毒母と診察室と疑心暗鬼

毒母と診察室と疑心暗鬼

術後、経過観察で病院に行く時

いつも母が付き添った。理由は「私ががん患者と勘違いされないための、母なりの思いやり」なのだそうだ。

毎回、診察時間まで待っている間、母と二人でソファで待つ時間がこれまた「どす黒い感情」がたまる修行の時間だった。私、悟り開けるかも…いや冗談じゃなく、本気で思ったもんね。

毒親あるあるかな?

母は、お寿司屋さんに行くと、カウンターであるにもかかわらず「〇〇(他店)のお寿司屋さん、美味しかったのよー」となど、会話のチョイスが圧倒的に悪い

毒母は、もとい母はですね、ヘアマニキュアで髪の毛をコートしているのだが、がん拠点病院の混んでいる待合ソファーで、「ほら見て。髪がはげてきちゃったのよー。」(やめてー、はげるは禁句)

「ご近所の〇〇さん、骨折しちゃって今杖が必要なのー。私杖はつきたくないわー」「親戚の〇〇さん、とうとう車椅子になっちゃったの。まだ若いのに車椅子なんてお気の毒よね」「お友達のお母さん、がんの末期なんですって。きっと長くないと思うのよね」

と、禁句の嵐なのである

聞いているだけでムカムカしてくる、同じ空間にいるのが嫌でたまらない。だって、それ全部そっくり私に当てはまる「将来の可能性」の話だよ。

別の会話にしようと話を向けれは、

中皮腫の「新薬」「治験」はないのか

と私に問う。

うーん。何度も言っているよね、標準治療の抗がん剤を行ってからじゃないと、無治療の私は治験は出来ない、しかも腹膜中皮腫(ふくまくちゅうひしゅ)の治験はほぼ無い、と。

そして診察室に入れば私より先に「先生、何かこの子の病気が治る新しい薬はないでしょうか?」と涙ぐみ鼻をすすり、聞くのだ。

ちがうんだよー!私は、CT、PETの画像を、血液の数値を見たいのだ。そして、気になった点を先生に聞くために、診察室に入っているのだよー

会計が終わると、母とのランチタイムである

毎回ビールで「今日も経過観察でよかったわ」の乾杯をする。

そして必ず「お願いだから頑張って生きてね。そのためだったら、私何でもするし、お金も惜しまないわ。ほらこうやって美味しいものだっていくらでも食べさせてあげるから。だから死なないで」と言う。

ふー。言うまでもないが、この言葉のプレッシャー、わかってないから言えるんだよね。

私自身、いつ進行し、進行具合ではあっという間にいなくなるのかわからない。なんなら先生にだってわからない。そういう病気なのだ。

その患者に対して「気合」で生きろ、と言っているのだ。

何も考えず「うん(にっこり乾杯)」と言えればいいんだろうけれど、どうしても「約束」出来ないことに、軽々しく「うん」というのは抵抗がある

兄のこと、子宮のこと、病気の先行きのこと、

これらは私との会話で出さないようにしてほしい、と何度も訴えているのだ。(兄との関係については、詳しくはこちらから↓)

パンドラの箱の中身が開いた、あの日

喉元すぎたら、兄からの国際電話の内容、兄からのメールを読ませようとする、がん手術の際に子宮も摘出しているので、しばらくは赤ちゃんを私の横で愛でるのをやめてと言ったが、通りすがりの赤ちゃんを可愛いと褒め、呼び止め可愛らしい手足を撫でるのだ。

そして病院での会話、

私の病気の今後について、

全ては、何度お願いしても毒親(毒母も毒父も)ふたりして、平気で日常会話に上記の案件を扱うのだ。その度に、私の心が激しくえぐられているのに、だ…。何が悲しくて親がこんなにも無配慮なのだろう。理不尽すぎる案件だ。

1人で病院に行く

と言った日があった。

もう母と一緒に病院へ行くのが耐えられなかったのだ。

検査結果を聞く小鹿な自分を手懐けるのに精一杯なのに、その上毒母の「毒」を浴びるのは限界だったから、待ち合わせる時間を告げず、スマホの電源を切り、診察待合で一人静かに順番を待っていたら、

