毒から毒へ負のバトン、毒母の兄弟。

毒親と物理的に会わなくても、
毒親の存在が私の人生にどっかりと存在していたのは4年ほど前までと実に長かった。
まだ3年?絶縁してからは3年だが、その前の一年はほぼ会うこともなく、私の気持ちがだんだん「離れたい」方向へとシフトしていたから。
約半世紀生きたうちのたったの3年、けれど物理的にも心理的にも縁が切れた事による開放感は凄まじく大きなもので、
あれほど嫌嫌時間を割いて会い、顔色を伺っていた数十年を「勿体なかったけど、まあいいや」と諦めがつくほどには、2度と戻れない圧倒的な自由がある。(よろしければこちらもどうぞ↓)
共依存であることに気がつかず、
仲が良いからこそぶつかるんだ、それは似たもの同士の宿命、とさえ思っていた若い頃。
言葉の端を捉えた嫌味な会話、愚痴や悪口、ニュース批判。
そういえば、きれいは御御足のご婦人とすれ違うとき「いくら足が細いからって短いスカートで見せつけてみっともないわよね」とか言ってたなぁ。そんなん、どーでもいいわ。
まあ、万事がそんな思考で生きているからとにかく「文句」が多い。口を開けば不平不満愚痴、あるいは何度も聞いている母自身の自慢話。
一緒にいて、鬱憤が溜まりこそすれ気持ちが上がることはない。
父も母も世間に「文句」をいい、誰かを自分より見下し自分の方が優れていると言わんばかりに、社会を語っていた。それもかなり偏った思考、話し相手は私くらいなんだけどね。
そりゃ、人間ですから
全てが自分と同じ考えでないのが当然で、それを「違うお前は世間をわかっていない」と決めつけた時点で「会話」というものがなくなるわけで、
人と違う意見を、あなたはそうなんですね?私はこう思うんです。ほう、なるほどね色んな考え方があるよね、でいいんじゃいか?
偏った意見を押し付ける会話しか出来なければ、同族の人で固まる、もしくは人が離れていくことになり、どちらにせよ、ますます自我が強く凝り固まる。
運良く話に付き合ってくれる優しい人に出会えても自分語りばかりなので、やはりそっと去っていく。
毒親がそうだ、
結局残ったのは「毒」の残る同種の一人だけ。他は誰も実家へ寄り付かなくなった。
母方は「毒」が強く、いとこは皆私と同じ道を辿っている。
幼少期は言葉としつけという体罰で押さえ込み、思春期になると彼女達も私同様「外」か「自己」へ逃げるようになった。いとこは兄以外全員女性。
半分は結婚し、今も続いているのは私ともう一人。他は「毒」に旦那さんが疲弊し離婚を申し出て別れている。
私を含め、いとこ全員が心療内科の通院歴があるという事実。
1人のいとこは、一時期完全に
外に出る事ができなく引きこもっていたが、「毒父」である私の母の弟(私からみたら叔父)、彼女の父が亡くなったら外へ出られるようになった。
どれほど母方の「毒」が強かったか…、
幼い頃無邪気に遊んだ彼女達が、もれなく全員病名の差はあれど、みな心療内科の門を叩いている。
歪みは人生を変えてしまう。
正しい愛し方を知らないのだ、だから執着したり、縛り付けたり、疑ったりして相手の「愛情」を試し過ぎて壊してしまう。
それは幼い頃に親にわがままを言って許された人ならば、きっとそんな事はしないんだろうな、経験のない私は想像する。
いとこたちは皆穏やかでおとなしく、そして優しい。そうせざるを得ない抑圧の人生だったのだ。
母は四人兄弟である。
長兄は毒父でアルコール依存、お酒がまだ幼い子供を血が出て顔が腫れ上がるまで殴り続けさせる救いようのない地獄。
私が夏休みに泊まる時は叔母が、布団を並べた部屋へさっさと私たちを非難させる。しかし一度スイッチの入った叔父はまるで、まるでナマハゲが「悪い子はおらんがね?」と襖を勢いよく開けて入ってくるかのように、
