毒親と絶縁の理由の一つ、恩を強いるプレゼント

毒親と絶縁し3年目になる。
2年の間に数回毒親からアタックがあったが、復縁する気はないので都度対応してきた。今後もこのスタンスでスルーを貫くつもりだ。
母が、私の幸せを真に願ってくれるのならば、このまま距離を保っていてほしいが、相手は毒母だ、
まぁそうも行かないだろうこともわかっている。その時が訪れるまでは、深く考えず過ごそうと決めている。(よろしければこちらもどうぞ↓)
母と一緒に食事をしたのは
いつが最後だろう?そうだ。あの日だ。
私が「母はやはり毒母」そして「毒親」なのだと痛感し、心えぐられ怒りに震え、それは発作の前兆で、
複雑性PTSDの症状なのだ、と後に知る薄曇りの2年前、3月の終わり頃。(よろしければこちらもどうぞ↓)
私は家族での団欒に縁がない。
きっと毒親育ちの人ならあるある案件だとも思うが。
家での食事が「楽しく」なるのも、味がせず、俯き涙を堪え「無理やり飲み込む」のも、全ては母の「気分」次第だった。
母はイライラすると食卓にさえ圧をかける。
それでも気が済まなければ、
勉強や習い事を理由に私の至らなさを責め叱る。
それでも気が済まないと父をけなす。だから父は無言で食事を終える。
会話の「何」がきっかけで母のスイッチが入るかわからないから黙っていたのだと思う。
それすらも母の「怒り」の対象になる。
「お父さんは黙って食べるから面白くもへったくりもありゃしない」
それで済むならまだマシだ、さらに言葉が続く、
「ねぇ、mochiもそう思うでしょ?こんな面白くもない人と結婚なんてしたらつまらいわよねぇ」と私に同意を求めるのだ。
それは、孫が大きくなっても
変わらなかった。
父も父で、悲しいかな毒父であった、間違いなく。(よろしければこちらをどうぞ↓)
でも孫にはほぼ「毒」を向けなかった父なので、子供たちにとっては優しい祖父だった。
孫である子供たちは、毒母に責められ無言でいる毒父を、切なく感じ、心を痛め、ある日私にこう言った。
「あんなおじいちゃんの姿を見るのが辛い」と。
わかるよ、私もそうだったから、ごめんね。
楽しく食事を終える日があると
「ホッと」胸を撫でおろす、そんな強烈な圧。誰も母に逆らえない。
逆らうと何倍にもなって返ってくるだけではなく、「どれだけしてやってると思ってるの」という反撃できないセリフを投げつけてくる。
実際、買ってもらっているので黙るしかない。やはり母を怒らせないのが身を守る最善策だった。
毒親と絶縁したい理由に
「金輪際一銭も受け取りたくない」という気持ちも強かった。
母の差し向ける愛は、常にギブアンドテイクだったから。そして母の希望のテイクを渡せなければ、「何もしない」と責められるのだ。
常に思っていたのは「不満」
母の正解がコロコロ変わり、法則がないから。そこから学んだことは「何もギブされない」それが一番安全ということ。
だが毒親であり毒母なのだ、
斜め上から責めてくる。
現金をポケットに入れ「好きなもの買って」だの、ケンタッキーを買って「渡しにくる」だの、とにかく「現物」を買って持ってくる。
断ると「せっかく買ってきたのに」と責め気味に押し付けてくる。
断っても断っても、手を変え品を変え「ギブ」を投げつけてくるのだ。子供もぼやいていたが、買ってくれる行為がもはや脅迫だと。
うん、わかるよ。見返り込みの「ギブ」を断ることさえできず、毒母のお好みの「テイク」を返さないと怒り狂い責められる理不尽さ。
しかも「やってあげる優しい母であり祖母」
と思っている毒母。
感謝こそされても責められる筋合いはない、と本気で思っている相手に理解を求めても無理なことだったのだ。
何度説明しても聞き入れてくれず、相変わらず「ギブ」を投げ続け、「テイク」を求める毒母。私も子供たちもお手上げだった。
嬉しい感情ではなく「致し方なく」受け取っていた。
母は「愛」を注いていたのだ、
それは間違いはない。ただ「感謝」という気持ちを形に表した「品物」を見越した「愛」だったのだ。
母はよく「お金は上手に使うのよ。うまく使えば人は寄りつく」と言っていた。
そして気は心を受け取った時は、「それ相応の品物を返す」もの。だから不要な品物だとしても断らず受け取り、返礼をするのだ、それが常識だと。
母は、自分がプレゼントを渡した相手
から何も返ってこないと、もうあの人とは付き合わない、と怒り本当に縁を切るから怖い。
そして想像するに、言葉が悪いが、母から私たちが離れていくのが不安だから物で釣っていたのだろう。
そんな事をしなくても、人は心で繋がれるのに。そこに母が先に気がついてくれるか、もしくは父がアドバイスできていたなら違っていたんだろう。
果たして母はお金の使い方が上手だったのだろうか?私にはよくわからない。
私は人に何かを送る時、
喜んでくれそうな品をあれやこれや悩み選び、渡す時にドキドキしてしまう。「にっこり喜んで」くれたら、「幸せ」。
それ以上の「何か」をほしいと思うことが不思議。あげたい意思は私にあるのであって、それこそ私の勝手で渡すのだ。
好きそうな品を見つけた時、
お誕生日、何かお祝い事、そんな時に顔が浮かぶ人がいるのは幸せ。
喜んでくれる笑顔が私をさらに幸せな気持ちにしてくれる、キラキラと可愛らしい幸せ。
毒親との絶縁で変われたことも、自由に生きれる事に気がつけた事も、勇気を振り絞って本当によかった。
嬉しいよ、喜んでくれる人がいて。
最高じゃない?好きな人の笑顔。
by 毒親育ちmochi
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