母を父を、毒親と呼ぶ切なさ

母を父を、毒親と呼ぶ切なさ

好んで、父母を毒親と呼んでいるわけではないが

私の育った環境は、反撃できないと分かっている弱い子どもをターゲットにする悪質な「いじめ」が、家庭内で起きている状態だった。

暴力であろうが、暴言だろうが、無視だろうが、

自力で生きていかれない年齢の子どもに行うのは「虐待」以外の何物でもない過去。

「毒親」「毒父」「毒母」と私が呼ぶのか

幼かろうが、自尊心はある。

しかし「毒親」は子どもが自分の力で手に入れた喜びを、ことごとく「打ち砕く」言葉を投げつけ、心を折り続けるのだ。

そして「毒親」は、自分の心が傷つくことや、ストレスに対してことごとく弱い。

だから、横でのほほんと本を読んでいる幼き我が子に「あんたは気楽でいいね」と言葉で傷つけ、同じ土俵へと引き摺り下ろすのだ。

「幸せになろう」と思っていたはずが、気付けば「同じ位置の不幸のラインで並ぼうよ」とひっぱり、その場へ立たせるのだ。

何度か、父と母と「話し合い」を重ねてきたつもりだった

あの頃は、話し合っていると思っていた。

本来、話し合いとは、互いの意見を交換し、より良い関係にするため理解を深め、落とし所を決める事なのではないだろうか。

残念ながら「毒親」家庭では、決してありえないことだが。

「親」は誰よりも偉く、家族の頂点に君臨しているのが「普通」であり、「親」と話し合うことは、「親に意見(文句)」をいう親不孝者と父母は考えていた。

アラフォー、アラフィフ、になり心の不調を感じ、

親が「毒」だったんだ、と気がつく人が増えているように感じる

実際「毒親」関係の書籍、SNS発信が15年程前に比べて格段に多く、「毒親」という言葉の認知が広まった気がする。

私の世代の親は、「親」は絶対的な存在であり、子どもに舐められてはいけない「教育」、を実践してきた世代だ。それに異を唱えるつもりはない。

ただ、普通の家庭と、「毒親」家庭での「親」は絶対」、の意味は全く違う。毒親家庭には、この絶対に「愛情」が含まれず、ただ怒りを剥き出し、恐怖を植え付けるのだ。

「だからお前はダメなんだ」

この言葉が心に刺さってずっと抜けずに、傷を抱えながら社会へ出なければならない。

じゃあ、社会へ出たらどうだ、

少しの失敗や、人の言った何気ない一言に、裏の気持ちを考え、正解がわからないまま、常に正体のわからない「不安」を抱え、自信なさげに生きていくのだ。

父の生まれた時代背景、母の生まれた家庭環境、

当時は結婚し家庭を持ち子どもを産んで一人前という社会的価値観、子どもは2人ないし3人、そして家を購入する。これが幸せのモデルケースだったのだろう。

女性は専業主婦になり子どもを育て、男性は高度経済成長期に残業を物ともせず働き、日本の社会を支えた歴史があって、現在があるのだ。

今のように、情報が手軽に手に入ったり、相談する窓口なども、存在を知らなければ相談すらままならなかっただろう。

そしていつの時代にも付き纏う「今の若い人たちは…」この言葉にプレッシャーを感じながら、きっと一生懸命育ててくれたのだろう。

ただ、決定的に不足していたのは「愛を育む」ことだ

これがあれば、人は何とか生きていける。我慢もできる、人に優しくできるし、努力する喜びや、お手伝いさえ嬉しいこと、自主性が育つのだ。

私は、母に何度か伝えたことがある。「私の気持ちを想像してみてくれなかな」「責めてるわけじゃなくて、嫌だと感じる気持ちを理解してほしい」と。

だがこれが難しい。

母はいつも、自分が「責められてる」「ひどい、一生懸命育てたのに」「お金だっていっぱいかけたでしょ」となる。論点が違うのだ。

環境が人を育てる、という言葉もある

母もきっと、私同様、親の愛を欲していたんだと思う。

だから歳をとり、母親(私の祖母)が亡くなっても「あの時こんな仕打ちをされた」「ひどかった」「されたことは忘れない」と、私に同じ話を繰り返し聞かせるのだ。消化できない感情を抱え続けているのだろう。

わかるよ、お母さん。私も同じだから

世の中に立派な人や、優秀な人は、沢山いる。

お母さんが、お父さんが、「ありのままの私」を「愛して」くれて、立派で優秀で人でなくても、生きていてくれるだけで、それだけで幸せ、と思ってくれていたなら、

世界中で、親だけは何があっても私の味方でいてくれたなら、私もきっと幸せだったんだろうね。

でもね、お母さん

悪いことばっかり並べて、いつまでも「黒い感情」に取り憑かれ続けるのは、人生もったいない、って皮肉にも「希少がん(悪性腹膜中皮腫)」に罹患して目が覚めたんだ。

いつ別れがやってくるかわからない「実感」が襲ってきたの。

ねえ、あなたの人生の大切なものはなに?って

決心したんだ。それこそ断腸の思いで、つらかったよ。

毒父、毒母、つまり「毒親」とはきっぱり縁を切る。

私は自分を大切にしたい。私を必要としてくれる人たちに、ちゃんと答えたい。家族をちゃんと愛したい、自分の人生を愛して生き切った、そう思える人生に変えたいって。

だからね、もしお母さんとお父さんの心から「毒」が抜けて、見える景色が違ったら、もしかしたらいつか再会できる日がくるかもしれないね。

相手にされて嫌なことを自分もしちゃいけない、って言うけれど

愛されたいなら、先ずは相手を愛さなくては何も育たないと思うんだ。

今日も春らしい陽気で、少し心がキュッとしたな。

by 毒親育ちmochi