毒親の期待する「円満な家庭」とは?

絶縁宣言をし「私は」きっぱり縁を切ったが
そうそう毒親が私を離すはずがないのは、想像に難くないだろう。
その後、私のスマホと家の電話は着信拒否をした。着拒に関して、夫と子ども①②には、自主性に任せる事にしたので、今現在もどうなのか、聞いていないのでわからない。
毒親と毒兄が話し合ったのか、それもわからないけれど。(話し合い、詳しくはこちらからどうぞ↓)
まずは、父の傘寿だが、松一次女から聞いた話では、
確かに兄は一時帰国し実家に泊まったそうだ。そして問題の土曜か日曜に(どちらかは忘れた)、松一妻宅に父、母、兄、で遊びに行ったそうだ。父と母は先に自宅へ戻り、松一姉妹と兄はそのまま飲みに出かけたと。

兄はたまに、永住先から海外へ出かける
他の国へ。日本に戻るときは実家に「1週間」宿泊する予定でチケットを手配するが、100%の確率で2〜3日ほどで、母と大喧嘩をし、大学のあった「兄にとっての地元」の友人宅から、永住先の国へと帰っていく。
母と兄も、残念ながら3日と一緒にいることが出来ないのだ。気持ちは理解できる。母が予定をぱつんぱつんに詰め込みすぎるのだ。
母は1週間の兄の時間全てを
実家に費やして欲しいのだ。墓参り、親戚廻り、そして毎晩宴を開きたい。
兄は単にホテル代を浮かせ、懐かしい友人と飲みに出かけたい。連日宴を開かれては、友人と会いにすら行かれない。
兄が出かけようとすると、母が「怒ってます私」オーラを全開にする。オーラをキャッチした兄が苛つき始める。
初めは我慢し母の言葉をスルー。それがまた、母の癇に障る。
言い合いが、怒鳴り合いになり
「もういい!いい加減にしてくれ。わかった、(永住先)帰る」「帰りの飛行機の日にちまで、まだあるじゃない」「地元の友達のところに泊まる。俺は母さんとは合わないから」
笑ってしまうほど、定型なのだ。毎度寸分違わず同じ繰り返し。
結局、傘寿を、兄も一緒に祝ったのか、そうではないのか、私は知らない。ただ知っているのは、兄が実家を3日で逃げ出し、兄の友人宅から帰国した、という事実だけ。
母はことごとく人間関係を破壊していく
年を重ねる毎に、人が離れていく。
4人兄弟(松竹梅桃)なのだが、祖父の遺産で兄弟でいがみ合い、その後祖母が亡くなり、桃四と全面戦争をおこし、絶縁関係となる。
私は祖母が亡くなって以降、冠婚葬祭以外で、母方親戚と顔を合わせる事がなくなった。
一人仲良しのいとこ(松一次女)がいるが、その事を母が知っているかさえ、わからない程、ほぼ切れている「血縁関係」。
一方的に「尽くし」、思う通りの賛美と「見返り」を貰えないと、「非常識だ」と勝手に怒り、疎遠になっていく親戚関係、友人関係。
傘寿から二ヶ月ほどしたある日
近所の道で、毒母と、真正面から出会ってしまった。
鬼のような形相で私の顔を睨みつけ、鼻が触れるほどの距離に近づいてきた。
一瞬ひるんだが、歩みを止めない私(えらい)、背後を早足で追いかけてくる母(こわい)、最後に「ふん!何様さ!」と言葉が飛んできた(激こわ)。
まずい、発作が起きそう。まただ、目の前が暗くなり、息が上がる。慌てて、小道に入り、精神安定剤を口に放り込む。万が一にと、水と薬は必ず持ち歩くようにしていて、本当によかった。
しかし、なんと、これが再び起こるのだ
翌週だったな?次は曲がり角、出会い頭だ、避けられない。
足早に角を曲がったが、やはり背後を数メートルついてくる。
「ゔーー」「ぐーー」のような、なんだろう、唸り声?を立てながら。程なく母の足が止まった。歩みを止めず、次の角を曲がる時、よせばいいのに、振り返ってしまった。
道の真ん中で仁王立ちをし、私を睨みつけ続けていた母と目が合ってしまった。大後悔、なんなんだよこれ、怖すぎて心臓飛び出そうなんだけど…
2度の出来事で私が学んだのは、水と薬は持ち歩くこと。
そして母は全く自分が悪いと思っていないこと。
父も母も「家族が大事」といいながら
家族の問題を解決するにはどうしたらいいのか?と言う事に、全くもって心を割かない。
家族の問題は、いつも「私(娘)」が引き受けてきた。家族のバランスをとるために、母の、毒母のご機嫌をとり、望む形になるように、
我慢をし、苛つく気持ちを押し込めて、嫌嫌などと、微塵も感じさせないよう注意深く、怒らせないよう、笑顔を装い、
「毒母の希望の形」「希望する円満な家庭」のために、己を捧げていたのだ。
偽物の「円満」だったって事に、いい加減、気がつけばいいのにね。
自分を幸せに出来ない人間が
他人を幸せに出来ないように、
他人に幸せにしてもらおうと期待する人間は、「今ある幸せ」に気が付けず、いつも幸せが枯渇し、追い求め、キリがない。
そもそもゴールの存在しないマラソンの、ゴールを探して走り続けているようなものだ。
生き様は、死に様だ
とある人が教えてくれた。その人がどう生きてきたか、それがわかるんだと。
別に答え合わせがしたいわけじゃない。ただ、その言葉を聞いた時、年を重ねる毎に人が離れていく母を、思い出した。
私は、今日も幸せに過ごした
いっぱい笑った。家族が、友達が、ただ元気で楽しそうにしているから、自然と私も楽しくなる。
それだけでいい。それだけで幸せ。
私の好きな人たちが、「自分」を生きている、
それだけでとっても嬉しいよ。
by 毒親育ちmochi
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