毒親編はじめます

毒親編はじめます

毒親というパワーワード

毒親と聞くと、暴力ネグレクト等の肉体的虐待事件のような、ニュースで目にする事件関連を思い浮かべる人も、まだまだ多いのではないでしょうか。

ニュースになる事件の場合、親を「毒親」と呼んでも、納得してもらえる言葉だと思います。

しかし、目に見える肉体的虐待を受けていない場合、人に両親の事を「毒親」と呼び話すのは気が引ける自分がいるのも事実です。パワーワードかなぁと…

父母を毒親と言い切ってしまう事に、少し罪悪感を感じるけれど、大人になっても依然「生きづらさ」を抱えている私が存在するのも事実でね。

それは「親の毒」に塗れ、認知の歪みの中で育ったから。

そして抱える「生きづらさ」こそが、生育環境にあった事に気がついたから、親を毒親と表現する以外当てはまる言葉が見つからないわけで…。

認知の歪みに気が付かず、解毒しようと行動を起こさなかったら、今頃私はどのように生きていたのだろう…想像するだけでゾッとする。絶縁できて本当によかったと一片の曇りなく言い切れる。

昔の私は、自己肯定感が低く、物事を深く考え落ち込み、それでいて親しい友人にはぞんざいな態度をとって(甘えたかったのだろう)、私何かおかしい…そう感じ始めたのは10代だったと思う。

怒りと優しさのバランスが変で、振り切れてしまうのだ。自分の行動なのに、止められず、後で後悔する。この繰り返しだった。

自分が母親となって毒親に不信感を、

募らせていくようになるのだが…

後に綴っていくけれど、

私を毒親の沼から救ってくれたのは「我が子たち」だった。それは現在進行形で毒親の「歪み」に新たな気づきを与えてくれ、二度と「あの暗黒に戻らないぞ」という強い心を育ててもらっている。

なぜか?

私には、物心ついた3歳の頃、すでに父母から「叩かれ、小突かれ、真っ暗なトイレに閉じ込められ、雪降る夜に肌着で締め出されていた」記憶があってね。

それから20数年経て、私は母親となったのだけど。

私(母親)を必死に頼ってくれる小さな命に出会った。とてもではないが目の前のお子に「私が経験した事(父母による暴力)」と同じことを私は出来ない。というか出来る事が信じられない。

その気持ちこそが、私が父母に対し「不信感」を募らせると同時に、私自身子育てに悩む始まりでもあり、結果両親が毒親だと気がつくきっかけとなるのだった。

「毒になる親」を読む

毒親に悩む人の入門書とも言える「毒になる親(スーザン・フォワード著)」を読んだのは、今から15、6年ほど前である。

「アダルトチルドレンという物語(信田さよ子著)」も読み、アダルトチルドレン、機能不全家族、そして毒親という単語を初めて聞く。

15、6年前、「毒親・アダルトチルドレン」という言葉はほぼ認知されていなかった。

「毒になる親(スーザン・フォワード著)」を読んだ、

心に「親に対するモヤモヤ・怒り・悲しみ・苦しさ」があるが「何不自由なく育ててもらった」から、親に感謝するべき、そうでなくちゃいけないと思っていた私が、

読了後、

親に感じる「違和感」の正体は成育環境にあったんだ!親を悪く言ってはいけないと我慢しなくていいんだ!

モヤモヤし持て余し気味だった私の気持ちを「言語化」した内容に…読んで涙が止まらなかった。

あの時本を手に取ったきっかけは「子育てに悩んでいた」からだった。

子ども①がまだ幼い頃で「愛情」と「甘やかす事」の違いがさっぱり分からなかったから。参考になるかな?と思ったのだった。まさか私が救われるきっかけになるとは…( ´艸`)

毒母は「愛しているあなたが大事」と

言った同じ口で「あんたなんかいても何の役にも立たない」と言う人だった。

私は沼気質で、気になるととことんまで調べたくなる性分、そして本好き。

ググれる時代じゃなくて新鮮な情報は「書籍」の時代だったから、あの本に出会って本当ラッキーだった。

私の価値観がカラリと変わった音がした、本当に。

私の中身の「何か」が変化しそうな予感もした。

まあね、状況把握ができても、親の「洗脳と共依存」から抜け出せるのは、まだまだ10年以上先の話になるのだけどね。

外からは気がつけない「毒親」の存在

私の両親がそうだが、世間的には品行方正で常識人、優しく穏やか、理想的な優しい親と認知されている。だがそんな親の中に、意外にも毒親が潜んでいたりするのだよ?

私も「素敵なお母様でいいわね」と、よく言われたものである。

私の親のエピソードを

これから「毒」編で綴っていこうと考えています。

優しい親の面と「毒」を帯びた親の面、どちらも本当の姿だった…

戸惑いながら数十年単位の年月をかけ、やっと自分が「どうしたいのか」そして「自分ファーストな生き方」ができるようになったのか。

そのあたりを毒編で綴っていきたい。

子どもの頃の私の居場所は、

毒親の子どもへの態度の一貫性のなさは、小さな子どもには理解できない。そして怒鳴り声は恐怖だった

親に怒られないよう、地雷を踏まないよう、親の顔色を伺い、毎日を穏便に過ごせるよう、自己を封じ込め、本音を語らず、親の精神の安定を一番に考え、すすんでサンドバックになった。

親に捨てられると「思うよう」洗脳されていたから、捨てられないよう一生懸命だった。

子ども時代の私は、

ある時は、親の愚痴を聞くカウンセラー、母の親友役、母の母親役でもあった。どんなに理不尽で嫌味な言葉を吐かれ、怒られ、言葉の暴力で当たり散らされ、叩かれ、サンドバック状態で心がボロボロに傷つこうとも、

それでも母が好きだった

母に嫌われないよう、母に好きでいてもらいたくて、母に笑っていてほしくて、幼いながらも健気にアンテナを張り巡らせ、怒らせないよう、笑顔でいてくれるよう願い、神経を張り詰めて…

その努力…気を使い顔色を読むことで、家庭内に自分の居場所を作り、母の不機嫌に最新の注意を払い生きていた。

土下座お年玉事件ってのがあってね

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私の父母、いや母方の家族ははっきり言って毒に浸かり切っていました。今思い返してもなかなかの毒っぷり

めっちゃ覚えているのは、何がそんなに祖母の逆鱗に触れたのか覚えてないけれど笑。

小学校の頃、親戚が集まるお正月、私も含むいとこ全員が祖母の前に正座させられ

「お年玉がほしけりゃ土下座してお願いしな!」と言われたお年玉土下座事件

気も使えるが、気も強かった私は、もちろん間髪入れず「土下座するくらいならお年玉はいらない!」と言った。

言ったその横では、兄が土下座をしてお年玉をもらっていました…(新年早々地獄絵図)。貰わなかった女子チームは「可愛げのない子たちだね!」と言うお言葉のみを戴いた新年の幕開け。この場面だけ鮮明に覚えてる( ´艸`)

思い返してファンキープっぷり炸裂で、気性の激しい祖母でした。優しかった記憶は1割程度、気まぐれに優しくしてくれる日もあったなぁ程度。

しかめっ面とくわえタバコと、花と金魚を愛でる「母方の毒のボス」、それが祖母だった。

毒編、本日はこの辺で。明日は「病」編です。

明日も遊びに来ていいただけたら嬉しいです。

by 毒親ちmochi