酔っ払い、長女にのみ激しい暴力を振るう。今も仲の良しのいとこと私は震え縮こまり怖くて泣いていた。叔母が止めに入るが、暴走し止められない。
怖かった、目の前で私より年下のいとこが、顔面を拳で何度も殴られ、うずくまると、足で腹を踏みつけられるのだ。
その歪みは結局、長女の人生も、
次女の人生も生きづらいものへと変えてしまい、その叔父が亡くなり平和が訪れるはずだった叔母の家庭が、なぜか長女に「毒」が渡ってしまい、今は叔母も次女も振り回されている。
母の兄弟で今生きているのは妹だけ、それすら遺産相続で裁判を起こしてからは疎遠。娘である私は絶縁継続中、母が今付き合っているのは「毒」を受け継いだ長女のいとこだけ。
皆「原因を取り除いた」のだと私は勝手に想像している。
全員「母方の毒」の被害者だ。
そしてそれをいうなら母たち兄弟も同様なのだろう。
残念だったのは「負」のバトンを私たち子供へ渡してしまった事。
もしそうでなければ、今もきっと集まってワイワイと楽しめたのだろう。しかしそれは無理だ、遺産相続を巡り母の兄弟同士が裁判で争ったから。
もう皆疎遠になってしまった。
法事に出席したら会えるのだろうが、法事すらもう行っていないから次に会うのは誰かが亡くなった時だろうか?
私は一切を欠席すると決めているので、私に関していうなら仲良しのいとこ以外顔を合わせる事は2度とないのだろう。
夫の実家を見ていて思う。
会えば皆にこやかで楽しくて、だいたい言い争う用事がない。毒母から「夫の実家は行くな」と洗脳されていた期間がつくづく残念だ。
結婚当初は夫の従兄弟とも仲良くしてたのに。
毒親、って言葉聞くねよー。
なんて軽い話ではないのだ。
肉体も心も何度も殺されかけ、でも体が生きている以上この地獄が終わらない、それに加え加害者である毒親は自らを「良い親」と思っている救いのない世界。
逃げられない、怖い、耐える、怯える、言葉も慎重に選ばないと叩きのめされる、そんな家庭に物心ついた時から生きている毒親サバイバーの気持ちなど、想像するのは無理かもしれない。
虐待死、死に至るまでの加虐を伝えるニュースに世間は心を痛め「信じられないほど酷い親」だと、涙し我が子をそっと抱きしめるだろう、それが普通だ。
毒親育ちの私からすると、
暴力の程度の差こそあれ加虐する親が存在することは簡単に理解できる。私の親は世間の目が抑止力になっただけに過ぎない。
目に見える暴力だけが虐待ではない。本来守ってくれるべき親が毒をもっているのだ。
人格否定、それも徹底的に貶める、日常の会話が嫌味と責め苦、毒親は気がついていないだろう私の笑顔は仮面であり嬉しくて笑っていたんじゃない、毒親が怒らず笑っている「今」にホッとしていた。
私も仲良しのいとこも治療を続け社会を生きている。(連絡が取れているのが彼女だけなので)
圧倒的な理不尽、
親により人生を楽しむ事が困難で、苦しみを背負って生きていかねばならない、自分。
病気の原因が毒親、原因を取り除かねば回復へ向かわない。
だがそれも諸刃だ。親だから…切り離す事も苦痛、一緒にいる事も苦痛。
親の未熟を子に押し付けて、子が気がつかなければ、またそれを次の世代に渡していく負のループ。
しつけという体罰を「虐待」という、
しつけという精神的苦痛をあたえる事も「虐待」というのだ。
その認知が広がるといい。
子供を病気へと追い込む程の親は、やはり親ではない。
理不尽を、負の原因を、手放して何が悪い、
それ程の事をしたのは毒親、毒兄である、あなた達だ。
私が半世紀かけて自分が納得し出した結論。
ふう、すっきりしたよ。
by 毒親育ちmochi
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