毒親とアスベスト、私の心身を浸していく「毒」

悪性腹膜中皮腫、希少がん、アスベスト(石綿)、がん拠点病院、 全てのワードが自分には関係のない言葉だと、たかを括っていた。 仕事が忙しすぎて新婚旅行前に血尿が出て十二指腸潰瘍になったこと、出産前に子どもの心拍が確認できず1週間入院し寝たきりで過ごしたこと、 それを除けば、健康診断で引っかかることもなく、生理痛が重いくらいしか、健康について不安を感じたことはなかった。(告知の日について、詳しくは↓か […]

複雑性PTSDという病名

毒親の何が辛いか 言うことに一貫性がない、すぐ怒鳴る、喚く、殴る、泣き落とし、あげれば両手両足じゃ足りないほど出てくるが、 その中でも私が嫌だったのが、 自分が言ったこと、自分が行ったこと、これらを全てきれいさっぱり「覚えていない」、それどころか、 美しい親子愛にすり替えて 「え?私がそんな酷いこと言うわけないじゃない」「被害妄想が過ぎるわよ」と、別の物語を、あたかも事実ごとく心底本気で、語るのだ […]

パンドラの箱の中身が開いた、あの日

30代の私は、もうすっかり両親が「毒親」だと理解し、「毒になる親(スーザン・フォワード著)」を読み返し、冷静に、成人が成人に対してとる行動かどうか、これを指針に親を観察していた。 母が毒母になる法則がわかったてきた 例えば、御近所さんが立ち話している横を通ったら会話が止んだ(私の悪口を言ってたに違いない)、親戚の誰かが具合が悪い(お葬式になったら親戚と顔合わせるのが嫌だ)、漠然と不安感がある(母は […]

毒親と決別を決めた日

長い間、自己を否定され続けてきた私は 何をするにも心の物差しが全て「母」だった。普通の家庭に育った人には到底理解できないであろう。 アラフォーの、もう立派な大人が、服1枚選ぶのにさえ「母が気に入りそう」な服を探してしまうのだ。 なぜそうなるのか、答えは簡単、「母の物差し」からはみ出たものを身に纏っていると、必ず「あら、珍しいわね、でもその色あなたに似合わないわよ」と恐ろしく出来の良い精度で返ってく […]

母を父を、毒親と呼ぶ切なさ

好んで、父母を毒親と呼んでいるわけではないが 私の育った環境は、反撃できないと分かっている弱い子どもをターゲットにする悪質な「いじめ」が、家庭内で起きている状態だった。 暴力であろうが、暴言だろうが、無視だろうが、 自力で生きていかれない年齢の子どもに行うのは「虐待」以外の何物でもない過去。 「毒親」「毒父」「毒母」と私が呼ぶのか 幼かろうが、自尊心はある。 しかし「毒親」は子どもが自分の力で手に […]

それでもまた依存先へ戻ってしまう

共依存の状態は厄介なもので 一緒にいるのは窮屈なのだが、離れるのも不安になる。 本当の意味で「独り」で人生を立っていないから、 父母の言う「困った時」に、助けてくれなかったらどうしよう…そんな呪詛に本気で怯えていた。私は母と精神が一体化し、母と私で一人の人間のようになっていた。母から離れるのは精神的に不安で怖くて出来ないと、心底思っていた。 激しい怒りの言葉の暴力を受けてきた経験から 毒母が怒った […]

毒と怒りと悲しさと

毒母の罠にかかった愚かな私 「役に立たない娘」であることに「罪悪感」を感じ、より一層母に寄り添うようになってしまった。それ以外、自分の「罪悪感」を沈める方法が思いつかなかった、完全なる洗脳と共依存の関係。 二人目の子どもが生まれ、つかまり立ちをするかしないか、そんな頃、家を購入しようと夫と話し合っていた。 私たちは水辺のエリアや、公園の近く、そしてなにより無理のない範囲でのローンを組めるような場所 […]

自分の親が毒親、毒母と感じるまでには

圧倒的「理不尽」な教育をされてきたはず。 私はどうやって毒親だと気がついたのか 叱る基準がコロコロ変わる、親の予定を優先しないと、食事やお小遣いなどで締め付ける、毒親家庭で育った人には「あるある」なことだけど、程度の差こそあれ「理不尽」に変わりはない。 毒親は、親の言う事を「気持ちよく聞くふりをする(けど隠し切れてない)我が子」の発する「本心」を敏感に感じ取る。結果、親の言うこと聞いたにも関わらず […]

