「解毒」するために私が頑張ったことは何か?

「解毒」するために私が頑張ったことは何か?

思考を変える。

長年、機能不全家族で育ち、毒親の「思考」を、知らず知らず受け継いでいた私は、どうしても、ファーストインプレッションは「負」から入ってしまう。

それは、人との関わりにも影響があって…

会話している時は楽しいけれど、「本心はこう思っていたのでは?」や、バイバイした後、あの会話はまずかったかな?、と気に病んで、落ち込み、胃が痛くなる。

会いたいけど、別れた後の気持ちの落ち込みが嫌で、会いたいのに、会いたくない。

とにかく、周りに気を配り過ぎて、勝手に疲れてしまう

長年、毒母から

「人から可哀想と思われたら惨め」と叩き込まれていたので、かっこ悪い自分、弱い自分を見せたら嫌われる、と信じていたから、本音で人と話せない

こんな事言ったら、「弱み」を見せる事になるんだ、だから「上手くいっている自分」だけを「語らないと病(びょう)」、にかかっていたようなものだ

結局私も、他人によく思われたくて、気を配り、勝手に疲れ、不機嫌な気持ちを自分で消化せず、夫に当たる事で、有耶無耶にしていたのだ。

素直にあやまりたくても、

謝る事=負ける事、と教えられてきたので、仲直りさえ上手に出来なかった

人の幸運を素直に祝えず、心の中では妬んでいたし。人と積極的に関わると、気を使い過ぎて、疲れてしまう。こんな私なんて、とひがんで、ひねくれていた。

なりたくない毒母と同じ事をして…、負のループ。

人に甘えるのは、弱みを見せる事。

人に不幸を語るのは、惨めと思われる。人に泣き言を言うと、心の中でお気の毒にと思われる。みんな、表と裏の顔を持ち、私のいない場所で、悪口を言うもの。

世の中はそういうルール。「親、兄弟」以外に、本心から心配してくれる人間なんていない。

だから「親を大切にしろ」「世間体を気にして」「余計なことは言うんじゃない」と、呪いの言葉を私に刷り込み

「私の築いた世界の住人」とは距離を取れ、親より親しくしてはいけない。そう何度も繰り返し言い聞かせてきた、母。

まずは、考え方、捉え方、

そこから変わらなくては駄目だと思った。心の距離を上手に縮めたい。

幸い、私には「沼(推しのいる生活)」があったから、沼友(ぬまとも)とは、基本、推しを語り合うので、気疲れが少ない。

1番気を使ったのは「ママ友」

どうしても上手い距離感がわからない。子供を介しての「友」、この感覚がいまいちわからなかった。

だから聞き役に徹して、自分から会話の糸口が掴めない。嫌われたらどうしよう、なら黙っているのがラクだ。

でも、うなずくだけの私では、会話の引き出しを怖くて開けられない私とは、きっと、一緒にランチをしても楽しくなかったのだろう

だんだん、誘われる回数が減っていき、大きな集まり以外声が掛からなくなっていった。

ほっとした。

結局は、私も「身内」にしか、思ったことを素直に言えない。だから距離も縮まない。でもそれなら、傷つくこともない。

その点、沼友は本当に楽しかった

あ、今も楽しいよ。夫の経歴や、子供の学校の成績とか、私以外の情報交換がいらない。

年齢の上下も関係ない。同じ「推し」がいる。それだけで仲良くなれる。話題はもっぱら推しの話。熱く語れる、素晴らしき世界。

先ずは、そこから徐々に「親」の介在しない「私の世界」を構築してみた。

えいやっと、浅い沼から、深い沼へと、一気に飛び込んだ

結果オーライ。

少しずつ、人との距離の取り方がわかってきた。親に踏み込まれない世界があり、没頭することで、今度は親との心の距離ができてきた

ゆっくり、焦らず、「距離」を掴む練習をした。

かっこ悪い、弱い自分を、笑って話せるところから始めてみたら、案外悪くない。むしろ何だか嬉しい。

なんだ、こうやって、友達と仲良くなるんだ。知るまで時間がかかちゃったけど(笑)。

今は、相手の本音を推し量り、

勝手に忖度するのは、無駄な心遣いだ、と知ったから、思ったことを言っても、帰り道胃が痛くならない

私が簡単に相手を嫌いにならないように、相手もすぐに嫌いにはならない。勝手にクヨクヨして落ち込む事がなくなって、生きやすくなった

思考回路を「負」ではなく「正」へ

初めは難しかったけど、噛み合わせがうまくいくと、歯車も順調に回り始める

一度回り始めたら、どんどん「正」の思考回路になってきた。

生きづらかった過去の自分が嘘のよう。はじめはちょっとキツイけど、大丈夫。

楽しいよ。

by 毒親育ちmochi