パンドラの箱の中身が開いた、あの日

パンドラの箱の中身が開いた、あの日

30代の私は、もうすっかり両親が「毒親」だと理解し、「毒になる親(スーザン・フォワード著)」を読み返し、冷静に、成人が成人に対してとる行動かどうか、これを指針に親を観察していた。

母が毒母になる法則がわかったてきた

例えば、御近所さんが立ち話している横を通ったら会話が止んだ(私の悪口を言ってたに違いない)、親戚の誰かが具合が悪い(お葬式になったら親戚と顔合わせるのが嫌だ)、漠然と不安感がある(母はよく嫌な予感と表現していた)、ご近所さんから自慢話をされた(おそらく勘違い)、

私たち家族が毎日実家に来ない

これが多かった。このイライラの理由が斜め上なのだ。

すぐ近くに娘夫婦が住んでいるのに、全く来ないと、関係が上手くいっていないと、近所の人に噂されるでしょ!しょっちゅう来ないのなら、近くに住んでなんて欲しくなかった、だそうだ。

その度に嫌な感じの不快な空気になるので、時に「帰る」と切り上げたり、時に母から電話がくるまで、私からかけないようにしたりして、

「私はその会話嫌いなの」と伝え、態度でアピールしてきた。

唐突に開いた「パンドラの箱」

30半ば、ふと母が「あんた、兄の話になると途端に不機嫌になるわよね。なんでそうなの?兄弟なのに、一体何が不満なのよ」と突っかかってきたのだ。

急に足元から、不安と鳥肌が這い上がり、手が震え、心臓が飛び出そうなほど、動機が激しく…唐突に、箱から災いが飛び出してきたのだ。

本当に、綺麗さっぱり覚えていない過去だった。20年ほど忘れきっていた記憶が、ブワッとそれこそ物凄い速さで私の脳の記憶を呼び起こしたのだ。

思い出した、私が兄思いの妹の「ふり」をしなければ、

対峙できなかった訳を。

山の中の一戸建てに住んでいた時、兄は最大級に荒れていた。

父が、そして主に母が、兄の心を追い詰めていたのだ。家庭も学校も八方塞がりの思春期の兄は、その苛立ちを私にぶつけていたのだ。

そう、兄への嫌悪感。できるなら一生顔を合わせたくない相手は母ではなく兄だったのだ。

荒れていた時、母の留守中、兄はエアガンで撃っては、痛がる私をゲラゲラ笑った。性についての知識を無理やり私に知らせてくる。与えられた雑誌を目の前できちんと読まなけば、思い切り腹を蹴られるのだ。雑誌の内容が気持ち悪く、吐きそうな思いで、苦痛に耐えながらページをめくる。

でも、最大に怖かったのは、切れた兄が、台所から包丁を持ち出し、私の首に手をかけ、「ぶっころすぞ」と眉間に切っ先を向け事。

だから私は兄の記憶が薄かったのだ

妙に納得した。全てを両親に伝えた。

両親は信じなかった。私が親の気を引きたくて嘘をついていると言った。異論を唱えると、じゃあ今この目の前の電話で兄に事実だったかどうか、確認しろ、嘘じゃないなら聞けるだろ、と。

震える手で、国際電話をかけ、自分の口で兄に被害の事実確認するという、ととてつもなく、残酷で屈辱的なことを、両親に強要されたのだ。

兄の答えは短かった、「覚えてない」これだけだった

私は怒りで頭が真っ白になり、机を倒し、椅子を蹴り、絶対嘘だ、覚えてないはずがない、と泣き喚き、自我が崩壊しそうになる感覚を知った

母が電話をかわり「覚えてないってことは身に覚えがないってことよね?兄弟でそんなこと、あるわけないでしょ?そうよね、あの子が嘘を言っているのよね」

電話を切ったあと、父は「兄は「身に」覚えがないといっている」(いや正確には「覚えてない」だよ)、お前はいい歳をしてなんでこんな嘘をつくんだ?家族を馬鹿にするのも大概にしろ!と怒鳴った。

母は「そうよね、あんたは昔から変に嘘をいうところがあるものね」と。

セカンドレイプ、そんな言葉が頭にぼんやり浮かんだ。

そう、「パンドラの箱」に入っていた災いは

「忘れていたい兄への嫌悪の記憶」

だったのだ。やはり私はしまうまで、両親はライオンなのだ。

実家に安心できる居場所なんてあるはずもないと、分かっていたはずなのに、ここまで強烈に突き付けられるときついな。

でもね、そこでも私は「共依存」状態だったから、やっぱり親に対して、申し訳ないと思ってしまったんだよ。だからね、両親に「私の前で兄の話をしないでほしい」とお願いはしても、両親に絶縁を突きつける勇気はなかったんだ。

健気なのか馬鹿なのか

でも、この日、両親の家族力?問題に向き合い解決する力がないんだな、この人たちは「立派な親っぽい態度」を身に纏い、実態は私より未成熟なんだな、と冷静かつ的確に「理解」した。虚しさと共にね。

それからは度々、夢でうなされるようになったし。友達に気楽に相談できる内容でもないしね。

その日から「気力」を置き忘れ

薄らぼんやり生きるようになった。うっかりすると「嫌な記憶」が脳内再生されちゃうから…

久しぶりに「放課後の音符(キイノート)山田詠美著」を本棚から出してきた。私の学生時代のバイブルの一冊だ、何度も読み返した本、

踏みつけられそうになっても、自尊心は自分で守るんだ、ふとそう思った。

やはり、情報は大切。

そして魂が伝わる作品は私にいつも寄り添ってくれる。

山田詠美は私に、気高く生きろ、と語りかける。彼女の描く、切なくも、情けなくどうしようもない人間の性と、ここだけは、と言う自尊心、誇り高き女性たちが好きだった。

今が底なのだとしたら、「なりたい自分」に、「理想の自分」に、なれるよう努力をすればいいんだ。母と私は、同じ女性でありながら、寄り添ってはくれなかった。そんな女性に人は魅力を感じるだろうか。答えは否だ。

強くなりたい

芯のある、強くたくましく、優しい人になりたい。人の失敗を責めるのではなく、そんな時もあるよね、と一緒に笑える人になりたい。

スマホのメモ帳に、なりたい自分像を思いついてはリストに加えるようにした。

このリスト作り、実は何度目かなんだよね。可視化は大事、頭が整理されるから。

by 毒親育ちmochi