口火はいつだって母、毒母が苛立たなければ争いは起きない

毒母が苛立たなければ争いは起きない
お盆がやってきますね、日の並びによっては少ししかないお盆休み。
実家は関東、七月がお盆なのでお坊さんは七月に来ていました。そして家族で巡る恒例のお墓参りも七月、なので迎え火と送り火は本来は七月なのだ。
で・も・ね、お察しの通り八月も行くんです、お墓へ。あ、ちなみに私はお墓参りが苦手です。お盆の最中大渋滞の中、海へ山へ行くだろう荷物を乗せた車に混じり、イライラして言葉尻がキツくなる母、それに対し苛立ちが隠せなくなっていく父と共に。
はい、トロトロ向かう先はお墓でございます。
父と母は暗雲立ち込め一触即発の状態で、子供①も子供②も、そして私も雰囲気を察し、夫には大変申し訳ないけれどイヤフォンを突っ込んで聞こえないフリをしてやり過ごそうと努めます。
口火はいつだって母、争いの火種を生む
やっぱりもっと早く出てればよかった、明日の方がよかったんじゃないの、お父さんちゃんと調べないからダメじゃない、別の道はないの?
と毎度寸分違わぬセリフで母が口火を切ります。
そう父と母が言い争いを始める。えーっと、ちょっとまってね、車の中狭いのよ?助手席に父、二列目に子供②と母、三列目に子供①と私、という配置。嫌でも耳に入ってくる。
子供②はまだ小さくて、子供①より素直(年齢的にね)だから横に置いて味方につけておきたい母。子供達は横並びで座りたい、でも母が勝つ強い采配ぶりを察してくださいませ。
なぜか母は渋滞をものすごく嫌う
でも「日にち」にこだわるから、お盆という渋滞する時期を避ける事は絶対にしたくない。でも渋滞は大嫌い、だから我慢できず身近な誰か(当たりやすい父から)に苛立ちをぶつける。
ネチネチと今更言ってもどうにもならない渋滞中の車中で。父の忍耐もすぐ限界になるから「少しお前は黙ってろ!今言っても仕方ないだろう!」と怒鳴る。
すかさず母が子供②に「やぁね、おじいちゃん。あーやってすーぐ怒るんだから、子供②ちゃんだって嫌よねぇ」と始まる。
そうなると私が口を挟む、「ちょっと孫を巻き込まないでよ、行くって決めたんだから耐えてよ、運転してるパパが一番大変なんだし」と。
ふぅ、今度は私が巻き込まれる苛立つ車中。
口火はいつだって母、苛立たなければ争いは起きない
父の言っている事は正しいには正しい。だけどね、本来だったら渋滞を嫌う母に「お盆の最中のお墓参り」自体を止めるのが正解なんだよ。だって毎回喧嘩して嫌な雰囲気でお墓ついて「仕切り直して」また、渋滞の中イライラしながら帰るのを毎年続けてるんだ、学ぼうよ少し。
とにかく一番の問題は、母自身が自分の怒りをコントロールできない事。
思い通りにならない苛立ちを「仕方ない」と沈める努力をするのではなく、周りの人間にぶつけても、互いを傷つけ合うだけにしかならない事を理解できない。母が怒らなければ父は怒らない。昔からそう、父と二人で留守番していてもいたって平和だった。むしろ兄と留守番中の方が色んな意味で壮絶。
だからと言って父がまともな親だったか
と言えばやはり違う。
母に煽られそれが怒りに変わったからとしても、私も兄も信じられないフルな力で何度も殴られた。大きな怒鳴り声、恫喝に近い台詞も怖かった。そして、明らかに常軌を逸して喚き散らしている自分の妻を「父親」として「夫」として、止めることが出来なかったのだから、同罪だ。
父も母もなんでこんなにも自分の感情を剥き出すのだろうか。
お盆休みに私たち家族と一緒に過ごしたいだけなら、喧嘩しかない渋滞のお墓参りをやめて、近所の公園や、電車で少し先の川辺に出かければよかったのに。そうしたらストレスなくみんなが笑顔で「楽しかったね」って帰ってこれたのに(いやそれも無理かな)。
子供達が公園や川遊びやプールをねだり
仕方ないなぁと連れていける時間なんて10年ちょっとしかないんだよ?
一夏一回なら、たった十回の思い出なのに。それこそお墓参りなんて孫が二十歳を越えたって一緒に行ってくれるから勿体ないって思ってた。
六人で出掛けた旅行もそう。私は子供達が小さいから自然のある場所に行きたい、でも母はショッピングモールへ行きたい。やることもなくプラプラと興味のない店を練り歩く旅行。あれも本当に勿体ないって思ってた。
もう嫌がらせなんじゃないか?ってくらいにお墓参りという予定を前日の夜とかにぶっ込んでくる。枕詞は「こんだけやってあげてるんだから少しくらい付き合いなさいよ」。
だから七月にお墓巡りをしても、八月にお墓参りをし、「迎え火」と「送り火」も必須で、都合三日間は実家へ行かなくては母の怒りがこちらへ飛んでくる。
そして夫のお盆休みが何日間だろうと
母には全く関係ない。あれだけやってやっている娘の夫だ、何を置いても私たちの用事を優先して当然と(婿養子ではないですよ)。これ、実際に母が私と夫に何度か言った言葉。断るのは恩知らずで、感謝をしているなら即答でYESが当たり前なのだそう。
だからせっかくの連休にプールも公園にも行くのを我慢し、母の好きなお墓参りに付き合っていた。怒るから、怖いから、断れず、仕方なくね。
母はいつだってそう、楽しい気持ちに水をさすのが得意だった。
本当に意地悪だと今も思う、母の態度
遠縁の御婦人(当時の母の依存先)のお墓から程近いの夫の父親(義父)のお墓へは「絶対に寄らない」と断言した事。なんで私たちがわざわざ寄らなくちゃいけないよの、マンションの祝金一つ出してないのにが理由だそう、またお金、そしてお祝金を私が受け取れない真実に目を向けない粘着質な母の毒。
矛盾でしょ?母は自分たちが入る予定である墓を、孫を養子にしてでも守りたい。そして先祖が守ってくれるから今の私たちがある、だから感謝の気持ちを込めて参らないとダメ。嫌がるのは私のわがままであり、バチが当たるのだと。
無縁仏になりたくない、だから子育てを終えた私が形だけでも夫と離婚して旧姓に戻り墓に入る。その場合は夫と別々の墓設定。もしくは子供達のどちらかを養子にして苗字と墓を守ってもらう設定。
もしね、誰も参ってくれないとご先祖が
寂しくて可愛そうでしょ?って母の言葉が嘘偽りもなく清らかなものであったら、きっと夫の父親の墓も一緒に参ってたよね。目と鼻の先に眠る父の墓を素通りしなくてはいけない夫の気持ちを考えて心が痛まないの?
