過干渉な毒母、無関心な毒父、その老後は…

私の母は過干渉タイプの毒親であった。
娘の「ぜんぶ」を把握しておかなくては安心できない人だった。
母にとって子供にプライベートは存在しない、少なくとも過去の私の育った環境はそうだった。
日記を勝手に見ても、黙っていれば私は気がつかないのに「あんた〇〇ちゃんに家のこと話してんのね、みっともない」と言うからバレる。
「人の日記を勝手に見ないで」と言うと「子供の事を知る権利が親にあるの、隠さなきゃいけないようなら書かなきゃいいじゃない」とせせら笑う。
- ノックをせず部屋に入る
- 日記や手帳はいつの間にか把握している
- 財布の中をこっそり確認
- 友達の家族構成まで知る
- お小遣いの使い道に口を出す
成人したら…
- 生命保険の担当者と母がいつの間にか仲良くなり内容を把握
- 給料・ボーナスの金額把握
- 買ったものの金額を聞いてくる
- 母にとって高いと思ったものには文句をつける
- 土日のどちらかは家族のために一日空ける
まぁ、基本「交友関係・お金の把握・親のための時間を作る」この三つが大事。
自分へのご褒美に買った服も、
本当の値段を言うと母の機嫌が悪くなるから安く金額を言う。そうしないと育ててやった親へのプレゼントより自分に使うんだ、と言われる。
母の機嫌を解消するためには、自分に買った金額より高額なプレゼントをしなければ不機嫌が続く…経験からの学び。
おかしいよね、自分で稼いだお金なのにって今なら思うけど、あの時は母が不機嫌になるくらいなら、母にお金を使う方が楽と思ってた。
母は言う事が極端だった。
成績が落ちると烈火の如く怒り、ただでさえ少ない機会である、友人と出かけることを「罰」と称し禁止した。
ふてくされ部屋で悶々としている私に「勉強しないあんたが悪い!そんなに勉強が嫌なら今すぐ学校辞めてしまえ!」とわざわざ怒鳴りにくる。
時には受話器を持ち上げ「今担任にmochiは学校を辞めさせますって電話する」と言う事もあった。小学生の頃は、本当に辞めさせられるんじゃないかって怖くて、必死で泣きながら謝ってた。
高校生にもなると母の「ハッタリ」であり、
母にそんな勇気などない事がわかってきたので「はいはい、じゃぁ先生に電話すればいいじゃん」と自室へ戻ろうとすると、
後ろから髪を掴んできたり、飛び蹴りを食らわされたり…、母は私が自分の思い通りならないと「脅す」か「暴力」で私に向かってきた。
思春期だった私、母の度が過ぎた過干渉と父の無関心にイライラが募る。
「進学しないから私!」と両親に告げた。
土日に友達と自由に遊べるわけでもなく、かといって家が家族が楽しい場所でもなく、あるのは母の愚痴だらけ。
母との喧嘩の原因は、
「友達との約束を嫌う・勉強しろと怒鳴る・親への感謝の強要」だった。
勉強好きなわけじゃないし、進学することに興味があるわけでもない。
私が行きたかったのは専門学校で、父と母が行かせたかったのは大学だった。学校見学に行き、大学と専門学校の費用も調べ、就職実績も見せ「進みたい道」を何度も両親にプレゼンした。
だが二人の意見は強固で「専門学校は学校じゃない」と許してもらえなかった。
進学することにより今の母との関係が
数年伸びる方が嫌だと思ったから出た「進学しない」という言葉。だって学びたい学部が思い当たらないのだ、どこの大学を受験すればいいの???
無鉄砲に極端なことを言って脅すわりに、実は気が弱く臆病な母。
母に比べたら、かなーり気が強い私はもう我慢の限界だった。
愚痴しか吐かぬ母、楽しい会話のできぬ母、
監視される生活、正直頭がおかしくなりそうだった。
だから度々爆発し、親に掴みかかり、「いいかげんにしてくれ!私の人生だ、私の好きに生きて何が悪い?もうこんな生活嫌!!!」と精一杯心からの本音を吐き出した。
まぁね「あなた、mochiが暴れてる」の一言で父が参戦し、父に殴られ終わるんだけどね。やばいよね、高校生の娘相手に拳で殴る父親ってさ。
結局「脅しと拳」で、母の強く希望する
「アンパイルート」である大学進学という道を選ばされたが、正直勉強は相変わらずつまらなく、授業を積極的に受けようなどという情熱は全く湧かずギリギリの成績で卒業をした。
お子たちの「〇〇の講義が面白い」なんてセリフ、言った事ない。
二人のお子は、あの頃の私の年齢を過ぎた。
私の「あの頃」がいかに歪み切っていて
「普通じゃなかった」のかよく見えるようになった。そしてその「歪み」が私が絶縁するまで継続していた事に、ゾッとする。
年齢だけ大人になった精神年齢の幼い父と母とは、「話し合い」が出来ない。
彼らの思う話し合いとは、一方的に「親の意見」を押し付ける事。なぜなら子供は黙って親の言うことを聞いていればいいのだから。つまらない人生だねって思うよ。
お子は二人とも18歳を超えている。
だから私も一人の成人として会話する。知らないことを教わって、知らないことを教えて、ほうほうと楽しく会話するのは本当に楽しい♪
そして「自分で選択」した進路に進んだ二人は日々頑張っているようだし♡
高校生になってから成績について何も言わず、進路に関しても口を挟まなかった、そう決めていたから。だから自然とお子の口から「こうしたい」と意見が出た時、ほっとしたし、誇らしく眩しくて、とても嬉しかった。
私は母に干渉され、自分で決めた意見も「母の希望」でなくてはいけない人生だったから。
悔しいからきちんと反面教師とさせて頂きました♪
今二人のお子はちゃんと自分の足で歩き始めてるよ?(毒親の希望する孫の進路とは)
まさか孫の進学先すら知らされない老後が来るとは思わなかったでしょう。
だってお子の人生だもの
それに私の人生だもの
自由に生きる権利があるの( ´艸`)
by毒親育ちmochi
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