毒親と契約と学費と命、天秤で測れる?

毒親と契約と学費と命、天秤で測れる?

悪性腹膜中皮腫と言われてから

心は常にまな板の上の鯉のようだった。

はじめはアスベストという物質がこの世にあること、危険を知っていながら使用していたことに怒りを覚えた。

その次に襲ってきたのは「絶望」。

次は、自分の家庭環境に、毒母に、毒父に、毒兄に、怒りを覚えた。

生きる「望み」を持たなければ楽になる、そう思った。

バセドウ病・膠原病の友がいる。彼女は残りの人生おまけみたいなもの、と笑う。

そうかアラフォーまで生きたんだ「残りの人生」でいいじゃん♪私の肩の力が抜けた。

しかし、やはり「死」は怖い

死ぬことが怖いより、死ぬまでの「苦しみ、痛み」が怖い。ピンピンコロリがいい、そんな風に死ねたら楽だろうなぁ。

ガクブル((((;゚Д゚)))))))の小鹿である自分に少し慣れた頃。

先の読めない私の人生

どうしたら子どもたちを守れるか、そう生きているうちにやるべきことを考えなくちゃ…ようやく頭が廻りだした。

まず、

子ども①はやりたい事が決まっていて、具体的な希望を話してくれるので、可能な限り支援する。

子ども②はまだ小学生。先ではあるが高校大学等進路の分岐に私がいない可能性が大きい。

子ども②が高学年の時

担任を軸に学級崩壊が起こり、授業が遅れに遅れ、遅れを補うため子どもを塾に入れた保護者が多かった。

私もその保護者の一人。

塾の保護者会に参加するうちに、大学付属の中高一貫の受験って、もし進路に迷った時付属校へ進学できるんじゃない?と気がついた私は子どもを中学受験させることに決めた。

無理のない学力のところで十分、道を照らしておいてあげたいという私の自己満だからね。

夫は勉強も大事だけど、私立は学費が高いと難色を示した(私にも使いたいと)。

受験を決めた時、母は言った。

「応援するわ」。

高校は私立だったとしてもmochiたちが払うだろうけど、私立は予定外だから、中学の授業料は私が払ってあげる。そうすればmochiは安心でしょう?

だから手紙を残して「mochiが死んだら、子どもたちを両親との養子縁組を希望する手紙」

私は不安で弱くて愚かで馬鹿だった

生きられる年月を、可能性を、考えてた。

小学生の子どもが、帰宅の遅い夫をひとりで待つのを想像できなかった。余命2年を超えて長く生きる自分の未来像がどうしても描けなかったから、私はつい手紙を書きサインをしてしまった。

母は言った、サインをしなければ孫たちの面倒は見ない、と。

サインすれば中学3年間の学費全額、さらに私が死んでも食事等の面倒もみる、これが交換条件

迷ったのは一瞬で、自らの意思でサインをした。「子どもたちをどうぞよろしくお願いします」と言葉も添えて。

子ども②が合格し、入学金を母が支払ってくれた。

次の支払いは授業料。振込用紙を差し出したら、何やらすこぶる雲行きが怪しい。無言になる母。嫌な予感。胃が痛い。

翌日、母からランチのさそいがある

マクドナルドへ行った。普段の母がランチに選ばないチョイス。嫌な予感は当たりそうだった。

母)「入学金は出してあげると言ったけど、授業料まであてにされたら困る

私)「え?中学の間の費用を全額持つから養子承諾の書類にサインしたんだよ?」

母)「そんなこと一言も言ってない、親の財布を当てにされても困るんだけど。いくらなんでも図々しくない?出してもらって当たり前って期待されても、困るんだけど」

「あぁ、まただ」そうだった

サインした私が馬鹿なだけ、母の言葉を鵜呑みにしてはいけなかったはずなのに。

つい、命と引き換えの交換条件なのだから今回は大丈夫と、母を信じた私が愚かだっただけ。

「そうだよね、ごめんね」俯き答えるのがやっとだった。

こんなやりとりを私は何回繰り返してきたのだろう。

心が引き裂かれそうな孤独感

私を守ってくれる「親」はどこにもいない事を嫌と言うほど思い知らされる。

2日後、仕事を決めてきた

幸い行動だけは早いから、これで母に負い目を感じずに済む。

そこで、毒親あるあるだ。

私が仕事に行くと「ランチ」に付き合えない。したがって昼間、愚痴をこぼす相手がいない。

それが気に食わない。

母が言う。「ねえ。それくらいの学費、あんたの夫払えないの?がんの妻を働かせるほど甲斐性なしなの?

心にどす黒い感情が押し寄せる

だから言っていたではないか。分相応な土地に住みたかったと

元々、我々の収入では贅沢な立地なのだ。

父母は、祖父母の建てた家に住んでいて固定資産税のみで暮らせているが、私たちはローンがあり、固定資産税もあり、学費も納めている。

でも、もういい

毒親に、毒母に「こう言ったじゃない?!」と問いかけたところで答えはいつも同じ「え?そんな事、この私が言うわけないじゃない?」と返ってくだけ。

母が、夫を「あんた」、私を「お前」と呼ぶことを、母のテリトリーの人は信じないだろう。母父は、いつだって、優雅で上品でアカデミックな雰囲気を身に纏って擬態しているから。

親を信じた私が悪い

散々身に染みて、わかっていたはずなのに「私の死後」を考え、毒親に「思いやり」のある対応を期待した私が馬鹿だった

たとえ親であっても、たとえ「がん」の余命を宣告されようとも親に頼った私が愚かなのだ

毒母に甘えは許されない。わかっていたのに…死が近すぎて誤ったんだろうか私は。

何度目かの、毒親の姿勢に「目が覚めた」瞬間。

大きい「瞬間」はもう少し後、今から2年前の話。

がん告知の日をうわまる衝撃波。

まさか、この年まで生きられるとは微塵も思っていなかったけど、どうやら今年も8回目の桜を見れそう♪

信じられない( ´艸`) ♡

桜は好き、でもね「絶縁宣言」「がん告知」これも両方春でね。

うーん、心に鉛を持ちつつ、桜を愛でる会を毎年開催中ってところかな。告知後8回目の春、昨年グリッタービールが面白かったが、今年は何が目玉かな♪

日々「明日を生きたかった誰か」の気持ちを勝手に背負い、大切に過ごそうと心掛けている。

心を穏やかに、私と関わる人が、心地よく過ごせるよう、感謝と謙虚を忘れずに、灯った火が消える時まで、大切に生きていこうと…

*アスベストに関係する全ての団体・患者会・家族会には属しておりません*今後も属しません*全て個人発信です*

by 毒親育ちmochi