娘が、がんと知った時、母は「私の老後がなくなったのね」と言った

娘が、がんと知った時、母は「私の老後がなくなったのね」と言った

娘が「がん」とわかり母は私の老後がなくなったのね

そう、毒母は間違いなくそう言った

ん?

私が代わってあげたいとか、私の心や体調を心配するより前に、母自身の「老後の不安」が真っ先に口に出るの?

くう、かなりの毒親っぷりだ…

その時の私は「共依存」で「洗脳」状態だったから、母の期待に添えない自分が不甲斐なく、母に申し訳なく思った。何なら私がいなくなった後の母の悲しみを先に想像してしまったくらいだ。

我が子である、子ども①②と夫に対する申し訳なさよりも先にね。

洗脳されていた私も相当異常だったと、振り返ればわかるけど、あの頃は全く気が付けなかった。

振れ幅の大きな家庭内

そう、私の育成環境はいびつだった。

今ならわかる。

金銭的には、裕福とまではいかなくても、十分にしてくれたけれど…

夫婦喧嘩、怒鳴り合い、私や兄(毒兄)に暴力を振るうなんて当たり前すぎる程、日常だった。

母は、噴火するほど怒るけど、天使のように優しくて、地雷に一貫性がないから、正解が何かよく分からなかった。とにかくお母さんを怒らせないようにしなくちゃ、それが幼き私の命題だった。

夫婦喧嘩が怖くて怯えている私の耳を、兄が塞いでくれた幼い頃の記憶もある(こういう優しい記憶が私を苦しめる皮肉)。

父がよく「母は瞬間湯沸かし器だから」と言っていたが、本当にそんな感じ。母はスイッチが入るとブチ切れ、父を巻き込み誰彼構わず当たり散らす。

当然その黒い感情は父へ伝わり、なぜか私か兄が父母から怒られ(八つ当たり)、叩かれ(サンドバック)、何の理由で怒られているのか、もはやわからないが謝ることでしか、怒りを沈める方法が分からないので、必死で泣いて謝った。

母が憧れた習い事の数々

私がしたいこと、ではなく母の憧れていた「お稽古ごと」を習わされていた。

だけど母の中では私がやりたいと言ったから習わせてあげた、という物語にいつの間にかすり替わっていて、やりたくない習い事を延々10年ほど続けた。

怒られながら(興味ないから先生も呆れる気味)、やめたいと訴えても「あなたが習いたいと言って始めたんだから中途半端に投げ出しちゃダメ」とさらに怒られ、やめさせてもらえなかった。

父に訴えるも「お母さんも頑張ってるんだから、もう少し頑張りなさい」と諭される始末。

一体母が何を頑張るの???(言えなかったけど思ってた)

父は、母との喧嘩を避けたいだけだった…(ずるいなぁ)

あなたは幸せよ、という洗脳

「こんなにしてもらえてあたなは幸せなのよ」「感謝するのがあたりまえ」というメッセージを繰り返し発信され、飴と鞭で洗脳され続け…

気つけば母の言うことは間違いない、

母の言うことを聞いていれば母はご機嫌でいてくれる、

母の望むようにできない私の方がダメなんだ、と

がっつり洗脳され「依存」状態になっていた私。

子供の頃、毒親なんて言葉、知りもしなかったから、これが普通なのだと思ってた。

悪性腹膜中皮腫という希少がんの宣告を受けた日ですらこの返答な「親」なのにだ。やっぱりおかしいよ、お母さん。

母はお墓参りが大好きだった

お盆、お彼岸はもちろん、月命日も私たち家族を伴ってお墓参りをしたがる母。遠縁の親戚も入れて、三箇所めぐる。一箇所すごく混むので、朝6時に車に乗り込みお墓へむかう。毎月1回から2回はお墓参りへ…

みんなそんなに行くの?多くはないかい??

※義父が眠るお墓は、このお墓ツアーの1箇所から5分ほどの場所にあるのだが、夫の事を忌嫌い下に見ている毒母から「義父の墓参りに行きたいなら、別の日にあんた達だけで行きなさい」ときつく言われているので一度もこのツアーにオプションは付かなかった。

墓守として孫を養子にしたい、と言われた

まだ私のがんがわかるずっと前、子ども①②のどちらかを「養子」にほしい、と相談されたことがある。

「何で?!」と聞くと、

毒兄は独身で海外在住(と書くと聞こえがいいが親から逃げた)しているし、今後結婚したとしても年齢的に子どもは期待できないだろう。

そうなると父方(父は長男)の墓を継ぐものがいないし、名字も絶えてしまう。

だから「二人子どものいるあなたのところから、一人養子にほしいの、考えてみてくれない?」と話を持ちかけられた。

えーと、おじいちゃんとおばあちゃんが、「父母」になるんだよねえ、いやそれはないわー、と笑って断ったが、数回打診されたので結構本気だったのだろう。

(怖いよぅ、墓守のためって、うち普通のサラリーマン家庭じゃん…すんごい土地持ちとかでも、会社経営してるわけでもないよ…マジで)

先祖代々の土地と墓と名字を継がせたい毒母

なぜ母がそこまで墓守と後継ぎを欲しているのか、私には理解できないが、

長男の元に嫁いだらそれが義務であり、つとめなのだそうだ。

親の介護もセット、そして「親の介護をした人が全財産もらえる」ルールと言っていた。

だからだろうか?、孫(子ども①②)に何か買ってあげるたび

「おばあちゃんと仲良くしてたら、こうやってまた好きなもの買ってあげるからね。だからおばあちゃんが一人になったら面倒見てね。そしたらこの土地全部あげるわよ、うれしいでしょう?」(いや、本当普通の家庭だからね、何なら家も古いし…)

私と子ども①②が毒母によく聞かされてた台詞…。

お母さん、本音はね私も子ども①②も嫌だったんだよ?割とまじで怖くて引いてたの…あのねっとりした執着は怖くてかなりヤバかったからね?

毒兄は日本から早々と逃げた

そう、毒兄は私が物心ついた頃にはすでに、呪詛のように「あなたは長男」「あなたは後継ぎ」「家を継いで同居するのよ」と言われまくっていた。

毒兄とそのことで話し合ったことはないが、家庭内がゆがんでいておかしい、ヤバイ、と言う話はしたことがある(母が原因=毒親である事は共通認識済み)。

毒兄はアラサーで日本を飛び出し、「長男」の呪縛から一抜けた。

そこからだった、跡取りに関して急に私にシフトチェンジしたのは。内心「やられた」と腹立ったし、面倒になるなと思った。

外では面白くて品のある母

その人物像は多分今もぶれてないと思う。

母は、他人には菩薩なみに「いい人」にしか見えない…優しく思いやりがあり謙虚で、そしてお茶目な可愛いおばさま。うん、そんなところだろう。

想像するに「菩薩」を演じるが故のストレスの発散が、身内であり娘だったのだろう。ありがちだけれど、誰得でもない負のループ。

私からみた実像を友人や松一次女に伝えても判で押したように「うそだー」と返ってくる。母は「いい人の母の部分のみ」で接しているのだろう。毒親だとバレぬよう、毒のかけらすらこぼさず

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続きます。

by 毒親育ちmochi