毒母自身が心を満たさずに誰が満たすのだ?

毒親育ちである私の毒が抜けた?
それともと絶縁状態に慣れた?うーん
「私は毒親育ちです。だから親と絶縁しました」という事実を「隠さなければ」とか「私の人間性が疑われるかも」とか「かわいそうな人」と同情されるかも…という「私の中の世間様の目」を気にしなくなったのは2019年の冬頃だったと思う。
カウコンという幸せな年越し
私は2013年から年末はずっと東京ドームで年を越していた♪(どこへ向かう話?)
沼友と皆で年明けを祝い、夜中に場所を移動し皆でカウコン(ジャニーズカウントダウンコンサート)の余韻に浸り始発で帰るという、
ジャニーズファンにとって最高に幸せな年の越し方をさせて頂いていた♪ありがとうジャニーズ!ありがとうカウコン!
今ならはっきりとわかる。
これは私が「実家で年越しを過ごさなくていい堂々とした言い訳」として利用していたのだと。
以前投稿したが、毒母は「どう断ろうと」自分が遂行したいミッションに対して絶対に諦めずあの手この手で粘る。それでもダメな場合は恫喝してでも自分の希望を通す。
だが流石に「希少がん」とわかり手術を終えてもなお余命もカウントダウンに入っていた娘の「楽しみ」を反対できないであろう2013年から2014年への年越しから、これ幸いと東京ドームを目指した。
2016年の大晦日は子供②と二人で
COUNTDOWN JAPAN@幕張メッセで年を越した事もあるのだ(自慢)!あの日二人で参拝した神社はヨキ思い出。楽しかったなぁ、本当に、二人で音に浸り切って迎えた新年は希望しかなかったよ♪
ちなみに、その年末は例によってプチ絶縁中だったので「一切連絡を取らず」夫と子供①は自宅で「笑ってはいけない」を観てゲラゲラ笑って年越しをしたそうだ。
こんなにのんびりとした年末年始は子供たちには「初めて」だった。
重苦しい毒親の家での年越し
実家で毒母をイライラさせぬよう気を使うのだが、毒母はやる事の多さからだろうか?いつにも増して苛立つのが毎年のことだった。
いつもいつも同じ年末の過ごし方。
割引シールが貼られるのを待ち続ける年末のスーパー、その間車の中で待っている夫。家では「笑ってはいけない」を観たいけれど毒父に遠慮をしやることがなく待っている子供たち。
ようやく実家に戻るのは21時だったこと事もしばしばだ。そこから母は天ぷらをあげ、蕎麦を茹で、戦利品をさらに並べ、ようやく夕食だ。
最初は楽しく話を進めるが、
そのうち毒母の「当て擦り」や「時事問題」語りが始まる。話が嫌な方向へと向かい始める合図だ。
毒母の偏り切った意見に「無言」になってしまう夫と、つい意見を述べてしまう私。そこに毒父の上から目線の「社会の厳しさ」が追加され、ますます持って嫌な予感しかない、危なっかしい会話へ突入する。
酒が入り「自分語り」をしたい毒父、それを嫌な顔をし「牽制」する毒母。そのうち私と夫を通り越し、母が父を口撃し始める。
テレビ越しに華やぐ紅白の映像。
画面越しは年末のカウントダウンへむけ華やぎを増していく。
対象に実家は「いつもの圧」が家族を覆う。
父を庇えば母の怒りは増す、母を擁護すれば母は更に父を攻撃しやり込めようとする。場を鎮めようとあれこれ試すが、必ず最後は両親が怒鳴り合うのだ。
子供たちも「またか」という表情を一瞬向けるが、再びテレビへ目を向ける。
まぁまぁ、と言いながら皆で食卓を片付ける頃、テレビは「行く年くる年」だ。
しめ縄を持ち近所の神社へ全員で向かう。
母は毎年ビニール袋に貯めてある小銭を「父以外」に配る。父は大抵財布を持たない。それを知っていて敢えて「小銭入れぐらい持ち歩きなさいよ、いい年してみっともない!」と小声で叱責するのだ。
神社で甘酒をもらい、実家と我が家の境である四角で「また今日ね」と手を振り別れる。
寸分違わぬ毎年恒例の景色。
「家族の時間」がやってくるのは
1月1日深夜1時過ぎだ。子供たちはいそいそと録画された「笑ってはいけない」を再生。夫と私は「家族用のつまめるもの」をいそいそ並べ、ようやく落ち着いて家族四人で「乾杯」をするのだ。
それから寝て起きてもまだ1日、15時頃には実家へ行かなくてはならない。
私たち家族は誰一人得をしない年末年始。一抜けるためには「それ相応の理由」が必要だった。だからカウコンを理由した。
母は「じゃぁ、夫と孫の3人でいらっしゃい」と、これまたミッション遂行のためゴリ押しをしてきた。その年は行った。
翌年も行った。
だが「行った」だけでは毒母の心が納得しなかったようだ。
夫にいつか母が怒鳴った、
「あんたは年末に嫁の実家でタダで飲み食いしておいて、たいした会話もせず黙って帰るだけじゃない!たまにはお義父さんと会話したらどうなのよ。だいたい孫だってスマホいじってるだけじゃない!」
とね。(義実家についてよろしければ●)
いやいや母よ、夫はいつだって普通に会話しているよ。それに子供たちは観たいテレビも見られないからスマホか漫画くらいしか本当に「やる事ない」のだよ…仕方がない、事実はいつも母によってねじ曲げられるのだ。
どう接しても母の心はいつも満足しない。
母の『理想の家族像』がある、それはホームドラマのように皆が「お母さん、お義母さん、おばあちゃん」と親しんでくれるという『理想』。
その『理想通り』の対応ではない事、これが母の不満を募らせて、毎回毎回「あんたたちは感謝の気持ちがない!」と噴火するのだ。
離れた今は良くわかる。うん、それは無理だよ母、とね。
母の心の飢えは、母自身が満たしてやらなければいつまでも満たされやしない。
私が家族との関係をより良くしたいと変化を望み熟考した結果「毒親と縁を切った」ように、母は母自身で変化を起こさなければ何も変わりはしないという事。
まだまだ安定しない私の心ではあるが
変わりたいと願う私が心にいる限り
これからも変わっていくことができると信じたい
歯を食いしばって頑張ってきた私を信じよう
きっとなりたい自分になれる
うん、きっとなれるはずだ
by毒親育ちmochi
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