夢か現か幻か、共依存の救いのなさ

共依存という救いのなさ
過去を振り返ると、そんな言葉がぴったりだ。
強烈な愛情と愛着、それを根こそぎひっくり返すような怒号。
父の、母の、感情の揺れ幅に、
怯え、ギュッと目を閉じ、手を握り締め、体を縮こめ、食い縛り、我慢をする怒られている私は「夢」であって「現(うつつ)」ではないと信じ込もうとしていた。
愛着こそが、私へ与えられる正しい評価であり、愛なのだと。(一番古い怒られた記憶)
只中にいる時は周りが見えていない
私は、長年「母が大好き」で「愛されている娘」だと思い込んでいた。
心に溜まり排出されない「黒い感情」に目を背け、愛されているんだと、言い聞かせ感情を手名付けたはずだった。所詮、誤魔化し切れやしないのに。
台風の目の中にいる自分は、台風の存在に気がつけなかった。
私は、「違和感」も「不信感」も確かに分かっていたはずのに、目の前にある「安寧」にすがっていた。
母もまた私を、「仲良し」で「母思いの優しい娘」だと思うことにしていた。だって「こんなにお金も時間も注いできた」のだから、それこそ「愛情」なのよ…と。
ヤバイ場所に落とし所を決めてしまった私と母は、
これで共依存が完成してしまった
母も私も、近づけばどうしようもなく苛立つ癖に、離れるのが不安になる。そんな不安定な関係を「絆」と信じ、共にもたれあい、反発しつつも慰め合う関係になっていった。
互いが互いの苛立ちの吐け口として、そして慰め合う同志として、離れられない関係を作り上げてしまった。
何がいけなかったのだろう
母の実母が愛に溢れる正しい人だったらよかったのだろうか。父母が戦争の影響のない時代に生まれていれば良かったのだろうか。父がもっと家庭的だったらよかったのだろうか。兄や私がもっと素直だったら良かったのだろうか。
何をどう考えようとも、過去の終わった出来事を考えるのは愚かな事だ。
わかってる、そんな事百も承知だ、正しい答えなど存在しないのだから。
ミステリー小説が教えてくれた
亡くなった人の人生を擬えても、その人が蘇るわけではない。筋道を論理的に考えて、正解を選ぶのだ。人生には限りがあり、無駄なことはするべきではないと。
大好きなポアロが、ミス・マープルが、ホームズが、脳細胞を使って考えろ、と語りかける。
本や漫画の主人公、劇、歌、詩、いろいろな創作物が、違う生き方を語って聞かせてくれた。君のいる世界は「ゆがんでいる」「離れるべきだ」「それは正しくない」と。
愛着という厄介な関係
ずぶずぶと互いを「負」の感情で縛り付け合う関係にハマってしまった私は、どうにも身動きが取れなく、窒息しそうなほどに「黒い感情」に飲み込まれそうな…、限界が近づいていた。
愛と愛着、似て非なるもの。
そこを間違えてはいけない。愛は相手を丸ごと受け止める。愛着は自分の容器から超える自由を与えない。圧倒的に「選択の幅」が異なる。
もし母が、もし父が、もし兄が、もし私が。「愛」だけを感受できていたなら結果は違ったのだろうか。
春の気配が近づいてくると、少しだけ苦い味と共に家族を想う時がある。
母にも幸せになってもらいたい
「愛着」で依存しあっていたときには見えなかった景色を、母も見てくれていたらいいな、と微かな希望は胸に秘めている。
互いに縛り付け合い、それを「絆」と勘違いしていた私の、絡まった糸が解けたように、母もほぐれているといいな。
同じフィールドでは無理だけど、各々の場所で、楽しく生きていてくれたら嬉しいな。
by 毒親ち mochi
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