毒親に絶対的な不信感を持った出来事

- 1. 「今」を大切に生きる。
- 2. もっと以前、子供①がまだ2歳の頃
- 3. 私のわかる範囲は連絡済みだった
- 4. 日曜日、以前から母と約束していた、
- 5. 衝撃が強過ぎて
- 6. 夫が、せめてお守りを届けるのは?
- 7. 事故の事情を詳しく教えてくれたのだが
- 8. 何ができることはありませんか?と問う。
- 9. 翌日から、毎朝お父様から
- 10. 母なら、間違いなく
- 11. 彼女はたくさんの人に愛されていたから
- 12. 母に連絡を入れたら母が怒ったのだ
- 13. 夫は当然のように、
- 14. 夜、母から「結局どうしたの?」と
- 15. 信じられない、そればかりが頭の中をグルグル回る。
- 16. 彼女はとっさに、命をかけ、
- 17. 彼女にはたくさんの友がいる。
「今」を大切に生きる。
同じ「今日」が明日もやってくる「絶対」はない。
この想いは、悪性腹膜中皮腫(アスベスト由来とも言われる希少がん)の告知を受けたから、だけではない。
もっと以前、子供①がまだ2歳の頃
学生時代から仲の良い友達に子供が生まれた。彼女も母となり、頻繁に電話や、親子で遊びに出かけていた。
彼女の子が1歳になる少し前。土曜日。私の携帯に知らない番号から電話があった。
救急隊員です、彼女が事故に遭い、携帯履歴からご主人、ご両親、と掛けたが連絡が取れず、最終履歴のトップの番号にかけさせてもらいました。彼女の身内で、他に連絡先、ご存知ではないでしょうか?、と。
確かに、昨日彼女とB型ベビーカーの話をしていた。
私のわかる範囲は連絡済みだった
彼女は?お子さんは?怪我の状態は?矢継ぎ早に聞いたが、「個人情報」なので、教えられない、病院の場所も駄目、ご心配されなくて大丈ですよ、と。
彼女のお母様の通院日だと知っていたので、彼女と、ご実家の留守電に、心配なので連絡できる時で構いません、様子を教えてください、とメッセージを残した。
日曜日、以前から母と約束していた、
ランチの日。食事を終え、デパートに向かう途中、彼女の携帯から電話があり、ほっと、電話にでた。
お母様からだった。「娘が昨日事故に遭い、意識不明で、今晩が峠なんです。もしご迷惑でなければ、病院にきて声をかけてやってくれませんか?」
え?意識が戻らない?意識不明の重体?
母も知っている友達なので、日曜日でご主人いるから、月曜日とかに連絡あるよね、と話していたばかりだった。軽症だと、まさかそんな重症だとは思いもよらなかった。
衝撃が強過ぎて
何から順番にすればいいのか、混乱しつつ、母に子供①を預かってもらうお願いをし、急ぎ、夫に車を出してもらった。
病院に向かう途中、今度はお母様の携帯から、連絡が入った。家族以外面会謝絶となった、と。せっかく来てくれると言うのに、申し訳ないと。
会えなくても、何か私にできる事はないのか?彼女に生きてほしい、これ以外何も考えられない。涙は出るのに、思考は停止。
夫が、せめてお守りを届けるのは?