「探したわよー。もう!気を使わなくていいっていったでしょ。一人で来るなんて心細いでしょ?」と母が立っていた。くー、なんたる粘着、そして執着。勝てる気がしない。

その頃は「早くて2年」と言われていた

だから万が一の時、子どもの年齢を考えると、近くに住んでいる両親(毒親であっても)の助けが必要かと思っていた。

のちに母(毒母)に

「孫たちが小さい頃、さんざん私を利用して子供を預けて楽してたのに、子供を預ける必要が無くなった年齢になった途端、掌返して来なくなる。あんたは本当に都合よく親を使う、酷い娘だよ。

いい?このままま、あんたたち家族が行き来がなくなってから、急にあんたに何かがあって泣きついてきたとしても、私たちは絶対に助けたりしないからね。覚えておきなさい」と叱られた。

そして、私に何かがあったときは、子ども二人を両親(毒親)の養子にし、両親の家から学校に通うこと。週末のみ、私たちが今住んでいるマンションに帰ること。実質の父親は夫なので、子どもにかかる費用は全て負担すること

これが私が死んだら、子どもを「手助け」する条件だと、

母が言った。父も同意した。私の目の前で、これがさも当たり前の「手助け」なのだ、と。

養子縁組の規定はわからないが、とにかく子どもたちが成人するまで意地でも生きていなくては、と、がんにも毒親にも恐怖心しか湧かなかった、訳わからない論理だよね。

というか、両親(毒親)

養子縁組話好きだよね。なんで好きなのかわかっている。夫の実家に孫を取られるのが怖いのだ。夫は長男だから、と本気で怯えているのだ。

毒母が「いい、あんたの夫はあんたがいなくなったら、絶対すぐに再婚して、夫の実家の近くで住むからね。そうしたら、私たちに孫を会わせないに決まってる、あの男は絶対にそうやって私たちに仕返すんだよ。」ってたびたび吠えていた。

なんかね、もう発想が低次元。みんなで仲良く出来ないのかなぁ。そんな風にしか考えることが出来ないことがもはや気の毒にさえ思えてくる

しかし、子付きバツイチのおじさま

すぐに再婚なんて、そんなの無理だよ。だって夫石油王じゃないし、そんなに簡単に気持ちを切り替えられるほど器用な人じゃない。

優しいからね、いい人だし、毒親の描く極悪非道な人じゃないからね。子どもたちが祖父母に会いたいって言えば、何の抵抗もなく会わせるよ。あの人はそういう人。人を恨むことをしない人。

夫の家族も、みなそういう人、至って平和、人を恨むなんて発想がない、だからいつ遊びに行ってもウェルカム。「手土産なんて気を遣わないで」と、帰りにいっぱいお土産を持たせてくれる愛のある人たち。

きっと、毒親自身、

夫を罵倒したこと、身に覚えがあるから、疑心暗鬼なんだろうね

そして、夫の家族の「穏やかさ」に、本心では焦りを感じるんだろう。

だからね、何度も言うよ、「血縁」は「絆」じゃないよ。「絆」は相手の気持ちを思いやる愛の積み重ねなんだよ。

どんなに「血縁」を印籠のように突きつけても、居心地の悪い家に、人はこない。

だから言ってるじゃん、愛されたいなら、愛さなきゃ。いたってシンプルなのだ。

もし両親(毒親)が、このシンプルな法則に気がつけば、

今まで縛り付けて人間関係を築こうとしたことの愚かさに、我に返ることが出来たなら、今からでもきっと「愛」にふれて、心穏やかになることが出来るんじゃないかなぁ。

まあ、好き好んで「不幸」が好きなのだと思うので、気が付く可能性は低そうだけれど…

私は、毒母と病院に行かなくなって、4年程経つ。一人は気楽。そしてWi-Fi様様。スマホ大好き。

ひとりで楽しめるって、いいと思うんだ。ひとりで楽しい、人が集まればもっと楽しい、になれれば最&高だよね。

ブログで記載している情報は、今から7年程前の古いものです。医療に関する知識も素人です、あくまで参考の一つとして、ご覧いただききたく存じます。治療に関して、考えや医師の判断は、あくまでも「私の身体」の情報に過ぎません。人の個性が十人十色なのと同様に、病状についても十人十色です。ですので、やはり主治医の先生に相談されるのが優先すべき事と考えております。

*アスベストに関係する全ての団体・患者会・家族会には属しておりません*今後も属しません*全て個人発信です*

by 毒親ブロガー&中皮腫患者 mochi