毒を持つ母は一体誰の味方なの?

私は過去毒兄に
肉体的性的暴力を受けた被害者である。しかしながら、記憶は私の脳内で頑丈にロックをかけ奥深くにひっそりと隠すように置かれていたのだ。
そう、私自身その記憶が全くないと疑わない程、慎重かつ丁寧に仕舞われていた嫌悪の塊でしかない記憶。(家族が元通りになるのは不可能な毒)
兄の暴力については記憶があった。包丁を向けられ、首を絞められ、殴られた「死を感じる恐怖」。
だが性的暴力についていは一部思い出した、でも記憶にもやがかかり薄らぼんやりといった程度。
当然ふと記憶は蘇り、
再びおでこの機械が動き始める事はあり、深海にいる気持ちで心の波が過ぎるのを待つことだってしばしある。
性的虐待の記憶が開いたのは30半ば。それまで本当に全く記憶になかった。ただサインはあったんだ。
ニュースで流れる、わいせつ・いたずら・家族間性被害、といったワード、それも若い被害者のニュースを聞くのが嫌いだった。今ならわかるが、当時理由はわからなかった。
残念ながら母は「残酷」なニュースが
好きなのだ。例えば一人暮らしの女性が深夜襲われた云々、幼き子どもが性的被害にあった詳細について、学校帰りの学生が夜道で…。
ワイドショーや週刊誌で得た「性犯罪」の内容を微に入り細に入り私に伝えるのだ。可哀想よね、気の毒よね、生きて行かれないわよね、と。
いつも私は言った「そういう話題は聞きたくないから話さないで欲しい」と。しかし悲しいかな毒母だ、やめてくれなどしないのだ。
どうして不安感が胸を襲い、恐怖心がやってきて、落ち着きをなくし、母との会話から逃げたかったのか、今の私なら痛いほどよくわかる当たり前の反応だ。
ストーカー事件についても、
母はよく持論を展開していた。「相手にその気がなくなったのなら、諦めて身を引くべきよ。相手が嫌いって言うならもう無理なんだから」と。
さぁ母よ、私も母を「嫌い、もう無理」と告げたが、離れてはくれなかったよね。こんな矛盾など毒親育ちはお腹いっぱい経験しているけれど、やってらんないよ、ご都合主義すぎて。
さぁ、パンドラの箱が開いた30半ば。私は「金輪際兄の話を私にしないでくれ」と頼み、それでもなお毒親との付き合いを続けた。
毒親あるあるだが、
2年もすると私にではなく「孫に」毒兄の近況を語るようになった。私の目の前でね、父も母もね鬼畜だ、もはや親の所業じゃないよ。
洗脳の解けた私なら、呆れほったらかし、その場を立ち去るだろうが、洗脳中だったから、胃の痛い思いと、心えぐられる自分に耐えた。
私は40すぎた、今度は私に癌がみつかった。
これで本来なら父も母も、癌で亡くなる芸能人の話も控える配慮があるはずなのだけど、つくづく毒親なんだ。
喉元すぎると、
性被害のニュースも、癌で亡くなる人のニュースも、「普通に」私に話してくる。
母は手術が嫌いなんだって、麻酔して切るなんて嫌、入院なんて絶対に嫌。
父は健康なんだって、診断で褒められるって、癌だけにはなりたくないんだって。
父も母も、私に対して、暴力をふるい、食事を抜き、下着一枚で雪の中に放り出した事もあるのにね。
虐待死した子どものニュースを
涙ながら見ているんだ。こんな酷い親がいるなんて、殺すくらいなら生まなきゃいいのに、って憤慨すらしてさ。
家族間の性被害の話も、気持ち悪い、そんな事する人間の気が知れないって母は言った。確かに言った、毒兄との一件の後だよ?母と私の間に沈黙ができる。気持ち悪いと私に言える母が信じられない、今でもね。
父も母も、自分の心の痛みにとてつもなく敏感で、同情を嫌い、清廉潔白に生きているように自己を盛る。
父も母も一体何から何を護りたいのだろうか?自分の心?
父に母に振るわれた暴力から
逃げる事はできなかった10代の私。当然毒兄からだって同じだった、だって中学生だよ?インターネットのない時代、どこに助けを求めればよかったんだろう。
黙って「何事もないフリ」をする以外、私はできなかった。
記憶こそ曖昧だけど、毒兄による暴力をぶちまけたあの夜、私は壊れそうだった。自我が崩壊するかと思った。
そこに浴びせられたのは毒父と毒母の「あんた嘘ついてるんじゃない?」という槍のような言葉。
それでも私は両親との関係性を
続けようとした。近所に住んでいるんだ、子供にとっては、おじいちゃんとおばあちゃんなんだ、断てるとは思えなかったから、屈したんだよ。
30半ばのパンドラ事件、40過ぎの癌告知の私の老後がなくなったのね事件、これらをやり過ごしたけれど、無理は無理だったんだ。
もう堪忍袋はぱつぱつだった。
そこに更に毒母がねじ込んできた「父傘寿の祝いの乱」だ。
私の限界がきたんだ、
無理だった。全てが嫌になった。
愚痴聞き要員であることも、常に感謝を言葉と形で表さないといけない暗黙の了解も、行事ごと全てを両親と6人で行う強制ルールも、
何よりも、母よ、あなたは誰を護りたいの?
娘じゃないの?
セカンドレイプだよ、これは。しかも相手が母親だなんて笑えない。
母の中では辻褄合わせが出来ていたようだけど、私にそれは無理だ。
母は言ったよ?
いい加減水に流せないの?あんたさえ蒸し返さなければ上手くいくのに、過去の話じゃない、しかも兄は覚えてないって言ってるのよ?って。
少なくとも、母親だ、女性だ、あまりにも酷すぎて逆に「両親」を捨てられるってきっぱり思ったんだ。
被害者である私は「拒絶一択」だが、加害者ってなんで自分の都合を押し付けゴリ押すんだろうね。
なんだか今日は取り止めとなく
書き綴ってしまった。たまに去来する理不尽ってやつかな。
あなたいてくれるだけで私は幸せと言った母
お願いだから近くに住んでと泣いた母
老後がなくなったのねと憔悴した母
お金ならいくらでも払うから娘を助けてと訴える母
でも毒兄の件については過去を水に流せと怒鳴った母
虐待死のニュースに子供を守るのが母親だときっぱり言った母
どれも全部同じ人が言ったセリフ
混乱するよね
信じるなんて怖くて出来ないよね
お母さんは私の味方じゃない
それだけははっきりわかった40半ば
おっそいよ!私(笑)
by毒親育ちmochi
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