毒親との絶縁を早めた一本の電話

毒親との絶縁を早めた一本の電話

その後、私は仕事を終えると

子ども①②と共に実家に向かい夕飯を食べる。日曜日は家族4人で実家を訪れ夕飯を食べる、というルーティンを受け入れ過ごすようになる。

母)「学費は出してあげられないけど、食費で協力してあげるから、毎日来て構わない。だから夕飯は実家で食べなさいよ」(毒親と契約と学費と命、天秤で測れる?

これは「毎日来い」と命令形に変換するのが、母的に「正解」。(毒親あるある)

断ると、不機嫌な声で電話をかけてくる。

「来ると思って〇〇(食材)買っておいたのに。来なさいよー。え?夕飯用意しちゃったの?いいじゃない、それは明日食べれば」と、断っても、あの手この手で実家で夕飯を食べるように差し向ける。

「来て」といいつつも

機嫌の良い日がすこぶる少ない。私の育った頃と同じ母の苛々が、食卓に圧をかける。

孫にイライラをぶつけると、私が実家に来なくなる。

だから父にぶつける。「楽しい会話」の言葉尻を捉えて父に嫌味を言うその姿は、母が憂さを晴らしているように目に映る。父はムッとしながら黙って食べる。

例えば、鍋を囲む

子どもたちはお肉を先に取る。父は孫たちを優先し、野菜を中心に食べる。

その様子が気に食わないのだろう…、母が「ほらー、遠慮してたらなくなるわよ。この子たち(孫)遠慮しないんだから、さっさととりなさいよ。私そこまで面倒みないわよ」と苛立った口調で言う

結果、子どもたちは遠慮をする。

そして私も気を遣い、父の器に取り分ける。

その姿がさらに母を苛々させる。

大きな声で「自分でやって、って言ってるでしょ?なんで娘に取らせるのよ。子どもじゃないんだから」と、毒のある言葉を食卓に撒き散らす。

行けば行ったで、母の地雷に気を遣う

行かなければ、来るまで、なんなら首を縦に振るまで、延々電話とメール攻撃。がん告知後、5回目の誕生日もそうだった。(毒親と決別を決めた日

そのうちに行く回数が極端に減っていくようになった。

夫の帰りが遅いので、仕事を終え3人で食べる方が、実家で食べる夕飯より想像を超え遥かに「気が楽」だと気づいたからだった。

母の機嫌、地雷、マストのスイーツ、

これらを用意周到に準備し備えても、それでも、何が母の逆鱗に触れるかわからない夕食。

がん告知後、5回目の誕生日以降、私はパタリと連絡を断った

久しぶりの家族4人だけの年始

毎年、お墓参りから始まっていた実家の新年。スマホをいじると機嫌が悪くなる母。だらだらと、することもなく、かといって楽しい話題があるわけでもない年明け初日。

家族だけだと、すごく楽しい。なんだおせちも美味しいじゃん。だらだら寝正月サイコーじゃん。スマホもテレビも誰も文句言わない、リビングでみんなころころ過ごすお正月、やばい、めっちゃ楽しい( ´艸`) 。

着信拒否をし、連絡を断ってから、

半年ほど過ぎた頃、知らない番号から着信があり、誰かな?と電話を取ったら母だった。

いきなり怒鳴られた。「あんた、一体いつまで拗ねてるつもり?いい加減にしなさいよ。一体何が気に入らないのよ。まさか、誕生日の事まだ根に持ってるの?」(娘が、がんと知った時、母は「私の老後がなくなったのね」と言った

私「それもあるけど、お母さんの顔色を伺う夕飯は嫌なの。家なら苛々する人いないから、気が楽なの」

母「へーえ、あんたやっぱりそんな事でいじいじと嫌がらせをしてるのね。呆れるわ。だいたいねぇ、あんたのためを思って夕飯用意してやってるのよ。たまに苛々するぐらいでゴタゴタ言うなんて何様なの?

私「だから、私たちが行かなければ、お母さんも苛々しないし、私も気が楽だから、それでいいじゃない」

母「家族なんだから、たまに当たるくらい、多目にみてもいいんじゃない?だいたい誰のおかげでここに住めてると思ってるのよ。あんたには感謝の気持ちが足りない」

私「いい加減にしてくれない?他人にだったら、同じ事言わないよね?苛々をぶつけないでしょ?それって家族だから甘えてるだけじゃない。自分の機嫌くらい自分でとってよ」

母「$%’”…(怒りすぎて何を言ってるのか聞き取れない怒号)」

私「いい加減私を解放して。もう実家には行かない」(電話を切った)

ここから、決別まで後少し

母が放った言葉が、私の心を大きくえぐりとり、自己を保つ自信がない程、揺さぶられ、ボロボロになり心療内科の門を叩くまで、あとほんのちょっと。

母は、私が一生忘れる事の出来ない言葉で深く心をえぐるのだ

今の私は、母と離れた事により心安らかな毎日を送れている。

薄々母の心根は知っていた

実母だからこそ、あえて触れないようにしていた「人としての在り方」、母の醜い部分、綺麗な言葉に酔いしれて語る一方で、本当は嫉妬心、猜疑心が渦巻いている事。

自分がされて嫌な事を人にしてはいけない。

よく父母が言っていた言葉、本当にそうなんだけど、そこに「私(人)」が入っていない。

今更母に謝罪など求めていない

私は欲しいのは、毒親との「距離」。それさえ確実ならば、毒親の人生に興味はない。

私は、私の残された命を生きる

人としてかっこよく、時に笑顔を添えて、それこそ楽しく、最期まで、できるところまで「私なりの人の在り方」を貫いてみたい。弱音をはいちゃうかもしれないけれど…

それが私の軸、心の支えであり、確固たる信念。強く優しくありたい。

大切な人たちと、大好きな音楽と洋服と、これらを身に纏い、生きれるところまで、今まで抑圧されていた自分を解放してあげたい。楽しんでみたい。

人生、いつ何が起きるかわからないんだから、常に「今」を大切に、かっこよくいられたら、それこそ最高じゃん。

by 毒親育ちmochi