば父は人目を気にしすごすごと帰っていく。
そこからは根比べ、「絶対に怒らないから」というセリフを母が言わない限りどんなに寒くても我慢してたよ土管の中で(笑)
信じても絶対「怒られる」けど、その言葉を聞けないと怖くて帰れなかった。
振り返ってもなんであんなにも
繰り返し両親に怒られたのかさっぱりわからない。
確かに頭は良くなかった、お稽古ごとは嫌嫌やってた、でもねぇ、あんなにガチで殴らなくてもいいんじゃないかい?父よ。私10歳くらいだったよ?
過去の家族の記憶がトラウマとなって心に揺らぎが襲う事を理解しているから、昔と違い発作は起きなくなったから大丈夫。
夜中に一人でぼーっと外眺め、気分は森の奥で傷を癒す動物のように「じっと」消えるのを待つ、それだけ。
父は寡黙で、博識で、論理的で、
賢く、威厳のある、「自分」でありたかったんだろう。父の話す言葉通りの「父だったら」、きっと私は幸せだったに違いない。
カッとなって殴る奴は馬鹿だってよく言ってたし、人の話は遮らず最後まで聞くものだ、とも言ってたから。
久しぶりに父の記憶がぬるっと出てきて戸惑った夜だった。あまり父のことは思い出さないから。
日本の技術の素晴らしさを語る父、
だけど聞きかじっただけだから、情報が薄く、そして案外間違えてる(ごめんね、スマホでつい調べちゃって)。
頭が良かったのは確かなようで、子供①が理系選択していた時、現役の問題をさらっと解いてすごい、って感動してたから。それに孫には優しく教えてあげてたから平和だったし。
昔からね、五木寛之とか養老孟司とか含蓄のある言葉が好きな父。なのでいい事いうんです、うんうんって。でも行動はなぜか別でね。
母は殴るではなく叩く、
髪を引っ張る、蹴る、踏みつける、取っ組み合いになる。でもこれよりも「言葉」と「怒る2秒前」みたいな攻撃が一番ダメージが大きかった。
希少癌と告知され言葉に表せない衝撃に叩き潰されていた時に「私の老後なくなったのね」と言うセリフをこぼす人なのだ。タイミングよく破壊力を持つ言葉で打ちのめすから、心の痛みの記憶が多い。
父は、殴る人、一度拳のスイッチが入ると問答無用、殴ってくる。こめかみや肩の関節あたりを、痛くて怖かった、母と違い力が強いから、本当に怖かった。
あの日、明け方の私は何を思いながら外を眺めていたんだろう。
あの頃の私の記憶は断片的、思い出したくないことが多いのだろう。
子供①と同年齢の時、
まだ父に殴られてた私。
友人と遊んで9時過ぎただけ、バイト終わりに喋ってたら遅くなっちゃっただけ、休みの日に友達と遊ぶ約束を勝手に入れたから、
並べると笑っちゃうね、「遅いと危ないから気をつけて」とか「あまり遅くなったら駅まで行くよ」で良いのでは?ってね。遊びに出かける友達がいる事は嬉しいはずなんだけどなぁ。
こんな類の理由で、母がキーキー喚き散らす、私がムカついて聞き流すと父を呼ぶ、まぁそこからは母の煽りに父が乗り、結果バイオレンス。
でもね父も言うんです。
家族ほど大切なものはない、お前はそれを忘れている、大切な事を気づけない人間は必ず不幸になる(呪い?)、この世に血を分けた物同士仲良くしなくちゃ悲しいじゃないか、とね。
言ってることは本当に「そうだと思う」私も同意だ。
だけど、それは「絆」がある「家族」にだけ通用する話、いや人との繋がり全般に言える事。相手を思いやれる人同士にしか適用されない言葉達だ。
なんか父を思い出した夜もありました。
そんな日もありました、ってやつです。
by毒親育ちmochi
-
前の記事
毒親だが確かに母は私の母親である 2020.07.08
-
次の記事
平気で殴れる人の愛は「偽物」だよ 2020.07.14
ぽちぽちっと♡励みになります
SNS
