毒親育ちmochiと申します

毒親育ちmochiと申します

はじめまして♪

毒親育ちです、mochiと申します。

アラフィフ、お子①②の母で妻(2020.02現在)

父母兄+両親族に『絶縁状(内容証明郵便)』を送り、全ての関係を断ち生きています。

しがらみから解放され6年目( ´艸`)イエイ ♡

  1. 兄による性被害を父母に訴えるも取り合ってもらえず(30代)
  2. がん患者となっても毒親っぷりが変わらず(孫を養子にしろ等)
  3. 父母に絶縁を宣言(40代)
  4. 父母兄、親族に絶縁を宣言
  5. 最期の手紙を送付し、関係性の終了を宣言

父母兄私の4人家族育ち

  • 毒母強め(過干渉、暴言が主、暴力と経済締め付けも有り)
  • 毒父(傍観、毒母の暴走を全て私に任せ、毒母に煽られると兄私をフルボッコ)
  • 毒兄(毒親の被害者であり、その鬱憤を私への性暴力ではらした加害者である)

幼い頃、両親の喧嘩と暴力が激しく、兄が庇ってくれた記憶があるけれど…

その後引っ越した一軒家が「閉鎖された空間」で…

あの家で、母はどんどんおかしくなり、父は家に帰ってこず、兄は病み、私はピエロ役を演じ切りました。

母による叱責と脅迫に壊れた兄が、私に性暴力を振るう地獄の家が、私の10代です。

機能不全家庭で受けた虐待の記憶は、時を経て薄らぐでも消えるわけでもなく、様々な場面ででフラッシュバックし、地味に私を苦しめますが、治療を続け向き合っています。(診断名:複雑性PTSD)

がん告知が絶縁の後押し

毒親と訣別しよう!と行動に移すきっかけは病気でした。

私は希少がん患者(診断名:悪性腹膜中皮腫)でもあります。

告知を受けた日、病院から泣きながら毒母にがんと告げた電話越しの第一声が「私の老後が無くなったのね(=娘が先に死ぬ?え?私の老後はどうなるの?つまり毒母にとって予定外)」でした。

娘の心身の心配よりも自分の老後の心配を口にした毒母の言葉にショックを受けたのが「解毒への一歩」でした。

この一言はようやく歪んだ親子関係に気がつくことができた一言でした。(病歴等ブログ:悪性腹膜中皮腫と沼も開設しております)

ざっと年表にまとめております

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  • 毒親に絶縁を宣言をするまで
  • 絶縁後の気持ちの変化
  • 複雑性PTSDを治療中
  • 希少がん(悪性腹膜中皮腫)患者としての思い

もろもろ絶縁前、絶縁後を綴っております。

怒涛のがん告知後

どう生きたい?どうしたい?!

自己を押し殺し、どうしたいのかすら行方不明だった私自身に本音を聞き出し、ようやく毒親による長年の「洗脳と共依存」に気がつき…

やっとこ「毒親の洗脳」から目が覚め、絶縁に漕ぎつけ今を生きております。

怒涛の約7年間を整理し、己の記録を綴ってみようじゃないか!とブログをはじめました♪

依存するなら、毒親ではなく

自分の「スキ(推しともいう)」にとことん依存しようではないか!

病気である現実は覆りはしない。でも「スキ(推しと言おう)」が私をしあわせな気持ちへ導いてくれるのもホント(現実)。

同じホント(現実)なら「スキ(沼とも言う)」の底をみつけるまでとことん楽しんでいこう!

ということで、ブログタイトル

ブログ『毒親育ち|楽していこう』

をどうぞよろしくお願いいたします。

毒親育ちmochi