服の話の続きを

服の話の続きを

母は食い道楽ならぬ、着道楽であった。とにかく服が大好きで、「本物」を追求する人であった。ヨーロッパの洋食器や陶器の人形を集めていた。

母が新婚旅行に着ていたスーツは、刺繍にビーズがあしらわれ、モノクロでも上質なものとわかった。

好きというだけあって

母の目は高く、選ぶものはどれも品があり、それでいて、はかなげな可愛らしさを持ち合わせている、なんとも乙女心をくすぐるものばかりだった。

母自慢の陶器のお人形が並んでいるのを眺めるのが好きだった。

私が幼稚園に持っていくお弁当入れは、ファミリア製のアップリケのついた薄ピンクの藤のかごバックだったし、アラジンの水筒も可愛くて好きだった。

赤毛のアンのような、小さな革の旅行バックに、エプロンドレスやストローハット、これも私のお気に入りだった。

生地から選び作ってくれるワンピースのシルクサテンの光沢にうっとりしたし、下着ですら、レースや小花をあしらったデザインだった。

母のこだわり

母が与えてくれるものは、少女雑誌の夢の世界のように、上品で、華美すぎず、優雅なものが多かった。

令嬢でもなく、洋館に住んでいるわけでもなかったが、幼かった私は、本当に嬉しかった。

身に付けるものは、ピン留め一つ、母がファミリアで丁寧に選んだ品だったし、リボン一本、妥協しない。気に入る品に出会うまで、店を巡るのだ。

そんなこだわりが私は大好きだった。叩かれる竹定規も、私の洋服を作るために使っている時は、うっとりとした気持ちになり、不思議と気にならなかった。

母の好みは一貫して変わらなかったが

私は成長するにつれ「流行」というモノを知った。「本物」でなくていいから今流行りの服が着たい。リボンがデザインされたシューズより、スポーティなスニーカーがほしいのだ。

楽しく選んでいた服選びは、やがて「苦痛」な時間へとゆっくり変化を遂げていく。母の好みのギリギリの範囲で、なおかつ「流行」に近しい私の好みのラインを探すのだ。いつも最後は喧嘩腰になって「妥協」か「強硬」この二択だった苦い思い出。

離れてみると、好みこそ違えど

母のセンスが好きだった。母は自分で服が作れるからだろうか、フォルムや少しの丈の違いで、グッとスタイルは変わって見える、そのつぼを母は知っていた。

今でも思う。

母の選ぶものは、やはり「王道」であり、たまらなく「優雅」なのだ。きっと同じ店に入っても、私が手に取らないであろう品を、的確に選ぶセンスがある。

女性が結婚しても、働ける時代だったら、もしかしたら母はアンティークショップでもやってたかな。ケーキも、ブーケも、和食も作れる手先の器用な母。きっと選択肢もいろいろあっただろう。

確かに幸せな時間も存在していた

それは本当。

ウェディングケーキにキラキラ目を輝かせていると、ささっと二段の大きなケーキを焼いてくれたし、帰宅するといつも手作りの可愛らしいクッキーやパンを焼いて待っていてくれた。

目を合わせて微笑みあって、幸せを噛み締めた時間も確かに存在していた。

でもね、もう一緒にはいられない

好きだったからこそ、もう限界を超えてしまった。

何をするにも、母の顔色を伺いながら生きることはもう出来ない。

自由を知った私は、「囲い」に再び入ることは無理なのだ。

好きな服を着る幸せ

お母さん、私も相変わらずあなたと一緒で服が大好きです。

心をえぐる言葉を放った後に、泣きながら「愛してる」と言って抱きしめる、あなたのジェットコースターのような感情に、二度と巻き込まれないよう、

私は今、好きなものを「自分の意思」で選んで、「好きなもの」だけに囲まれて暮らしているよ。やっと自由になれた

あなたの言う言葉通りの「愛」を、本当にあなたが持ち合わせていたのなら、きっと喜んでくれたんだろうね。

子ども自身が幸せを感じ、人生を楽しく生きてくれるって、キラキラ眩しくて「王道」にして「幸せ」なものなんだよ。

やぱっり洋服選びは楽しいね。

by 毒親育ちmochi