毒母の脅しの結果、義実家と絶縁

毒母の脅しの結果、義実家と絶縁

こんな世の中だ、私の最大の後悔

取り戻したくても不可能な罪を残したい。後に何かに役立つかもしれないから。

言い訳は、最後、事実を並べよう。

私はずっと毒親家庭に育ち、

毒母と共依存のまま結婚をした

母は、夫が長男であること、そして家族が「普通」に仲良しなこと、そして私が義母に懐き喜び遊びに行っていたこと、これが気に食わなかったのだ。

結納、結婚式、結婚後、ことあるごとに私に「義実家」の「負」の面に目を向けさせた。「長男の嫁」は嫌われる、と。

結婚後、新たな「洗脳」を開始した

結果、今まで、気にしたことのなかった「負の面」が見えてきたのだ。毒母に、見るように徹底されたのだ。

おおらかな義母→がさつ、豪快な義父→粗野、と言うように、

私たちとは住む世界が違う人、品がない、礼儀を知らない、マナーすらわかっていない、子離れの出来ない駄目な人たちだと。

母越しに見る義実家は、

嫁いびりをする意地悪な義母、品のないブルーカラーの義父、いつも運転手としてついてくる、親離れのできない義弟、に見え始めた。

本当は、裏表のないおおらかな義母、豪快でワインは苦手で焼酎と野球が好きな義父、不慣れな土地を運転するのが不安だという義父を思い休みを潰し実家まできてくれた義弟、

いつ行っても、家族みんなが私も昔から家族だった?と錯覚する程、自然に受け入れてくれる、愛溢れる、典型的なサザエさん一家のような、ほっと寛げる素晴らしい家族

ただちょっと、高級なお店や、洒落たカフェが苦手な義実家だ、というだけ。

たったそれだけの事実を、母は毛嫌いした。うっすら気づいていたのだろう。

私の「心」が義実家へ移るのを。だから母は全力で「止めた」かったのだ。

「私(毒母)と義実家、どっちが大事なの?」

と、私に迫った。

結果、孫の行事の決定権は「常に毒母」しかしお金は折半、そして場所も実家寄りの、高級レストランの「個室」。

新築祝いをする際は、「頭金を出した」んだから「絶対にあんたの両親を新築の家に一歩でもあげたら承知しなからね!」と夫にきつく言い聞かせ、揉めに揉め

新築祝いを行わず、私の実家で

近所なのに「我が家へはあげず」子供の日のお祝いだけ、行う事となった

購入が春だったので、GWに新築祝いと子供の日をしよう、と提案したのだったが、毒母が「子供の日の祝い」を「実家」で行う、だから「新築祝いは別の日にしろ

「お祝い金だけもらえ」「長男だ、嫁の実家が出しているのだ、義実家も出すのが当然だ」と、

流石にそれは受け取れなかった。もらえるわけないよ、新築に呼んでないんだもん。

毒母は絶縁直前まで、新築祝いを出さなかった酷い義実家と罵っていた。

その後、義両親を一度も我が家へ呼んだことがない。

義父が認知症になり、孫に会いたいと何度か言われたが、会わせる事を禁られた。会わせたいなら、今すぐ全額頭金をここに置いてからいけ、と。

私の最後の義父の記憶は、認知症になるずっと前、孫の顔を見たのは片手程度

義祖母の節目お祝いも夫だけ参加した。私たち一家で行くなら、親子の縁を切って、頭金を返してから行け、と。

お正月に義実家へ行ったのも、数回だったと思う。毒母は常に「夫のみ」行け、もしくは孫を置いてお前たち二人だけで行け、と。

私と義実家の楽しい思い出は

「結婚前」と「絶縁後」。空白の10数年があるのだ

その間に、夫の兄弟親戚に子供が生まれても、会いに行くことを禁じられ、法事でしか会った事がない。

空白の間に、義父が亡くなった。

毒親との絶縁前、逆に、義実家とほぼ絶縁状態にあった

信じられないだろうが、

義父は子供②を実際に見ることなく亡くなった。写真を送る以外禁じられていたのだ。

そして、義父のお葬式が、子供②の初披露となる。その時はもう小学生だった。

だから、義母は、私が実家と絶縁していること、私が悪性腹膜中皮腫という希少がんであること、これらを知らない

再び以前のように、義実家へ遊びに行く事など、ましてや受け入れてくれなどしないと思っていたが、何もなかったかのように、結婚前と同様に接してくれた義母たち家族

私の最大の後悔は、

可愛い盛りの頃、もっともっと義実家へ連れて行ってあげたかった。義父に会わせてあげたかった。

息子が購入した家を見せてあげたかった。きっと誇らしかったに違いない

空白がなかったかのように、変わらず優しい義母に、昨年のお正月、後悔の念をを伝えた。

何もかも遅いのに、謝っても義父は戻ってはこないし、懺悔など、自己満足でしかないのはわかっている。だがちゃんと謝りたかった。

毒親と絶縁し、

やっと自分で考え、判断できるよになった時、取り返しのつかない事を、私はしたんだ、と本気で解った。

本当に愛を持って見守ってくれていたのは、義実家だったのだ。

気がつくのが遅すぎた。

夫にも子供たちにも「存在」したであろう「楽しい思い出」を、私が弱いばかりに、身勝手に奪ったのだ。母と同じ、じゃないか。

それでも尚、夫は変わらず私を大切にしてくれる。そして義実家は空白を感じないほど、自然だ。子供たちも行くのを楽しみにしている。

愛ってすごいな、それしか浮かばない。私など、毒母ルールでいうなら鼻つまみものなのだ。責められて当然なのに、いつでも優しく受け入れてくれる。

そう、私は「夫と義実家」に大きな愛で守られていたのに。気づきもせず、毒母の語ることが真実だと疑わず、己の頭で考えもせず、平気で傷つけ、のうのうと生きてきたのだ。

後悔しても、もう遅い。

どれだけ謝りたくても義父はもうこの世にはいない。そして、夫と義実家との縁を切らせたのは私なのだ。

私が弱く、心が自立していなかったから、毒親から縁を切られることが死ぬほど怖くて、逆らえなかったのだ。

だが、毒親のせいにしたところで、私が犯した罪が消えるわけではない。

私が人間として弱くて愚かだったのだ。本当に大切なものがわからなかった。

毒親と同様、私も救いようのない馬鹿だった

早く気がついていれば、幾度も後悔する

変わる勇気があれば、違う未来があったのに。皆の幸せを奪った私の罪は許されるものではない。

だからせめて何か義実家のお役に立てることがあるならば、喜んで参じたい。逆に言えば、それくらいしか、私に出来ることなど、残ってはいない。

こんなどうしようもない私なのに

いつも優しい義母に、申し訳なくも甘えてしまう

だから学ぶのだ、「正」のバトンを子供たちに渡すよう、私が生きている限り、努力をし続けなくては、いつか義父に会えたとき、あわせる顔がない。

両手を精一杯伸ばした範囲でいい、謙虚に、慎重に、2度と同じ過ちを繰り返さないよう、心を尽くしたい。

こんな私に愛をくれた皆に、幸せの恩返しが出来るよう、強くなりたい

そうしたら、少しは、私が生まれた意味ができるかな?

by 毒親育ちmochi