夫と交際が始まったのは毒親がきっかけ

夫と交際が始まったのは毒親がきっかけ

母は夫が嫌いだ(多分)

一番は、母から私を「奪った人」だから。二番は、夫の実家が「平和」で「普通に家族が仲良し」だから。

夫がまだ大学生の頃、

私も短大生で、バイト先で知り合った。

穏やかだが、たまにぐうの音も出ないような、意地悪な切り返しをしたり、話題の引き出しを多く持っていて、面白い人だなぁ、が第一印象

実家から通えない距離では無いが、少し遠いという理由で、大学後半は、一人暮らしをしたいと、家賃を親に負担してもらい、生活費全般はバイトで賄っていた。

話しやすい人、怒る姿が想像できない人、会話が多岐に及ぶので、シフトが重なる時は楽しみだった。

付き合うきっかけになったのは、

父の誕生日の日。おぅ!またもや春。どうでもいい話だが、がん告知の日は、父親の誕生日でもあった、父の誕生日、情報が渋滞しがち。

父は当時、タバコを吸っていた。

プレゼントはバイト代で用意した。

吸い過ぎないよう、薬ケースみたいに、一本消すブロックが円状になっていて、自分が吸った本数がカウントできる灰皿をチョイスした。

高校生の頃から、親とぶつかっては(ほぼ一方的に難癖をふっかけられ勃発)、「外」へ出かけ、「プチ家出」を繰り返していた私は、親から信用されていなかった

本当に「女友達」の家に遊びに

行っていたのだが、毒母の妄想が止まらない

母の脳内では、私は「男と遊ぶ」ために「言い訳」として、私が喧嘩をふっかけ「勝手に」出ていく、ダメな娘なのだ。(つまり悪いのは娘であり、母では無い理論ね)

その日、女友達にプレゼント選びに付き合ってもらっていた。

東急ハンズで「吸い過ぎない」ように「灰皿」を送るっていいね、と選んだプレゼント。平日は父の帰りが遅いのを知っているから、夕飯を彼女と食べて帰宅した。

父が帰宅し、プレゼントを渡した。父は喜んでくれたのだが、

母が「ブチ切れた」のだ

今日、お前は一体誰と会っていたんだ!灰皿を選ぶなんて、男だろ!と

違う、と言っても、一度「怒りのループ」に入り込むと、毒母は怒っている自分に興奮し、さらに激怒する。そして「言葉」で暴力を振るう。

あの夜も、きっと酷い言葉を言われたんだろう

覚えていないが、気がついたら、プレゼントの灰皿を掴み、号泣し、夫が住むアパートのインターフォンを鳴らしていた。

なんなら、電話番号さえ交換していない、ただのバイト仲間なのに。

夫は驚きつつも家の中に入れてくれた。嗚咽し、うまく話せない私に「無理に話さなくて大丈夫だよ」と、涙の波が静まるまで待ってくれた。

ポツポツと状況を話したら、「プレセントを否定されて悲しかったね」と、私の気持ちを言語化してくれた

全部吐き出し、落ち着いた頃、「もう遅いから送っていくよ」と灰皿を渡してきた。

夜、一人男性の部屋にうっかり、飛び込んだのだが、母の妄想するようなやましい事は何も起こらず(興味がなかっただけかもしれないが・笑)、「咎めず」「最後まで」私の気持ちを聞いてくれたのだ。

毒親育ちの人ならわかるだろう、

自分の気持ちを「否定」せず、最後まで聞いてくれる、これだけでもびっくりだ。

しかも、親の「毒」の部分を晒すのは「恥」と思っていた私が、スラスラと素直に気持ちを吐き出したのも、その時が初めてだった自分史上、びっくりレベルが最高値を叩き出した。

その後、母も父も灰皿について、

何も触れなかったので、自室のクローゼットに置き、ピアス入れとして使っていた、何とも苦い思い出

そう、毒母は「灰皿」が気に入らなかったのでは無く、バイト代で父のプレゼントを買う「私の行為」が、「気に入らなかった」だけなのだ。

だから、男云々は、怒る「きっかけ」なだけ。昔から母は、私が父に優しくするのを嫌う。

「母にだけ」優しければそれでいいのか、と言うと、これまたその時の気分次第なので、わからない。

その後、「受け止めてくれる人」=「ひなが親鳥を見つけた」

私は、夫に好意を持つようになり、夏頃かな?付き合い始めた。

その後、就職をした夫。相変わらず、感情がジェットコースターの母。短大の定期代をもらえず、夫に買ってもらったこともあった

何がきっかけだったか覚えていないが、

やはり私の我慢が爆発した時、丁度夏休みだった。その頃夫は、勤務地近くの、借上社宅に住んでいた。家からは車で1時間ほどの場所。今度は、夏休み丸っと帰らなかった。

仕事を覚えるのにあたふたしていた夫、しかし飛び出してくるからには、それだけの「理由」があるのだろう、と、お小遣いをくれて居座らせてくれた(笑)。

夏の暑い日、たまに思い出す。

誰も知らない街で、昼間アイスを食べながら、商店街をのんびり歩く私。

いつ毒親が怒鳴り込んでくるのかわからず、気分が沈む瞬間もあったが、開放感と、気怠い暑さと、日陰の濃さ、楽しい孤独、なかなか素敵な思い出だ

母は私が誰かと「交際」する事を嫌っていた

別に深窓の令嬢だから、とかではなく、女友達も男友達も全て、誰だって嫌いだ。なぜなら、「母と私」の時間を奪う存在だから

見つかり連れ戻されるのも時間の問題だった(笑)。

夫の両親も巻き込み、大事になり、塊魂(かたまりだましい:バンダイナムコのゲーム)、のように、母の周りの全てを巻き込み大きな塊を作り上げ、準備万端、連れ戻されたのだ

「夫+義母」・机挟んで・「私+両親」 

この構図で母が「わめき」「怒鳴り」責め立てた。これもまた、嫌な思い出なのだろう、

覚えているのは、義母が、私を庇ってくれた事。そして、夫と義母が、私の両親に頭を下げた事。

そして、私+両親だけになり、再度母から怒鳴り散らかされ、

父が放った言葉、これは忘れたいのに覚えている

全く不便な脳みそだ。

「男を知ったんだろ、男を知った女はこれだからダメなんだ」

父が確かにそう言ったのだ。酷い言葉だよね、それこそ毒親がよく使う言葉、「普通そんな事言えないよね」を、熨斗をつけてお返ししたい。

夫の祖母が昔言った言葉を思い出す

プレゼントはね、品物の中身は二の次、大事なのは、その人が送ってくれる気持ち。

つくづくその通りだと思う。子供が、私のために、と思って選んでくれた「時間」が尊いのだ、中身ではない。

我が子が自分で稼いだお金で、買ってくれた。自分の好きなものに使いたいだろうに、その気持ちだけで充分だ。

ああ、優しい子だなぁ、と、プレゼントを渡す我が子を見て、ほんわか幸せな気持ちになるなら、理解ができる。少なくとも私は、幸せな気持ちになる。

母はどうして、父に「嫉妬」したのだろう、それこそ「家族」なのにね。

あの灰皿、実家に残したままだけど、まだあるのかしら?

本当に、春は、いや、父の誕生日は「事件」起こりすぎ(笑)

by 毒親育ちmochi