mochi絶縁年表作ってみました

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改めて自己紹介と申しましょうか

mochi絶縁年表

毒家族(毒父・毒母・毒兄・両親の親類全て)と絶縁を決めた経緯と絶縁後

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mochi家毒系譜

私は母方の毒が強めな毒親育ちでして、系譜を図にしてみました。現在私は松一次女以外、縁が切れています(2022年3月3日まで)。

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ざっとこんな感じでございます

父方に関しては全滅でして、あえて図解は必要ないかと…。

私だけでしたら、絶縁以前より父方親族とは誰とも連絡をとっていないどころか、連絡先を知っているのは毒父の実弟のみという縁の薄さ。

父は三人兄弟、三男は独身で、数年前に亡くなっております。次男に二人子供がいますが、元々関係性が薄く「いとこ」という感覚はありません。

ちなみに年齢は私と兄と、同年齢。それでも仲良く遊んだ記憶はないまま現在に至っております。上の方とは25年、下の方とは30年以上会っておりません。

父方の親族で、過去に冠婚葬祭で顔を合わせた方々との付き合いは「祖母の代」までで、現在ご存命の方はいないので、親戚付き合い自体が存在しません。

希薄すぎる血縁者との関係

父も母も、「血縁」を大事にと口酸っぱく言い続けておりました。

血の繋がり、家族の絆、いざって時に頼れるのは親兄弟しかいないと、事あるごとに申しておりました。

しかし、年老いた両親に今残っている「血縁」の希薄さについては、なかなかに香ばしすぎて、私から言うことは何もありません(涙)。

繋ごうと必死だった母は、あれやこれやと行動に移しておりましたが、結局は相手に「母の理想」を押し付けるのみで、それを煙たがった相手から距離を取られ縁が消える事を繰り返し…。

母は父の親族に対しても

「繋ごうと躍起」だが結果は同様の有様で、気がつけば父も母も、もう頼れるのは「毒兄」だけなのではないかな?と、絶縁後は両親の血縁者との付き合いを知らない私は想像します。

毒母の思考はいつも予想を遥かに超えた斜め上から来るので、もしかしたら新たなパイプを通しているかもしれませんが(笑)。

絶縁以前より、私は「親族との縁」は希薄でしたので、実家と絶縁するよりも、親族との絶縁に関しては、宣言すら必要ないほどの距離でしたので簡単でした。

くるりと振り返っても

母方の血縁者は、皆口が軽く、そして口が悪く、お酒に呑まれ家系でした。

内緒事を黙っておけない人たちで、その場にいない人を悪様に語る事に活き活きし、お酒に呑まれては「言ってはいけない」「暴言」を吐き、誰かを責めずにいられない人たちでした。

そしてそれは今も変わらずに、です。

ですので私は母方の親族合う機会がなくなっても、寂しさはありませんでした。集まれば、妬み嫉みやっかみマウント、そんな集団でしたので、未練はありません。

今後、叔父や叔母、両親、いとこ、と…、誰かの死によって再び巻き込まれるうんざりした未来がある事は覚悟はしています。

しかし「私の死」についてだけは、

毒家族及び親類に踏み荒らされたくないと強く希望し、夫に託しております。

散々「親の幼い我がまま」に付き合って、疲弊し生きてきた私です。これ以上私の人生に介入されたくありません。

冷たい人と蔑まれようとも二度と両親に会いたくない、これが私の嘘偽りのない本音です。

by毒親育ちmochi