肉体だけでなく、心も育てて欲しかった

自分の人生を振り向いて眺めてみると、
いつもいつも「母の考え」で行動していたことが良くわかる。
ブログに綴ることが、果たして正解なのかは、正直わからない。
歪んだ家庭で育った「傷」は、「生きづらさ」を生む。そしてそれを「自分」が背負って歩いて行くしかない不条理。
この「事実」を知ってほしいだけ。理解し、寄り添ってほしいなどとは、決して思ってはいない。
そんな「現実」を生きざるを得ない
「かつて子供」だった大人が、必死で自己を立て直し、痛みを伴い、生活している「事実」を知ってほしいのだ。
勝手にこの世に生を受け、
安定した感情を育ててもらわず、「親」に愛される事を「命題」に、自我を封じ、尽くし、歩き方さえロクに教わらず、いざ成人になると、さあ立て!歩け!と突き放される。
失敗も全て、成人したのだ「お前の問題だろう」と、決して救いの手は差し伸べられず、ただ「肉体」だけが「成人」した。
実際は、いつまでも「親の意見」を常に「最優先」し行動するのみ。幼い頃と何も変わっていない。
心も成人になった、
周りの人たちと、遊びや旅行の約束ですら、自分ではなく親の機嫌で、キャンセルしたりしてしまう。
意志が「親の意見」と繋がった状態だから、人と会話しても、返答に自信が持てなく、積極的に人と関われない。
とにかく「生きている」実感が
ないのだ。圧倒的な「不満足感」、大人になっても何もいいことがない、そんな感じ。
それでも、若い頃は
「ノリ」と「勢い」でなんとかやり過ごせた。
見ないように生きようとしていたが、子育てを通じ、だんだん「これじゃない感」を見過ごせなくなってくる。
子供の幸せを願っているのに、最優先で考えたいのに、なぜか「母の意見」を子より優先してしまう、このジレンマ。
母も「認知の歪み」の中で育ち、
断ち切るのではなく「負」のバトンを私に渡したのだろう。バトンを渡した自覚さえないままに。
だから母はきっと、単に「独りぼっち」は寂しい、だから「母子一体」であり続けたかった。そうすれば母の心が「安心」するから。
残念ながら、母は「押さえつけられて爆発寸前」の我が子たちの、不満の根底に目を向ける「勇気」がなかったのだろう。
そりゃそうだ、自分が変わるより、
相手が自分の想定した「形」に変わってくれる方が、はるかに楽だから。
でもね、大人になると責任は「私」にあるの。
だからこそ、生んだ以上、最低限の「自立」でいいから、そこを育てて欲しかった。ちゃんと自分の足で歩けるように。
いろんなチグハクを、
こんがらかり、硬く結ばれた心の糸をほぐすのは、母ではなく「自分」。
糸を解く爪の痛み、解けないイライラ、山ほど絡まった糸を「うんざり」しながら、チマチマと一本の真っ直ぐな糸にしたのも「自分」。
親がちゃんと絡まないように芯に巻きつけてくれていたら良かったのに、そうしたら、いろんな「あれこれ」も奪われず、遠回りせずに生きれたのではないだろうか?
毒親の、毒母の、毒家庭の事、
理解はした。怒りも恨みも今はない。だが親が変わらない限り、再び交わることはない。
こうやって自己を守り、生きなくてはならない人もいる、って事。
美味しいものを見つけた時、
あぁ、お母さんも好きな味だ、買って行ったら喜ぶだろうな、と思う日もある。
寂しくないといえば嘘になる、だけどやはり、心をえぐられるのは、もうごめん。
断ち切る事が、大切な人たちを守る事
悲しいのは本当。でも、そうしなければ、自分の責任で行動できないからね。
だから、時々振り返りつつ、気を引き締めて、強い自分になれるべく、日々鍛錬をするのみだ。
幸せも不幸も、変化を起こすには、まずは自分の足で立たなければ始まらない。
by 毒親育ちmochi
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