虐待を乗り越え生きるための武器

虐待を乗り越え生きるための武器

生きる意味

普段は気にしないが、ふと考える時が、誰にでもあるのではないだろうか。人は何のために生まれ、生きて死ぬのだろうか、と。本当、ふっとね(笑)。

「死ぬ気になれば何でもできる」

よく聞く言葉。でも、それは「愛」にふれ、自己肯定感の育った人の言う言葉。(あ、毒親は例外ね。彼らはよく言うからね)

世の中には、「死」の方が遥かに楽になれる、酷な現実を生きている人もいる。

そして、生きたい願い、様様な不条理、それが生死。

私は「たまたま」外の世界に「逃げ場所」が見つかったから、自己を傷つけずに生きられた、それだけに過ぎない。

精神的、肉体的、性的、

どんな種類であろうと「虐待」は、加虐側の精神がまともではない。人間として未熟だから、弱者に狙いを定め、うさを晴らすかのように、「心」を持つ「人間」と認知する能力に欠け「暴力」を振るうのだ。

虐待される側、こちらは「恐怖」で「心」を支配されるから、逃げたくても、逃げることすら「怖くて」で、暴力から逃げる術が無いと、「生きる」ことを半ば諦めて、自発的に行動することを思い浮かべることができない。

それは、諦めの境地に住んでいるようなもの

被虐待児はきっと「死ぬ」方が辛い

と考えるだろう。それはきっと「健全」。でも私はそれが「正解」だとは思わない。

人には人の数だけ、様々な事情があるのだ、ただ語らないだけの話。隣の芝生は青く見える、ってだけに過ぎない。

「知能」と「心」を持つならば

さらにそこに「想像力」をプラスしたら、それぞれの立場に立って「想像」する事ができるはずなのだ。

想像力の幅が広がると、うかつに「健全」を人に差し出す事など、簡単には出来ない事に気が付く。

人生は一度しか体験出来ない。想像力に限界がある、だからこそきっと、世の中には創作物があるんだと思っている。映画、ドラマ、小説、漫画、アニメ。RPG(ロールプレイングゲーム)だって馬鹿にしちゃいけない。

家庭が辛く居場所がなかった時、

女性小説家、山田詠美、鷺沢萠、吉本バナナ、江國薫…、彼女たちが描く女性の自由な生き方を読み、心の支えであり、目標ができた。

私もそんな大人になりたい。

本も漫画も、友人知人と交換しあい、様々なジャンルを読み漁っていた。没頭し、作家の「人生観」、考え方の違いを知るのが大好きだった。

知識は「自分を守る武器」だと思う

今のようにSNSで同志を探せる時代じゃなかったから、「私だけじゃないんだ」を見つけると、

「違和感」「嫌悪感」を持つ自分が「普通」なのであって、家族が「おかしいのでは?」と、

「自分の感覚がおかしいんじゃないんだ」を何度も確認したくて、繰り返し読んだ記憶のある、様々な本、そして欠かせない音楽(歌詞重視派)たち

「がん」にならなければ、

毒親・毒兄、とも「我慢の微笑み」で付き合っていたのかもしれない。

昔母が言っていた、孫たちが社会人になったら、「形だけ離婚」して旧姓に戻れば、実家の「お墓」に入れるから、それもいいわよね、と。

やはり加虐側は、相手を「心」を持ち「感情」のある人間、とは捉えていないのだろう。私には1ミリも思い浮かばない発想だ。

さあ、私が「お墓参り」が苦手な理由。

それはもちろん、母が「墓守」に固執しているのもあるのだが、(墓守の件、詳しくはこちらから↓)

「役に立たない娘」という呪いの言葉

一番の理由は「がん」と知り、手術前にお墓参りに家族+両親で行った時、無邪気に子供②が手を合わせている姿が「がつん」と心に突き刺さったのだ。

あぁ、最悪2年後には、この子は「私」に手を合わせる事になるのだ、そう思ったら、その姿を見るのが辛くて…、それ以来どうしてもお墓参りが「苦手」になった。

あと一つは、母がよく「お墓を大事にすればご先祖様が守ってくれる」と言っていたが、「希少がん」になったじゃーん、これも少し混ざってるかな(笑)。

母に伝えた事がある、

「子供たちが手を合わせる姿をみるのが辛い」「気持ちが不安定な時はお墓参りパスしたい」と。少しの期間、母も気を遣ってくれていたが、

やがて、「普段どれだけ色々してあげてると思ってるの?お墓参りくらい気持ちよく付き合いなさいよ!」と、毎度の強制行事に戻って行った。

今でも、実はお墓参りは苦手。様々な思いが交差して、どうしても胸がざわつく。「死」に近いものに触れるのが怖いのかもね。

苦手といえば、

人が楽しんでいる姿に「ひとこと」言いたい人たち、これも苦手。

迷惑行為ではなく「自由」を謳歌しているだけだ。いいから、ほっておいてくれ、と思ってしまう。

私は、人がどんな服を楽しもうが、どんな生活スタイルを追求しようが、それこそ沼にからめとられていようとも、何も言いはしないよ。

だって「楽しみ方」は人それぞれ

これが「正解」。人生は自由に生きていいのだ。それこそが大人の特権。

他人に不快感を与える楽しみ方は「自由」とは呼ばない。その違いがわかって行動している人間に「難癖」をつける、「遠回し」「聞こえるような」嫌味を言う人が苦手。

笑顔で、そっと距離をとる、そーっとね(笑)。

そうやって暮らしてきたら、周りは何かしらの「沼」にはまっている人たちが集った。うん、心地いい。

私がブログに気持ちを綴っているのは、

「私だけじゃない」を様々な創作物で知る事で、暗黒時代を何とか乗り切ったから。(子供たちへの思いも含)

もしどこかに、私と似た経験をしていて、「苦しい」「今」を生きざるを得ない人がいて、「一人じゃない」と思う事で、少し心を緩めてもらえたら

祈る思いと願いを込めて…

by 毒親育ちmochi