「役に立たない娘」という呪いの言葉

「役に立たない娘」という呪いの言葉

役に立たない娘

私はその言葉に呪いをかけれてしまった。(ギブ&テイクのシーソー

何も役に立たないという言葉の呪い

私の後の人生を苦しめ、母の掌から逃れられなくなった呪いの言葉。

結婚後はこの言葉の呪いに従い、実家の近くに住まねば母が悲しむと忖度し、近くに家を借りた。

罪悪感を持ち、役立たずな自分を「挽回」しようと、自ら勝手に母の「寂しさ」を察知した行動。

母の望む「実家の側に住むね」という言葉を先回りで用意し「母への優しい気遣い」「母の希望の言葉」を差し出した。

結果はドンピシャだ。母は鼻高々に「いつまでの親離れできなくて困るのよ」と自慢げに、そして嬉しそうに、周囲に話した。

母が喜ぶと「黒い感情」が少し減り、息をしやすくなる。

良かった、ちょっと呼吸が楽になった。

晴れない心で、ほっと息をつく。

毎度のこと、大丈夫、慣れっこだ、とね。

束縛する相手に、なぜだか身を差し出してしまう

嫌なのに、でもその方が楽だから、と決め込んで。

社会に出て気がついた事があった。

なぜか私は「毒」を持つ人に気に入られ「依存」され、そしてその気持ちに「答えて」しまう。私を都合よく雑に扱う相手に、すんなり「自分」すり減るほど差し出してしまうのだ。

私はサバンナにいる「しまうま」だ

仲の良い友達といる、束の間だけ安心できる環境。

家に帰ると「毒母」というライオンがいる。

会社に行くと「仲良しの先輩」というライオンがいる。

サバンナで気を抜いたものは生きて仲間の元へは戻れない。

ライオンに怯えつつも、生き抜くために、不本意ながらも、実家の近くに家を借りた。

実家を出て、本当に生まれて初めて

家とはサバンナではなく、しまうまの仲間が出迎えてくれる「安寧」の地なのだと知った。

そう、夫は穏やかで優しい。苛苛する姿など、両手で数え済む程度だ。

私は夫に盛大に甘えに甘え、幼い頃に満たされなかった「母性」と「父性」と「家族愛」を、取り戻すかのように貪欲に吸収した。

これで満たされ幸せになる予定だった

しかし、「ゆがんだ」家庭で育った私は、歪んだ土台の上に幸せを載っけようとしていだけだった。当然、「幸せ」は転げ落ちそうになる。その度載せ直す。その繰り返し。

おかしいなぁ、「幸せ」なはずなのに、また一滴、一滴と「黒い感情」が滴になり落ちてくる。

あろうことか私は、

ライオン(毒親)ではなく、仲間のしまうま(夫)に、今度は母にされて辛かった事。「泣く、喚く、罵る、掴みかかる」を行ってしまったのだ。

どうしても、ほんわり幸せな「何もない」時間をどう過ごして良いのか分からなく苛苛し、

それこそきっかけなど何でもいい…、リモコンの置き場所、靴のしまい忘れ、難癖をつけては、居心地の悪い不安を夫にぶちまけた。

安心できる家庭を知らなかった

無言が怖かった。私にとって無言とは「怒っている、気が付けよ」のサインだったから。

黙っているのは何か「気に入らない」からで、朝起きるのが少し遅い日は、「私と顔を合わせたくない」のかもしれない、と。あげればキリがないほど、重箱の隅を勝手につつき、不安を産み出しては夫にぶちまけた。

今から考えると、

母に父に、されて嫌だった事を

夫に仕返ししていたのだ。

せっかく楽しく暮らし始めたのに、なんでうまく行かないのだろう。

癇癪をおこす自分は毒母とそっくり…、認めたくない現実。

悩むと図書館に行く。

精神に関する本を読み進めていくうちに、ようやく一つ結論がでる。

私の家、ゆがんでたんだ

四半世紀の時を使った大発見だった。

しかし、まだその時は「毒親」も「機能不全家族」も「アダルトチルドレン」も載っていたなかった。

でも歪みのイメージは理解できた。私の怒りがどこからきていたのか、薄らぼんやりとだけど見えた。

母のような母にだけはなるまい

これは、昔から呪文のように心に唱えていた言葉。

ずーーーーーっと、これだけは決めていた。

うっすらと、認知の歪みを感じ始めた頃、私は母となった。

春の頃である。

by 毒親育ちmochi