自分の親が毒親、毒母と感じるまでには
- 2020.03.02
- 毒親と絶縁するまで
- mochi, がん患者, カウンセリング, ピエロ役, 不機嫌, 不満, 心療内科, 母, 毒母, 毒父, 毒親, 毒親育ち, 毒親育ちmochi, 洗脳, 父, 理不尽, 絶縁, 複雑性PTSD

圧倒的「理不尽」な教育をされてきたはず。
私はどうやって毒親だと気がついたのか
叱る基準がコロコロ変わる、親の予定を優先しないと、食事やお小遣いなどで締め付ける、毒親家庭で育った人には「あるある」なことだけど、程度の差こそあれ「理不尽」に変わりはない。
毒親は、親の言う事を「気持ちよく聞くふりをする(けど隠し切れてない)我が子」の発する「本心」を敏感に感じ取る。結果、親の言うこと聞いたにも関わらず、親に不機嫌になられて怒られる、あるいは家庭内無視という仕打ちをされる。
この「理不尽な仕打ち」
私はピエロ役だった
場の空気を和ませるために進んで「笑われ役」を買って出る。
食卓に子供が私一人なので、
母が苛つき、祖母を無視したり、父を無視したりすると、
懸命に間を取り持とうと「おどけて」みせた、そりゃもう必死に。
でもね、
それは母が精神的に未成熟だから、
だからこそ母は、毒母なのだと今は理解している。
母の行為は駄々をこねる子供と何ら変わらない。
「こうしたい」「こんな家族と世間に思われたい」「頭のいい子どもが欲しい」「自慢できる経歴の人と結婚して欲しかった」「羨ましがられたい」「母の兄弟の中で一番幸せでありたい」、あげればキリのない、「ないものねだり」のオンパレード。
面倒なのはふと突然「不満」が湧く事
例えばトイレの電気を消し忘れたのを見つけた瞬間に、
電気の消し忘れの注意が、前回叱った内容、さらに過去、さらに習い事をしていた時の過去へと、どんどん遡っていく。
そして、怒りをぶつけている毒母自身、ヒートアップし車輪が坂道を転げるように、怒りを増殖し、収束の仕方を知らず、いつも、怒るだけ怒り、いきなり母の「気が済む」のだ。
そうする話は強引に終了し「今度から気をつけてよね」と吐き捨てる。
そこまで1時間から長いと3時間、延々と怒り罵る、すごいパワーだが、こちらはもはや、トイレのスイッチで怒られてるのか、過去の習い事がいけなかったのか、訳がわからないが、疲れ果て、
過去のことなら、すでに何度も謝っているではないか、と不満だけが心に残る。
要するに毒母は駄々っ子なのだ
スーパーで寝転がって「買ってくれ」と大声で自分の要求を訴え、叶わず怒って駄々をこねているに過ぎない。
母のことばかり書いているのは、父とは一緒にいる時間が少なかったから記憶が少ないだけのこと。
父は毒父ではないの?と聞かれたら答えは「ノー」。
父もまた「見てみないフリ」を決め込み、逃げたのだから同罪だ。
父母は本当に言葉の選び方がひどい
卵巣嚢腫から悪性腹膜中皮腫と、短期間の間に二度手術をした娘に、
母)「私手術なんて怖くて絶対に嫌」
父)「今回の健康診断もどこも悪くなかった、すごいだろ、がんになる心配はないな」
と、笑顔で私に話してくるけど、私はどう返事するのが正解なのか分かりかねてしまう。
だから私は一つ、自分の中に基準を設けた。
簡単なこと。
同じ言葉を「友達に言われたら」付き合いをやめるかどうか。
それからも相変わらず、毒父に毒母に、いろいろ心ない言葉を投げられては傷ついたが、
基準に従い「父母を観察し」冷静に出した答えは、
父も母も未熟だ、であった。
言葉こそ立派なことを言う
それこそ悲しい事件に胸を痛め(たフリ)、いろいろしてあげた自分たちは立派な親だと。
親の大きな愛情を自分達は与えた、そうだろmochi?とね。
残念ながら、父母が語る立派な言葉は「使いまわされた」「よく聞く言葉」であって、決して彼らが「実践した経験」から「子供を思い」溢れ出た言葉ではないことも、わかってしまった。
時間はかかった
子ども①が4歳の頃「毒になる親(スーザン・フォアード著)」に本屋で出会い、「子供が育つ魔法のことば(ドロシー・ロー・ノルト、レイチャル・ハリス著)」、「アメリカ・インディアンの教え(加藤諦三著)」やコーチングの本、等
母同様、私にもまた「母」のモデルケースがないので、育児書を片っ端から読み一つの結論にいたった。
父母は毒父と毒母である
未成熟な、大人になり切れていない人に、私は育てられたのだ。
大人とは、自分自身の苛立ちをコントロールし、周りを不快にさせない配慮のできる人を指す。
我が子をいじめる子どもと無理に付き合わせる意味が存在しないように、家族をいじめる毒父と毒母と無理に「家族のふり」に付き合い続ける義務など何もないのだ、と。
アラサーまでかかってしまったが
子育てに生かすつもりで、
本を読み、情報収集をしていたはずが、
いつの間にか「私の父母の問題」に当てはめるち腑に落ちる点が多いことに気がついた。
私もまた「ゆがんだ家族」という狭い世界で生き「未成熟だった」と気がつけた。
まずは、自分の苛立ちのコントロールから始めることにした
毒親育ちには厳しいが効果的面だったのは、嫌な人と付き合わない(もちろん毒親含む)
不安や苛立ちを感じたら、「原因」がなにか、これを突き止める。
これは結構大事な作業で、繰り返すうちに、不安や苛立ちに変わる前に「原因」が見えてきた。
ここまでくればしめたもの「原因」に近づかなければいいだけだ。
心が疲弊しすぎて
何もできない人も多いと思う。後述しますが、心療内科も一つ視野にいれておくのは大切です。
長期間、家庭内において虐待された子どもの脳は、正常な家庭の子どもより活動視野が少ない、という研究発表もあるそうです。
その場合、自力でどうにかするのは、自分で自分を追い込むことになるでしょう。
毒父、毒母である父母は、心療内科とは「怠け者」が「病名」をつけてもらいにいく所、という強い偏見を持ち続けています。
しかしながら、
洗脳が解けやっと「人間」になれたと感じている私からすると、
あれだけ不安や怒りをコントロールできない毒母です。
母こそカウンセリング、もしくは心療内科で状況を聞いてもらえたら、心の負荷が軽くなくなるんじゃないかと。
母は頑なに意地を張り、岩のようにゴツゴツと生きているように思えます。しんどいんじゃないかな…
絶縁宣言からまだ3年です、春で4年目に入ります。
春はがん告知に絶縁宣言と、心を乱される季節でもあります。
離れざるを得ない家族がこの世に存在することについて、理解を求めるつもりはありませんが、知識として知って頂いけると、毒親育ちにも生きやすい世の中になります。
いろいろな人がいてこそ「世界」なのだと思います
人を非難することは簡単ですが、受け入れるには「理解」が必要です。だから私は「知る」ことが好きなのだと思います。
知って理解することで自分の世界がちょっと豊かになるのが単純に嬉しいのです。
by 毒親ちmochi
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