家族の仲が良くない現実、都度、毒発動

自己を誇大にみせたい欲望
それは偽りの自分だが、言い変えると「理想とする自分」なのかな?
父も母もね、そういう人だった。
社会から見える「父と母の姿」、それに対し「こう見えていて欲しい」という願望。そこに開きがある事にはきっと気がついていたんだと思う。
だって辻褄が合わず綻ぶもん(よろしければこちらも→母の毒っぷりの加速と、解毒、解放へのはじめの一歩)。
兄と私に自分たちの素晴らしさを、「己に酔いしれ」延々と語っては、真実の様に振る舞う事は、きっと気持ちよかったのだろう。私が幼い頃はそれらを丸っと信じていたから尚更にね。
社会に出て、そういう人にたまに出会うけど、父と母みたいだなとつい思ってしまう。
母にとっての理想が右、現実が左、
でつらりと並べてみた。
- 優しく穏やか ⇨ 瞬間湯沸かし器、すぐ怒鳴る
- 上品なふるまい ⇨ 店員にぞんざい、ヒステリック
- 料理が上手 ⇨ ○ほんとうに上手だった
- ブランド食器が日常 ⇨ ○ただし傷つけない様、子どもは必死
- 家族が仲良し ⇨ 母の機嫌次第
- 子どもが優秀 ⇨ 残念ながら兄も私もご期待に添えず
- 習い事も秀でる子ども ⇨ 嫌いだったから上達は不可
- 上品な服装 ⇨ ○母の趣味全開、拒否権なし
- 上品な趣味 ⇨ ○やはり母の趣味全開、拒否権なし
まぁ、万事がこんな調子であった。(よろしければこちらも→無償の愛とは一体何だろう、だんだん追い詰められる私の心)
家族の仲が良くないという現実に、
いちいち毒は発動され、母が無理やり仲良くしろというメッセージを、不機嫌という態度で表す。
家族で過ごす時、母の「理想」ではない「家族の態度」があったとしよう。とたんに母の機嫌が悪くなり、顔が険しく無口になる。
これは「私は今〇〇の態度にイラついている、気がつけよ」というメッセージであり、訓練されている私たちは、すぐさま察し、母の機嫌が「不機嫌」で済むうちに収束させるよう頑張る。
そこで対応を間違えると、完全に機嫌が悪くなり、名指しで母からの怒りの言葉を浴びせられるのだ。
外食に行く途中など、「あんたがそんな態度だから気が変わったわ、今日はもう帰りましょう、外食はなし。恨むならmochiを恨みなさい」と兄を睨みつけるのだ。
父はこの一連を見ているだけ、
もしくは母に加勢し私を叱る、それしかしない。
明らかに母の機嫌で外食が中止になりそうなのに、止めることはしない。父もまた、母から口撃されるのが面倒なだけ。(よろしければこちらも→毒母、ガチ勢のせっかちが過ぎる件)
習い事もそう、辞めたいけれど辞めさせてもらえなかった。好きでもない習い事、でも頑張らないと母がブチ切れて、血が出るほど竹定規で叩かれて、髪が抜けるほど掴みかかられる習い事。
だから父に訴えた。今辞めたら勿体ないと怒る母のセリフを選択した父は「お母さんもああ言ってるんだから、もう少し頑張ってみたらどうだ?」と私を説得にかかるだけだった。
そんな父もね、勉強に関しては拳を使ってでも「理解させよう」と躍起になる人だった。(よろしければ「父による勉強会」もどうぞ→散々してやった[毒母]vs一つだけ残した[私])
父も母も、子どもが何を考え
何に対し不満を持ち「親に嘆願」しているのか、全く知ろうとしなかった。きっと興味がなかったんだと思う。
大事なのは、父と母にとって「楽」な事、大人の都合に子どもが合わせるのが当たり前、親を怒らせるのはお前が悪い、だからお前は怒られても当然なのだ、そうやって兄と私と育てた。
当然だが、子どもだって外の世界と繋がりを持ち生きるんだよ?だから気がつき始める。
うち親おかしくない?って
父と母は、自分たちが言う「立派な言葉」通りに生きておらず、実際は感情的に怒る人たちと言うことに、子どもだって気がつくのだ。
だからつい言葉の端に「矛盾」を乗せて
言い返してしまう。当然、更に怒られる、だからつい言い返してしまう、「だって本当の事じゃん」って。まぁその後は察してくだせぇ( ;∀;)
父も母も、私に語る「世間から自分がこうみられている」という話は、残念だが盛りに盛られた「こんな自分だったらいいな」という希望であって、「リアル」ではなかった。
この乖離に気がついているからこそ、確信をつく返答に「ガチギレ」していたのだろう。
そして必要以上に「親を大切に」「老人を敬え」「俺は仕事ができる」「お父さんは頭がいいのよ」等々の、どうだっていいわって言葉を、繰り返し繰り返し、兄と私に聞かせたのだと思う。
嘘を真にしたかったんだ。
自分たちは「子どもから敬われ大切される」『価値のある人間』なのだと、兄と私の心に浸透させたかったのだろう。できれば真実に気がつかず、幼い頃の様に丸っと信じたままでいて欲しかったんだろう。
でもね、誇大に見せるということは、リアルとの間に「隙間」が生じている状態なのだ。
いつ誰がその「隙間」を指摘するかわからない、そんな後ろめたい気持ちを持つ事自体ストレスにならなだろうか?無理をすれば、どうしてもどこがか歪む。
自己を偽れば、いずれリアルとの乖離に虚しくなるだろう。
風呂敷を広げる人認定されたら、人はそっと距離を置く。もしくは本心は自分を軽蔑しているのは?と疑心も生まれるだろう。
無理を押し付ける事、
誰が我慢しなければ成り立たない友人関係や、家族間。押し付けられた相手はいずれ疲弊し離れていく。
私がそうだ、兄もそうだ、母の兄弟、父の兄弟、父と母の親戚たち、友人知人…
年を重ねるごとに人が消えていく父と母の人間関係。
本当はシンプルでよかったのだ。子どもたちに慕われたかったのなら、私たちにも「感情」がある「一人の人間」という事を理解してくれていれば、それでよかっただけなのだ。
なにか問題が起きた時、まず叱るのではなく、まずじっくり聞く、そして対処を押し付けるのではなく、大人ならではの「俯瞰」で考えたアドバイスをくれれば良かった。
兄と私の「感情」を受け入れ、受け止め、育てる人たちだったら、きっと父と母の周りには今も人が集まっていたと思う。
会いに行くと喜んでくれる、
会うとほっと和む、会う理由なんてそんな事だけよかったのだ。
機嫌が悪い時は、嫁に出たんだからアポをとって手土産持って来い、駐車場貸してやってるんだからもっとお礼をして当然だ。
機嫌の良い時は、実家なんだからふらっと手ぶらきなさいよ、孫にお金使いなさい私たちには使わないでいいのよ、と言う本音は前者だろう言葉なんて必要なかったのだ。
会ってみんなで楽しく過ごす、これはお金で手に入らないとても幸せな事。
それさえ理解できていたのら、絶縁という今はなかったのだろうし、それ以前に私は複雑性PTSDになっていなかっただろう。そして兄も加害者にならずにいただろ。
偽るという事
これは自分自身に嘘をつく行為で自覚があるのだ
子どもに対し偽りを押し通す事
これは子供からの信頼を失うよ?
少なくとも私はもう信じられない
立派な親を求めていなかったよ?
優しく包み安心させてくれる存在
そうであってくれれば
それだけで幸せだったと思うんだ
by毒親育ちmochi
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