複雑性PTSDになるほどの毒親という家族

複雑性PTSDになるほどの毒親という家族

毒親育ともう一つのブログ

【楽していこう|悪性腹膜中皮腫と沼】で綴った記事ですが、毒親に対して、私の人生に対する考えとリンクする部分があり、もしよろしければこちらもご覧いただけたら嬉しいです。↓

生きる孤独、繋がる心、玄関のドアを開けるために

長年、毒親である家族が

重い存在であり、気を遣う対象で、そして贈り物というプレッシャー諭吉絡みの忖度をしながら、なんとか付き合ってきました。期間で言うなら40年程

家族は仲が良いのが前提、だから本音を言ったり、言いすぎて傷つけても、「家族だから」許し「家族だから」また元通りに暮らせる

そう洗脳されて生きてきた

だから両親は厳しいけれど私のために叱るのであって、そこには「親子という愛情」が介在している、そう教え込まれて生きてきた

だから父が拳で痣ができるほど殴ることも、母がヒステリックに我を忘れ喚き叩くことも、「根底には愛が存在する」厳しさ、そう両親に言われてきた

けれど成長し外の世界に触れるたび「違うんじゃないか?」という疑念が心に湧いてきた。アラフィフである私の子供時代は、父親がポカンとゲンコツ、先生がぽかりとゲンコツ、これはしつけであると認識されていた時代

だから親の機嫌の良し悪しで

「痣や血が流れる程殴られる」こと虐待にあたるという知識が全くなく、なんなら習い事新しい服たまの外食与えられている私は、母の言う「恵まれた子供」なのだと信じていた

けれど母の希望で始めた習い事を、辞めたくとも辞めさせてもらえず下手であることが父が拳を使う理由であり、母の激しい言葉と竹定規で叩く理由になってしまうことの納得のいなかなさ

休みの日に友達と出かけては

いけないルールや、人に話していないけない家庭内のみ語る悪口など、独自ルールに嫌気が差していた。

どうして休みの日に友達と約束をするのが「勝手な行為」なのか、どうして辞めたい習い事を辞めることが「わがまま」なのか。なぜこんなに悪口を言うのに表面上仲良くするのか。

なぜこれほどに両親が私の行動を「締め付け管理するのか」思春期前の私にはその理由が分からなくて混乱しかなかった

絶縁し、複雑性PTSDになるほどの

トラウマ両親であり兄という「家族」だった事を知った驚き。フラッシュバックが起こる時、辛さはもちろんあるのだか「本当に忘れていた記憶」が蘇る事に驚く。

自分も母親になり子育てを経験し、子供たちはあの頃の私より大きくなった

子供の私が体験した両親からの「しつけ」の内容があまりにも「虐待」という「暴力」でしかなかった事たまらなく悲しみに染まってしまう日もある。愛ではなくうさを晴らす存在だったんだって。

やっぱり両親は毒親だった、

というあまり意味のない再認識。

正直何が原因で怒られたかという詳細な記憶はないが「言葉」「暴力」のシーンが映像のように脳内で再現される

小学生の私や、中学生の私、そんな「子供」に対し毒母はヒステリックに叫び、自分の怒りが止められず、竹定規を掴み太腿の裏を腫れて血が出るまで執拗に叩く、それでも気が治らないと髪を掴み、揺さぶり足を払いこけさせる。

毒父は、母が喚き父を煽るから

イライラが募り、耐え切れくなると拳のスイッチが入る。初めから本気で殴りにかかってくる、小学生や中学生の頃の痩せて小柄な娘を相手にね。血を流しうずくまると「立て!まだ終わってない!」と掴んで立たせる地獄

両親は、これほどまでの「虐待」をおこなった「事実」を覚えてない。問い詰めた事もあったが、そんな事もあったかもしれないけど、もしそうだったとしたら言うことを聞かないあんたが悪かったのよ、と言い切った。

フラッシュバックはやり過ごす

しかないわかっているから仕方ないけれど、振り返っても振り返っても、両親は「怒りすぎ」だったことを再確認する作業でしかなく、やはり悲しい

そしてあのまま共依存でいなくて本当によかった

「絶縁してよかったな」という感想しか湧かない

私の世界と夫の世界が混ざらず「一部だけがリンク」している状態が健全なんだ。

毒母は「母の世界」の中に

私の世界」を置きたかったんだろうと気がついた。把握できテリトリーから出られない状態にさせたかった。

それが母の愛である、歪んだ愛着だったのだろう。私の全てを知っておき私が遠くへ行かないよう、私が母から「自立」しないよう、手元に置いて安心したかったのだろう。

今なら相関図が頭で描けるくらいに母が理想としていた関係性がよくわかる。

洗脳と支配、その先ある共依存、

私はもがきながらも共依存している自覚がなかったから抜け出すのに時間がかかった。

母の言うことはやっぱり正しいのかな?私が世間知らずなのだろうか?

そう逡巡し、心に不満の渦が巻く、それでも母の支配下で「母の理想とする娘」を演じ我慢できてたな、と過去の自分にえらいとさえ思う。

絶縁し「母の不機嫌」という

突発的に発生するかしないか分からない「不安」がないだけで、人生これ程までに穏やかな気持ちで暮らせるのかと驚いている

苦しかったし悲しかった、痛かったし怖かった、

何よりも「愛している」「大切な子」と言われる日があるのに

血を流し痣を作り、心えるぐ言葉で追い討ちをかけられるのが

本当に本当に悲しくて、寂しかった

世界に私の味方はいない、そんな孤独が辛かった

絶縁してよかった、もう心をえぐられることはないからね

by毒親育ちmochi