毒親の希望する孫の進路とは

毒親の希望する孫の進路とは

「傘寿春の乱」「翌年の絶縁宣言の春」

ときて、もう一度翌々年の春、夫の勤務先に電話があった。

父「子ども①の進学について、結果はどうだったのか?待っていたけれど連絡がないのだが、一体どうなっているんだ?(連絡するのが当然との事)」

夫「以前も言いましたが、こちらから申し上げることがない限り、連絡はしません。特に現在緊急でお知らせすることはありませんが」

父「夫くん、逃げちゃダメだ!(シンジ君かな?)、そうやって君は家族の問題から逃げている。いつまでも逃げてちゃダメだ、大人にならなきゃ、君はダメになるぞ!(やっぱりシンジ君かも)」(TV版 新世紀エヴァンゲリオン 第壱話 「使徒、襲来」)

夫「逃げるつもりも、逃げているわけでもありません。お伝えするようなことがないだけです。」

父「子ども①のことは、報告する義務がありるだろう!」

夫「子ども①本人の希望で、進路に関して話さないで欲しい、とのことですので、自分の口から申し上げることはありません。申し訳ありませんが、仕事があるので失礼させていただきます。」

父「絶対に、君は後で後悔するからな!」と電話を切ったそうだ。(呪いかな?)

さあ、子ども①の進路について、

なぜ子ども①は私の両親に「知らせたくない」のか。それは、決めた進路に、両親が難色を示したばかりか、

母「そんな夢見たいな事言って、どうせ受かりっこないわよ。」

父「もっと足元を見て、夢じゃ人生生きていけないんだぞ」と、まぁ二人して反対したのですよ。

その時私は、ふと思った。

本人が、悩んで、調べて、先生に、塾に、相談しに行って、考え抜いて出した「進みたい道」をなぜ確信を持ち、非難し、反対するのだろう?

まあ、私も親に反対され、親の許容範囲の進路に進んだので、両親が話しているのも、そんなもんか、とも思ったのだが、

いや、まて、もし毒親の希望する進路

に進んだ結果、「やりたくない」事を「仕方なく」淡々と進む人生となって、後悔したとしよう。その時、両親は孫の人生の責任をとれるのだろうか

なぜ、祖父母がそこまで進路に口を挟むのか?親戚、近所、他の「お孫さん」と、張り合いたいだけなのだ。

私は、賛成も反対もない。

学生でいる年月より、「仕事」をする年月の方が遥かに長いのだ。

ならば、絶対自分で決めた方がいい。無茶だと思いつつも、チャレンジしたい気持ち、失敗した先について、子ども①の「今現在の脳細胞」を駆使して、頑張って決めた「挑戦」であり「覚悟」だ、かっこいいじゃないか

応援する気持ちこそあれ、反対する理由が見当たらない。

子ども①は、

毒親(祖父母)に、反対されたことより「絶対叶わない、夢みたいな事を言って」、この言葉を言われた事が許せないそうだ。

反対だけなら別にいい。挑戦してもいないのに、「無理」と頭ごなしに言われたことが嫌だったのだと。

だから、一生、自分がどんな進路を辿ったのか、伝えないでほしい、と言う。私は子ども①の自主性に任せているので、「了解」したまでだ。

つくづく思う。

成人に近い、とはいえ、経験値でいえばまだ浅い。

当然、失敗したらどうなのか、次の手は考えてあるか、保険をかけておけよ、的なアドバイスは必要だろう。

しかし、「なぜ」「その道を」「進みたい」のか、その気持ちに耳を傾けるのが先だろう。

私は、耳を傾けた。本気具合が伝わったのもあるが、幼い頃から見ているのだ、そうだろうなぁ、やっぱりね、好きだったもんね。としか思わなかった。

好きなら、学んでみたい気持ちがあるなら、

「挑戦」してみればいい。夫も同じ意見だ。寝床とご飯くらいなら、いつでも用意はある。だから、やってみたいなら、それこそ「自己責任」で頑張ってみたらいい

私がその後の両親と兄について、知らないのと同じで、両親もまた、その後の私たち家族の情報を得ていないのだ。

これらは全て「血縁」に胡座をかいて

両親が好き放題に、私を兄を育てた結果だ。「血縁者」であるが、そこに「絆」が存在しない。

愛が介在しないのだ。両親の愛は「自己都合の愛」なのであって、「純粋な愛」ではない。

離れていった相手が「冷たい」「酷い」「恩知らず」な人間なのではなく、両親が「自分勝手」に「相手を振り回す」から、仲良くしていた人に、距離を取られるのだ。

歪みに気がつかない限り、本当の「家族愛」は育たない。いつまでも、真っ暗なトイレで箸を握りしめ恐怖に震えている幼子のままではないのだ。(お箸の件、詳しくはこちらからどうぞ↓)

一番古い怒られた記憶

親が一番の応援団でなくて、誰が団長をつとめるのか?そこに祖父母も加われば、子ども①もきっと、こそばゆくも誇らしく、嬉しかったに違いない。

愛とは、純粋に「何者」であるか、を超え「血縁者」だからこそ、理由などなく「愛」するのだと思う。それが歪みのない「愛」と「絆」なのだろう。

by 毒親育ちmochi