先祖代々が守ってくれるから今の私たちが存在する、だから感謝の気持ちで手を合わせる、純粋にこの言葉通り一片の曇りもないのだったら、私もきっと賛同してた。
でもそこに母の底意地の悪さ(久々、よく昔母に言われた言葉)を感じるから、矛盾だらけで汚れた気持ちだったから、だから私はお墓参りが嫌いなの。
好きだった人たちの思い出はお墓に行かなくたって覚えてる。やっぱり思い出すのは勇気づけてもらったり、慰めてもらったり、受け止めてもらった気持ち達。あの温かい気持ちは色あせずちゃんと心に今もある。
形だけ「寂しい」から行くなんてそんなの偽善で嘘くさくて嫌い。
見栄えだけ優しい嘘くさい母親になんて
なりたくなかった。子供と一緒に楽しんで遊びたかった。疲れたら夕飯はインスタントでもワンプレートでもいいって思ってたよ。だから手押し車を持っていきたいと言われれば、自転車に積んで大きな公園に出掛けたし、まだ遊びたいって言われれば喜んで蚊と戦いながら走った。
いいじゃん、ファストフードで。
科学館は年パス持ってたし、動物園もプールも公園もじゃぶじゃぶ池も、本当よく行った。科学館は実験が楽しくて、散々活用させてもらったよ。
みんなでチキンを食べ、その骨を組み合わせて「鳥」にしましょう(ケンタッキーだったよ)とか、鯵の網膜を取り出してみましょうとか、色んな実験が50〜300円くらいでできちゃう。プラネタリウムの目の前の校庭で天体望遠鏡で星を見るとか、ホタルは手の熱でさえ熱くて弱ってしまうから観察したい時はハンカチに乗せてあげてとか。
子供達いい顔で笑うんだよー
それぞれの分野の本物を、「本職」の方に教わる事が出来る貴重な体験。私も毎回発見があって参加するのが好きだった。
だからね、お手頃で楽しそうなものを探して申し込むのが私。休日美味しいご飯を作ってくれるのが夫。自然とそんな役割になっていた(あ、土日のどちらかは実家ね)。
いいじゃん、子供が楽しく笑ってくれれば。少食だった子供①は、朝ごはんに悠久の時を掛けても一向に終わらない(40分くらい?)。なにも胃に入れず幼稚園に行くくらいなら、バナナチップスだろうが、チョコレートだろうが、アンパンマンパンポテトだっていいじゃないか、って思ってた。
私が育ったような圧のかかる食卓は
嫌だったから。朝から金切り声で怒られる子供の辛さを嫌と言うほど知っている。泣いた事を悟られまいと顔を洗って鏡を確認する切なさを綺麗さっぱり忘れ去る事ができないの。苛立ちをぶつけ相手を深く傷つけるぐらいなら完璧に見える母親じゃなくて全然いい。
だってあんなに怒られて叩かれて無理やり飲み込んだ野菜も、大人になったら自然に美味しく食べられるようになった私を私自身が知っているから意味なかったよお母さんって。
私は自分がイライラするようなら楽をする、そしてそれを後ろめたいと思わない。だって、家の中に一人でもイライラする人がいると、その空気は伝播する。そしてそれが親ならば言い返すことすらできない重圧だ。
だったらイラつく原因をなくせばいいじゃん。
これもまた母から学んだ反面教師ってやつ。
怒りを言葉や拳で目の前にぶつけても、相手の心に何も響かない。残るのは同じく怒り、憎しみ、そして疑心。
自分を丁寧に扱って欲しいのなら
まずは自分が相手に丁寧に接しなくては信頼は育たない。
それは幼くても大人でも、同様だ。
人を見下して生きている両親は、自分が見下されることを恐れて先制攻撃を仕掛ける。なぜか?自分の心に「見下す」という感情があるから。
和気藹々と楽しい我が家にしたければ、娘である私が孤軍奮闘したところで何も変わりはしなかったのだ。
父も母も自己を顧みないから何も変わらなかった
本来は母も父も「協力し合って」楽しい我が家を作り上げるべきだったのだ
今からだって遅くはない、人は何度だってやり直せる
ただし、やり直したいと思った人にだけチャンスがある
一度しかない人生、笑って歳を取りたいじゃない?
親に気を使って無理してる暇なんて、ないよ私
by毒親育ちmochi
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