毒親と絶縁の一歩目と頭金というしがらみと

毒親と絶縁の一歩目と頭金というしがらみと

毒親と絶縁の一歩目を探していた

毒親との関係に悩んでいた頃、いきなり絶縁とはいかないけれど「一歩目」を踏み出せるかどうか、可能性について考えることが多々あった。

やはり「頭金」を一括返済し「引っ越す」事しか浮かばなかった。この発想がすでに洗脳から解けていない事は今なら嫌と言うほどわかるのだが、あの当時は頭金を返さなければ「自由に引っ越す権利は私に無い」本気で思っていた。

絶縁したいけれど頭金というしがらみ

独りになる不安からだろう、母が実家の近所に住んで欲しいと頭金を差し出した。私は共依存にあり本心では嫌な予感でしか無く決断するのに数ヶ月悩んだが、やはり母を見捨てる勇気は無く、了承をした。

でも母からお金を受け取ったのは事実だから…

だからこそ私が親から「正々堂々」と離れるには頭金を全額一括で返す以外無いと信じ、逃げられっこないと半ば諦めていた。

長年私の心に染み込んでいた

「あんた一人で大きくなった気になるんじゃない」「あんたを育てるのに一体どれだけかかったと思ってるの」「誰のおかげでここに住めてると思ってるの」という言葉たち。

私を育てるためにかかった総金額分母の気持ちを満足させるには私はまだ恩返しも出来ていなければ、感謝の心が足りない

自分が至らないからダメなんだ、だからまだまだ母に恩を返さなくてはいけない」と自分を責める自分がいた。

でも一方で「おかしくない?」って叫ぶ自分もいた。不平と不満が渦巻くどす黒い感情が溢れて止まらない。母が家族だという事実が重く辛かった。なんで私は自由に生きちゃダメなんだろう、一体いつまで「母の希望」に寄り添って生きていかなくてはならないのだろう、と。

実際に購入したマンションは

母が探してきた物件で、母の妄想はすでに広がり、うっとり物件のメリットを私に聞かせた。

将来実家私たち夫婦が同居をする→父と母が亡くなったら子供①にローンを組んでもらい実家を建て直し私たち夫婦と子供①が同居する→そして子供②が購入したマンションに将来住む

ほら、そうすれば子供たちあんたから離れた場所に行かないから安心じゃない?」と嬉しそうだった。(怖いよ母)

嫌だな、そう思った。でも私は自分の心に正直になって「嫌!」母に言う勇気がなかった、目の前で嬉しそうに、そして期待を込めて語る母「見捨てる」事は出来なかった。

義母の「子供がかわいそうよ」という言葉が染みる。本当にその通りだ

孤独を受け入れ強くならねばならない

そしてある時期がきたら「手放してあげる」のが親として役目だ。

寂しいし、心配だし、世話を焼きたいし、端的に言うとまだまだ側にいたい」。

だけどそれは親のエゴでしかなく、子供を苦しめるだけだ。

母の気持ちの押し付け母のエゴである、わかってたよ、ワガママだとね。でも「私が側にいてあげないと可哀想」と思ってた。

そして同じ分「自由になりたい」と切望していた。

葛藤は「良心の呵責」にあっさり負けた

母の要求を受け入れる方が波風が立たなくて楽だから…

だけど結局波風の立たない生活は永遠に訪れなかった。全ては母の機嫌次第、今晩胃の痛い思いをせず寝られるのかすら「母次第」、何も変わらない息苦しさ

ハタチを過ぎてもミソジを越えても私たちの関係は「縦社会」のままだった。いつまで経っても、どんなに母の要求に答えても親が上」でしかなかった

「今日は予定があるからランチは無理」と断ることさえ勇気がいるヨソジなんて悲しくて泣けてくる。でも母は決まって不機嫌に「えー?時間ずらすわよ?」と断る隙を与えてくれない

負担でしかない距離感。

でも引っ越すなら「頭金」を一括返済しなければ。

パンドラの箱が開き、私の病気がわかり、両親とはもう無理と思う度私の心が懸命に「親から離れたい」と訴えてくる。そうするべき、もう限界かも、そうだ自由に生きたっていいじゃない

そう思ってもなお「頭金」さえなければ、と思い悩んだ「お金というしがらみ」。

でも無理は続かなかった。母が父が兄が、あまりにも自分たちの心を優先私を雑に扱うから、もう私も正々堂々「私の気持ちを優先する」事に迷いがなくなった。そう、母のあの電話さえなければ今も細々と切れずに繋がっていたかもしれない「血縁」

それでいいと思っている。

私は癌サバイバー、無治療を選んだのは我が子が「私のように苦しまない未来」を用意する時間ほしかったんだろう。

苦しかったハタチの私と同じ息苦しさを味合わないで欲しい、

ねっとり絡みつく血縁というしがらみ身動きの取れないミソジの私と違い自由に生きて欲しい

自分にも老後が薄らよぎり始めても尚毒親との関係にもがき苦しむ生きづらいヨソジの私のような40代を迎えないで欲しいから。

だから私は決死の覚悟で「毒親と絶縁」し父と母と兄という身内を見捨てて縁を切りようやく「独り」なれたんだ。

今なら思う、子供に恩着せがましく

お金を語るのなら「与えなければよかった」だけじゃないか。

私は我が子がどこで生きていこうと反対もしなければ見返りなど求めない、むしろ自分で決めて歩く我が子誇らしく思い心から応援したい。

もう2度と毒親と交わることのない

自分の自由を生きることの出来る場所までこれた

いい眺めだよ、風通しがよくて心地いい

大切な大切なあの子たちが

楽しい時間を過ごせる場所にたどり着いてくれるのなら

それだけ、本当にそれだけでいい

私のような息苦しさのない自由を生きてほしい

他に何か望みなどあるかい?

by毒親育ちmochi