と。近くに有名な神社があり、今からじゃ時間内に間に合わないが、事情を話したら開けておいてくれ、祈りを込め、手に渡してくれた。
ご実家のポストに入れるので、可能なら、彼女に届けて欲しい、とお母様に連絡を入れる。
事故の事情を詳しく教えてくれたのだが
大きな事故に遭ってしまった、と。
目撃者の話だと、事故の瞬間、彼女はベビーカーを強く前へ押した。だから事故に遭ったのは彼女だけで、子供は無傷だと。
意識が戻らない。先生たちは手を尽くしてくれた。願う以外、もう方法がない、と。
何ができることはありませんか?と問う。
孫を想い、娘を想うと、娘が育てていた日常と、変わらないようにしてやりたい、と。
翌日、今度会う時あげる約束をしていた、おもちゃ・お下がりの洋服。オムツ、ボティーソープ、洗剤、柔軟剤、除菌シート。どれも彼女と、このメーカーいいよね、と話していたもの。
細々、赤ちゃん用の日用品や、お菓子。思いつく限り、段ボールに詰め、泣きながら、祈る思いで送った。
私は、この出来事で、彼女のご両親から「無性の愛」を教わった。
翌日から、毎朝お父様から
連絡が入るようになった。前日の彼女の容態を教えてくれるのだ。決して快方へ向かわない娘の様子を、辛い気持ちを押し込めて、毎日伝えてくれるのだ。
お辛いでしょう、申し訳ないです、といった日。お父様が、娘を愛してくださって、親同様に心配してくださっている方々に、感謝をしてるんです。
親としてできるのは、このくらいしかもう無いんです。ですから気にしないでください。今から病院に行ってきます、と。
母なら、間違いなく
「娘が意識不明の重体」だなんて、絶対に知らせないだろう。同じ立場なら、彼女に電話一本入れ、心配ないと嘘を告げるだろう。
彼女のご両親の愛に、本当胸が張り裂けそうでたまらなかった。
彼女はたくさんの人に愛されていたから
みんなの想いが伝わったのだろうか。奇跡が起き「命」の峠を越した。意識こそ戻っていないが、よければ会いにきて、声をかけてくれませんか?と。
明日行かれる友の中で、子供がいるのは、私を含め二人。私は母が預かってくれると思っていた。友は親が近くにいないので、ご主人に連絡入れてみる、と一旦電話を切った。
母に連絡を入れたら母が怒ったのだ
「え?なんで他人に、私がそこまでやってあげなくちゃいけないの?親兄弟でもあるまいし。勝手に決めないでよ。私だって毎日暇なわけじゃいのよ、私預からないわよ!」と。
信じられなかった。私と同い年だ。母親として言う?
毒親と言う言葉を知る1年前、十数年前の出来事。頭に血が上る、こういう時に使うのに、しっくりくる言葉。
震える声で
私「わかった、いいよ。急にお願いしてごめんね」
母「じゃあどうすんのよ」
私「夫に頼むから大丈夫」
母「え?あんた馬鹿じゃないの?へー、こんな事くらいで夫に有給使わせるんだ。親でもないのに、ずいぶんと親切なこと(ため息)。
これであんたの夫が休むって言ったら、信じらんないわ。妻の事でいちいち休むなんて、出世に響くわよ、っていうか、そんな事で休ませようとするあんたもあんたよ」
私「もういいから、ごめんね。ありがとう」と、言うので精一杯、電話を切った。
夫は当然のように、
有給申請をするから大丈夫と言った。
友に、夫が休めるから、ご主人に休んでもらわなくて大丈夫、病院の外で二人遊ばせて待っててくれるよ、と伝えたら、ご主人が一歩先に有給と取った後だった。
明日は友のご主人に子供①をお願いし、次回夫が有給をとる事でまとまった。
夜、母から「結局どうしたの?」と
電話があったから、事実を伝えた。
なぜか母は憎々しげに「あんたたちって本当、よく他人のためにそこまでするわよね。しんじられないわー」
耳を塞ぎたくなる、酷い言葉を他にも、まだまだ繰り出してくるのが耐えられず
「いい加減にして!お母さんに迷惑かけてるわけじゃないんだから、ほっといてよ」と電話を一方的に終えた。
信じられない、そればかりが頭の中をグルグル回る。
彼女の両親と、私の母、この圧倒的な「優しさ」の違いは一体何なのだ?
死の縁で一生懸命頑張っている、同い年の娘さん。年のたいして違わない孫もいると知っているのに。
なぜ、皆が彼女に「生きて欲しい」と強く願う気持ちに、母が「嫉妬」しなくてはならないのだ?
彼女を、彼女の子を、彼女のご両親を、ご主人を、皆の想いを、踏みつけられたようで、ひどく孤独を感じた。
彼女に生きてほしい、ギュッと子供①を抱きしめた。
彼女はとっさに、命をかけ、
我が子を守った。お母様は、そんな娘を誇りに思う、意識が戻ったら褒めてやりたい、と泣きながら、お願いだから、ここに戻ってこれるよう、声をかけてやってほしいと。
娘も頑張っている、孫も突然ママがいなくなって頑張っている、だから私がしっかりしないと娘に申し訳ないと。
彼女にはたくさんの友がいる。
そしてご両親はどこまでも謙虚で思慮深く、とても優しい。彼女がいると周りがパッと明るくなる理由が、わかった気がした。
ご両親に、人としての、優しさ、思いやり、何よりも「強さ」を教わった。
そして、自分の親が「おかしい」ことも確信しかなかった。
やがて彼女は、先生も「奇跡」としか言いようがない、信じられないミラクルを次々に起こすのだ。
by 毒親育ちmochi
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