親を憎みたくてこの世に生まれた訳じゃない

親を憎みたくて生まれた訳ではない
毒親と絶縁して4年目の夏が来ようとしている。
3年前私から絶縁を突きつけ、2年前改めて夫が「絶縁宣言」をしてから2年以上が過ぎた。(よろしければこちらもどうぞ↓)
今では、街ですれ違うなどのニアミスはあったものの、夫の勤め先やマンションに手紙が入っているなどの毒親からの接触は無く、穏やかに暮らしていた。
いとこから電話があった。
毒母の唯一付き合いの残っている身内である、いとこの一人、母方の「毒」を受け継いだ母そっくりな彼女。(よろしければこちらをどうぞ↓)
母は依存する相手がいないと寂しくて一人で過ごす事ができない人。
2年前、私が絶縁を突きつけた後、彼女と母は仲良くなった。そして彼女の母が病気なため、母はおかずを作りクール便で時折送っている。
感謝されたい母、
そして愚痴の種類が同類な彼女達、二人の共通点は、「娘が、妹が、心因性の病気を理由に恩を忘れ会いにこない」という不満。
互いに己の至らなさを顧みるのではなく、互いに「私たちは悪くない」と慰め合い毒を深める要注意なダブルス。
どのくらい毒かと言うと、
母は、実の兄(彼女の父)と財産を巡り揉めに揉めた。
言ってはいけない相手の線引きが曖昧な母は、実の兄(彼女の父)がいかに狡く、どんなに姑息で酷い人間か、と私より年下の彼女にも牙を剥き怒鳴り散らかした。
その結果、彼女は私に「mochiちゃんには申し訳ないけど、私おばちゃんのことは一生許す事が出来ない、二度と顔を見たくない」と言った。
私はむしろ彼女を罵倒した母に代わり謝る以外出来なかった、それほどに酷い言葉の数々だった。
そしてまた母も、あんな兄の子供を今まで可愛がって損をした。やっぱり実の娘しか信じられないわー、などとのたまっていた。
そんな二人が再開するように
なったのは、「私の絶縁」と「妹の心因性の病気」という共通点。
不思議だよね、あんなに互いを憎々しく思っていても、利害が一致すれば互いの過去をさっくり許し嫌な記憶が飛ぶんだもん。
一年前夫が実家へ出向いた後、母は泣きながら彼女に電話をしたそうだ。
「娘の夫がひどいことを言う」とね。
互いに「傷ついて可哀想」
「悪いのはmochiであり妹」「そうよね私たちこんなにやってあげてるもんね」「そうそう、感謝しない相手が悪い」
ふふふ、嫌んなっちゃうくらい脳内で二人が慰め合ってる(笑)。そう同じ穴のムジナですからね。いいんですよ、私といとこに実害さえなければ。
そんな彼女が、仕事の都合で自由になる時間が最近増えたそうだ。そこで、いとこが探りを入れた、
「これからおばちゃん(私の母)と会う機会増えそうだね」と。
そうしたら彼女は「うん、おばちゃん寂しそうだからmochiちゃんの代わりになれるようにしてあげたいんだ」と返答したんだと。
緊急指令発動の合図だ。
寂しさの根本が同じ、心が自立していない二人。自分は悪くない、怒らせる相手が悪い、そんな悪しき毒の種類が同じ二人。
同調し、互いに「私は悪くない」と励ましあえば必ず不満が実体となり、何か物を申さずにはいられないあの二人、再びこちらに被害が及ぶ可能性が高い。
実家と私の住む家は近所、
彼女は過去に何度か私の家に泊まりにきているから場所を知っている、そして「酒癖が悪い」。
母は実の妹とも、同調し急接近した後、実の妹の酒癖の悪さと毒が同じが故の反発が起き、絶縁した。
彼女と母がたまに会っていることはいとこから聞いていたが、彼女が忙しいので間隔を開けて会っているようだから安心していた。
だが今回は事情が変わった。
実家に泊まる時間的余裕が生まれた。そうなれば彼女は泊まるだろうし母もそれを望むだろう。そして酒の勢いで私に「物申しにくる」事が不安である。
うん、やばい。安寧が崩されてはいけない。
今朝、最寄りの警察署に
行き相談をしてきました。万が一の時のために、警察で情報を持っておいて頂きたいと話をしてきました。
了承をもらい、これで夜中の突撃に先手を打った。
さぁ、あとは毒と毒が合わさってもなお、二人が慰め合いながら心が満たされ被害が及ばなければいいな、と願うばかりです。
母もなかなかエキセントリックですが、彼女はそこにお酒が加わり、思った事全てを言葉という暴力に変換し殴りつけてきます。そして翌朝話した内容を覚えていない始末の悪さ。
母方の毒は濃く、
生前中から財産を巡り兄弟が絶縁状態になり、残念ながら子供であるいとこ達はもれなく皆心療内科の受診経験者、毒の強い彼女もです。
なのでその二人が急接近するのは要注意案件、せっかく穏やかに暮らしているので巻き込まれたくありません。
ふぅ、緊急連絡をもらっておいてよかった(笑)
そこで改めて気がつきました。
警察署で両親の話をすること、母なら言いそうな「警察に売った」行動。過去の私なら良心の呵責にさいなまれ、即日行動に移せなかったでしょう。
ですが夫に付き添ってもらおうか、などの迷いや不安や罪悪感はさっぱり1ミリも浮かびませんでした。
むしろこれからくるかもしれない災難に対処する、しごく当たり前の行動をしたという感情が生まれました。
新たな自分の発見ですね。
幼い頃、母が手をあげただけで、
叩かれるんじゃないかと怯えた私を、暗い部屋で閉じ込められ怖くて自分の腕をギュッと抱きしめ泣いていた私を、殴られて殺されると叫んだ私を、社会人になってもなお痣が隠せないほど顔を殴られた私を、
なんとかあの頃の私よりはちょっと強くなって、痛みを少しは癒してあげれたんじゃないかなと。
この先、どんな風に再び実家が
接点を求めてくるか、はたまた何か条件を突きつけてくるかは、今考えて不安になっても仕方のないこと。
とりあえず、私のために「私の不安」を取り除く自分が存在していることを確認できて、ちょっと報われたような嬉しさがあった。
ここまで読んでくださった方
の中には「親なのに?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
そう思える「親」と家族でいられる事はとても幸せです。
残念だけど「血縁者」故に苦しめられる人間もこの世に存在します。
誰だって親を憎みたくて
この世に生まれたわけじゃない。
それは私だってそう。
だけど、一緒にいる事が安心では無く苦痛で、
だから私は私の幸せのために身を切る思いで縁を切った。
この安寧は苦渋の上で、もぎ取ったもの。
明日も穏やかに暮らしたい、それが願い。
by毒親育ちmochi
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