虐待と苦悩と緊張の走る毒家庭

家族間に緊張の走る毒家庭
私は機能不全家族に育ち、家族間には常に「毒親が発火」するのではという緊張が漂い、叩かれないよう、延々叱られる時間が始まらないよう、血が滲むほど殴られないようにと、不安と不満を心に押込め、場を和ませるピエロ役を買って出ていた。
私の役割は、
- 母を褒めて機嫌を保つ
- 進んで家事を手伝い母の機嫌を保つ
- 頑張って習い後の練習をし母の機嫌を保つ
- 父と母が喧嘩しそうになると間に入りなだめる
- 兄がフルボッコになっているのを泣いて止める
- 兄からの嫌味を黙って聞く
ざっくりこんな感じだった。
常に毒母が暴走しないよう宥める役
それでも毒母は暴走する、母ではなく毒母なのだから仕方がない。
母の「人の心を追い詰めえぐる」方法は本当に酷かった。慣れっこになっていた私であったが、それでも感情が溢れどうにもならない時は、叩かれるとわかっているのだが「声を枯らして泣き続けた」
あれは私の助けてという心の叫びだったのだろう。
毒親と絶縁した経緯については、よろしければこちらをご覧いただけますと幸いです…(毒父・毒母・毒兄と絶縁した経緯です、よろしければ●)
私の心の痛みのほとんどが「毒母」の記憶
実際に絶縁を決行したのは「毒兄との再会の強要」という出来事である。
私は30半ばで全く記憶になかった「記憶を思い出した」。そう、兄による暴力と性的虐待という「嫌悪の記憶」を。
そして性的いたずらと呼ぶので合っているのか?毒父の末弟から、毒母の実妹の夫から、「プライベートゾーン」を触られた記憶。
毒父の実弟からの性的いたずらについては毒父に伝えた、あの毒兄からの性的虐待を打ち明けたあの夜にね。
毒父は実弟が「そんな間違った事をする奴じゃない!何の恨みがあって陥れるような事を言うのか!」と怒鳴った。
あぁ、私あの事も両親に伝えてたんだ
忘れてた。
毒父は結局、虐待を受けた私ではなく、加害者を庇ったまま絶縁へと雪崩れ込んだんだった。
毒母の妹の夫の件については、毒兄と毒父の実弟の話でうやむやだったと記憶している。ちなみにね、毒父のもう一人の実弟の息子(私からしたら従姉妹)、あいつにもプライベートゾーンを触られた過去。その彼は今は行方知れずだと毒父から以前に聞いた。
はぁ、私の周りにろくな奴が居なさすぎる件、どうしたものか。クズばっか。
毒兄からの虐待について、
どうしても毒母が加担していたようにしか思えないのだ。母が兄をあそこまで追い詰めなければ、父があそこまで拳で殴らなければ、両親が私と兄を比較して育てなければ、兄もあんなクズな人間にならなかったんじゃないかと。
兄からの暴力の記憶は時々断片的に蘇るが、性的虐待については「重い塊」が時々胸に去来し「嫌悪感」で潰されそうになる、吐き気がして頭痛が起き、心の均衡が崩れる。けれど具体的な記憶は蘇らない。それがまた怖いのだ。
私が思い出したものが全てはなくまだ思い出せていない「嫌悪」が残っているだろう事実が心を重くする。
相手は「興味本位」だとか、
「軽い気持ち」で「触っただけ」かもしれないが、それはあくまでも相手だけが乗り気で行動を起こしただけに過ぎない。
いつの時も私は「何をされているのか理解できない」年齢であったり、「黙っているのが正解なのだろう」と勝手に忖度し「嫌だけど我慢し言わななかった」だけなのだ。
相手は身内なの、言っても「私が怒られるだけ」とわかっていたから。
私の育った家庭環境にはクズな人間が多かった、だって世の中にはちゃんと相手を思いやれる人がたくさんいる事を知っているから。
兄がどんな感情で私をエアガンで打ち、
ナイフを向けたのか。そして性的虐待を思いついたのか。
わかっている。それだけ私は家族の中で「弱い」立場だったから、そして娘というだけで服を取っ替え引っ替え与えられ「可愛がられている」と兄が勘違いしていたから。
私は兄より母に大事にされている、だから憎かったのだ、それは散々兄から愚痴愚痴言われているので知っている。
結局、根っこは毒親なのだ。
弱い相手に優しく接する気持ちを育むのが親の務めではないのだろうか?
体中に恨みを纏った兄にエアガンを購入した母の浅はかさ、兄が私を殴っているのを知っているのに、二人だけにしてショッピングに出かけていた母、家庭内の危ない空気を絶対感じ取っていただろうに、「弱い立場の娘」を家に残し逃げたのだ。
毒父の末弟はもう亡くなった。いとこも行方知れず。毒母の実妹の夫とも疎遠だからどうでもいい。
毒兄も海外に住んでいる、
毒親が亡くなりでもしたら一時帰国するかもしれないが、私は毒親が入院しようと、亡くなろうと、葬式も、お墓についても、一切関与しないと決めている。そして手を打ってある。だから毒兄とも一生会うことはないだろう。
私は約半世紀理不尽な「精神的・肉体的・経済的・性的・虐待」に堪えてきた。でもこの私の頑張りは、毒親にとっては特段何も感じなければ、頑張って我慢していたのだな、とも気づかないものだったとわかったからもういい。
いやもっと酷い、毒親は「全てを水に流せ」それはすなわち「もっと耐えて頑張れ」という事を意味しているのだ。余命を超えてハラハラと生きている癌患者に対してだ。
因果応報だ、父よ、母よ、兄よ、
これから先、世界情勢がどう変ろうとも、あなた方が助けを必要としようとも、私は一切、手を貸すつもりも、話を聞く気も、いやそれより前段階「声も聞きたくない」
これから先もフラッシュバックと共に超える夜を過ごすのだろう。
その度に必死で頑張っていた幼い私と向き合うのだ。本当は手を伸ばして抱きしめてあげたい、触れることが出来ないから心で「頑張ってるね、大丈夫だよ、いつか歪みのない世界で生きられるからね」と話かける。
私の気持ち的には、天涯孤独の身と
錯覚してしまう程に毒家族の存在は薄い。
過去の痛みを一つづつ丁寧に昇華してやり、私の心を安定させてあげる事にしか興味がない。毒家族がどんな思いでいるかどうかなど全くもって、どうでもいいし、知らんがな、である(笑)。
私には大切な人がいる、そしてその人たちは私を愛してくれる、優しい気持ちで接してくれる。
両手を精一杯伸ばした範囲でいい。その範囲の人たちを大切にできなければ、もっとそとへと愛は広がらない事を、もう私は知っているから。
人が寄り付かない家はどこかおかしい家、そう毒母は昔言っていた。
本当だね。会いたい人と会いたいもん。
by毒親育ちmochi
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