毒親は自立を邪魔する杭を心に打つ

自立とは
「自分以外の助けを求めず、援助を受けず、自力で全てを行う事」
では実際、どういう事なのか?
生命誕生、ここに「自分の意思」は介在しない。やがて「自分の意思」で「生命を全うする」事を担う日がやってくる。
文章を眺めても、やはり「生きる」「意味」に「自分」は関わらず、
なんなら「勝手」に「世」に誕生「させられ」、ある年齢まで達したら「後は自力で生きろ」と
誕生「させた側」の「勝手な行為」により「生きている」としか思えない。
冷ややかに自分の命を「親の自己満足」
もしくは「介護要員」、あるいは「何となく子供は二人」くらいの軽い気持ちで誕生「させられた」んだと思っていた節が否めない。
いや、違うな。年頃に結婚をし、一男一女をもうけ、持ち家を購入する。これが幸せの「定番」であり、「母の思い描く安定の女性の人生」だから、定型に沿って産んだんじゃないか?
深く考えず、私も「定型」沿い
勝手に「母」に忖度をし、夫を巻き込み「家庭」を築き、しかもこの世に二人、人間を誕生させたのだ。
母の希望通り「娘の幸せの定番」を歩んでいたはずだが、なにかがチグハクなのだ。しっくりこない。「幸せ」が薄い。
なんだろう、がつんとやってこない「幸福感」
「母子一体」だったから
子育てをしていても、常に「母の評価」が気になる。
自分の選択に、母が「OK」を出してくれないと、激しく動揺し、「母の正解」を必死に考え、結果やはり忖度をする。
ずっと、親として自信がなかった。夫の意見より、母の評価が気になるのだ。
今更ながら、と子供たちは思うだろう。本当に申し訳なかった。
1人で生きていく力のないものが
安易に生命を増やしてはいけないのだ。こんな基本的で当たり前の事実に気がつくのが遅かった。
今ならわかる。
子供を産むということは、最大限の「愛情」を子供に注ぐ「覚悟」と「責任」を持たなければならない。
自分の手の中にいるうちは大丈夫、外敵から「自分」が守ればいい。だが、「永遠」に守り続けることは難しい。当たり前の事実に、当たり前に気がつかなくては駄目なのだ。
子供が、自分1人で、
「自分の人生」を生きる力を育てなくてはならない。拙くていい。だれもが親になるのは初めてだ。
幸せも不幸も、いつまでも親が矢面に立ち、守ることは不可能だ。愛していればこそ、「自立」できるよう、1人で立って生きていけるように、愛を持って育てなければ、誕生させられた子供が可哀想だ。
自分が半世紀近く生きてきたからなのだろうか、それとも毒親と絶縁したからなのだろうか、
各々が自分の人生を謳歌し、時に疲れた時
「相手の顔色を伺わず」「時に不機嫌」で「時に八つ当たり」、それでも「今調子がよくないんだな」と受け止めてくれる場所、それが「家族」なんだと、やっと理解した。
私と夫と子供たち、チームではあるが、個個なのだ。
これが「普通」で「健全」な家庭環境なんだろう。
だから友人は「実家って何にもしないでいいからラクー」などと、信じがたい事を言うのだな(笑)。
私の場合、むしろ夫の実家が「安心」「安全」「何もしなくてラク」なのだ。
お義母さん、ありがとう。甘やかしてくれて。感謝しかない。
毒親あるあるだが
毒兄が離婚をして20年以上経つ事、そして私が悪性腹膜中皮腫(希少がん)だという事、夫・私側含め、親戚一同へ教えてはならない、恥なのだと。
したがって、互いの親戚一同、兄は結婚し続けているし、私は健康だし、毒親と絶縁などしていない設定だ。知っているのは、仲良しいとこちゃん夫婦のみ。
絶縁し、4年目になるしなぁ
何かのきっかけで話す事があるのかな?でも今更、あえて悲しい思いをさせるのもなんだかなー、話したところで、誰得にもならないし、これが正直な感想(笑)。
根っこに「愛されている」「実感」があるからか?「しっかり」「生きて」心配かけたくないし、悲しませたくない、と思っている。
毒親は「甘やかせてはダメになる」
と私に言っていた。それは本当。
親がラクをするため、一貫性なく、許したり、叱るのは、子供の自立を邪魔する行為。
でもね、子供が「怒る」「泣く」「元気がない」時に、心が解れないかな?と思って、黙ってハグしたり、好きなおやつやご飯を用意するのは、ありだと思っている。
親に話して「不安」を一旦「預け」「心が軽くなる」=「安心」。
これは甘やかすのではなく
ありのままの本心をぶつけても「受け止めてくれる人がいる」、これが自己肯定感を育てる行為。
子供を育てる上で、間違えちゃいけないのは、「育ててやっている」のではなく、
楽しさ、幸せ、痛み、悲しみ、諸々の感情を「一緒に分かち合う」「互いに個々の人間」なのだ、という事。これを忘れてないけない。
私は精神が自立していなかったから
どちらかといえば、夫と子供に甘やかされ、頼って生きてしまった。
子供たちが成人する前に気がつき、家庭を再構築する事ができて、なんとか間に合ったかな?
私が親を選べなかったように、子供たちも同様に「親を選べない」。負のバトンを渡したくない、間に合っていれば良いのだけれど。
やはり私は自分に自信がないのだよ
子供たちの人生が少しでも「生きやすい」道になれますように。
明日もまた「今日」を大切に、少しでも私にできる事を考え、自分をアップデートし続けたい。
誰にでも等しく、人生に終わりはくる
だからこそ、精一杯両手を広げた範囲だけでいいから、大切に、大切に、感謝と謙虚を忘れずに、
ありがとう、あなたたちがいてくれて、私は本当に幸せです。
「今日」は腹筋が割れるんじゃないか?と思うくらい、「口笛」で笑い転げました。
楽しかったなぁ。明日も1日を大事に「今日」を過ごします。
by 毒親育ち mochi
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