毒親は孫にまで毒を吐く

毒親は孫にまで毒を吐く

今年(2020年)

子ども①への手紙とお金がポストに入っていた。

開封するか否か、については、子ども①に判断を委ねた。私は口出ししないから、好きなようにして、と。

子ども①が、中身をみて判断したい、と開封をしたら、現金と、父からワープロで打った手紙が入っていた。

子ども①へ贈るおじいちゃんからの言葉

「神・義・礼・知・信」この言葉を深く理解して行動すれば、人として信用・信頼され、社会に貢献・活躍出来る人になること間違いなし。

【お祝い(現金)】おじいちゃん、おばあちゃんからプレセント。記念に残るものに使って貰うと嬉しい。子ども①のこと、おじいちゃん、おばあちゃんは忘れないよ。愛しているよ。」

A4用紙に印刷されていた文字。

用途について「希望」を書く点…私なら、現金を贈り用途について言及するのは野暮だと思うが、父らしいな、といった感想。

子ども①は熟読した。

本音は「現金だけ貰いたいー」だった(笑)。すかさず子ども②が、「現金もらったら、お墓参り2回、仏壇の掃除2回、食事の付き合い3回、かな」と口を挟む。子ども①「だよねー、貰うだけじゃすまないよねー、やっぱり辞める」と。

「気持ちだけ受け取っておきます。 子ども①」と手紙を添えて、夜、夫が実家のポストに返却した。

子ども②が、今まで

「ケンタッキー買ってあるから、取りにおいで」「マックのハンバーガー買ってあるから…」にウキウキ取りに行ったのは、初めだけ。

行きたくない気持ちが確信に変わったのは3回目、必ず、おばあちゃんの「愚痴」、おじいちゃんの「科学知識」、仏壇の「掃除」、これらを2時間ほど付き合わなければ、お目当てのブツを受け取れない。

だから子ども②は、毒親を信用していない。「言葉」以上の奉仕を強いられるのを経験則で学んでいる。

子ども①は、私ががんの手術で入院をしていた頃、中学生だったので、部活があり、毒親との接触が少なかった違いがここに出る。

私が「悪性腹膜中皮腫」の手術で

約一ヶ月入院していた時、部活後友達と話しをして帰りが遅いことが度々あったそう。

その時母は子ども①に「ママ(私)が死んでもいいの?あんた(子ども①)がこんなに言う事を聞かなくて、おばあちゃんを困らせて、ママ(私)が死んだら、あんた(子ども①)のせいだからね」と言ったそうだ。

さすがに、重すぎる言葉。

10年と少ししか生きていない子供に向ける言葉ではない。子ども①から聞いた時、心底申し訳なく、次入院することがあるなら、絶対に毒母、毒父には頼らない、と決めた。

人生の経験値の多い人間が、少ない相手に「死んだらあんたのせいよ」など、「弾み」で「うっかり」投げつけてはいけない、言葉の暴力だ。

ポストインがあり、返却した翌日、

良い天気で、夫と散歩に出かけようと、遊歩道に向かった。

あろうことか、毒親とまたもや、角で出会うのだ

毒母、毒父の二人は、子ども①からの手紙が返却された翌日でしたが、笑顔のまま、私たちを「無視」し、歩いて行きました。

これが「答え」で正解なら

これ以上の「安寧」はないな、とほっとしたのが事実。

無視をする、これは「接触をしない」と「理解」してくれたのだ、と思いたいから。(接触に関して、詳しくはこちらからどうぞ↓)

毒親との決別は、苦渋の決断だ

子ども①②は

夫の実家には喜んで遊びに行きます。私の実家には、昔から「面倒臭い」と言いながら行っていました。

なぜ違うのか、それは私にもわかります。「見返り」を求めない、からこそ「居心地がいい」。単純にそれだけです。

居心地の良さ、それだけで、

「家族愛」を感じます。だって、変な気を使わなくていいんですから。

世話を焼いてくれる、おじいちゃん、おばあちゃん、の存在は、「心底甘えられる」親とは違う「心地良さ」なのです

大層な事など誰も求めていません。「ありのまま」の自分を「血が繋がっている」ただそれだけで、「愛してくれる」事が嬉しい。

「そのままの自分」を愛してくれる存在に、「何か」「相手が喜んでくれる事」を、自分もしたいだけです。

それを互いに積み重ねる事で、「愛」という「絆」が育つのです。

以前「mochiさん、

お料理とかお家も綺麗そうで良いお母さんっぽいですよねー」と、後輩に言われました。

私は「違うよ、いいお母さんとは、子どもが話し始めたら、作業を中断して、子供の話を笑顔で聞ける人」と答えました。

部屋も料理もそこそこでいいのです

子どもの話を聞いてあげられるのは、ほんの20年ほど、人生80年だとしたら、4分の1しか無いのです。

私はそこを大切にしたいと思いながら、日々生きています。

私がこの世から消えても、

応援団の団員だった事、覚えていてくれたら嬉しいな…

心から打ち解けあえる人と出会えますように、どうか笑顔の多い日々を送れますように、

親が子どもに願うことは、元気で笑顔でいてくれること、それだけ。

by 毒親育ちmochi