「役に立たない娘」という呪いの言葉

役に立たない娘 私はその言葉に呪いをかけれてしまった。(ギブ&テイクのシーソー) 何も役に立たないという言葉の呪い 私の後の人生を苦しめ、母の掌から逃れられなくなった呪いの言葉。 結婚後はこの言葉の呪いに従い、実家の近くに住まねば母が悲しむと忖度し、近くに家を借りた。 罪悪感を持ち、役立たずな自分を「挽回」しようと、自ら勝手に母の「寂しさ」を察知した行動。 母の望む「実家の側に住むね」という言葉を […]

ギブ&テイクのシーソー

母はギブ&テイクが必須だった 共依存に浸かりきった母と私。(夢か現か幻か、共依存の救いのなさ) 理不尽な要求をされると今度は私が「癇癪」を起こすようになる。すると不思議なことに、母が私に「気を使う」ようになった。 物欲を巧みに操る母 大人しか来ない父方の親戚の集まり、アウェイで心細い母は、私を連れて参加したい。私は行きたくない。 すると物でつるようになったのだ。私の欲しがっている「洋服」「靴」「カ […]

夢か現か幻か、共依存の救いのなさ

共依存という救いのなさ 過去を振り返ると、そんな言葉がぴったりだ。 強烈な愛情と愛着、それを根こそぎひっくり返すような怒号。 父の、母の、感情の揺れ幅に、 怯え、ギュッと目を閉じ、手を握り締め、体を縮こめ、食い縛り、我慢をする怒られている私は「夢」であって「現(うつつ)」ではないと信じ込もうとしていた。 愛着こそが、私へ与えられる正しい評価であり、愛なのだと。(一番古い怒られた記憶) 只中にいる時 […]

父不在の一年、たがが外れていく家庭

殺伐とした父不在の一年 父の転勤したのは兄が高校3年生の時。大学受験を控えた兄を転校させられず、父は一足先に引っ越した。 父が赴任先から帰宅したのは数回。 家でも兄とほぼ顔を合わせず、母と私の二人家族のようだった。 私への依存が強くなっていく母 母は私と外出したがった。 おしゃれをし、ウインドウショッピングを楽しみ、素敵なレストランへ出向く。店員さんとおしゃべりを楽しむ母、仲の良い親子と言われたい […]

服の話の続きを

母は着道楽である。とにかく服が大好きで「本物」を追求する人であった。ヨーロッパの洋食器や陶器の人形を集めていた。 母が新婚旅行で着ていたスーツには、綺麗な刺繍にビーズがあしらわれ、モノクロでも上質なものとわかった。 好きというだけあって 母の目は高く、選ぶものはどれも品があり、それでいて、はかなげな可愛らしさを持ち合わせている、なんとも乙女心をくすぐるものばかりだった。 母自慢の陶器のお人形が並ん […]

重い話ばかりが続いていて

すこし、軽い話を書こうかな。 唯一無二を紡ぎ出すもの これが私の大好物。その人の感性にひらりと触れて「グッ」と心に刺さるものが好き。それこそ、その人の人生の経験値から繰り広げられる物語。 心にいつも、熱く拳を振り上げるような「情熱」がほしいのだ。 その人が積み重ねてきた美学 大袈裟な物言いだが、人には自分が築きあげてきた歴史がある。そこにスッとさりげない美学を持つ人に憧れる。 友人のさりげない、優 […]

暗黒時代の真っ只中

思い返しても暗黒時代でしかない 曖昧で、薄らぼんやりした、小学校高学年〜中学の記憶。特に「あの家」での記憶全般。 誰かがイライラしては、怒鳴る毎日 家庭内に「どす黒い感情」がそこかしこに転がる日常。もはや家族全員が常に戦闘態勢で、「笑顔」「安心感」などは微塵もなく、 なのに夢のような未来を語る母 機嫌の良いときの母は楽しそうに「未来の家族」について語るのだった。兄は有名大学にはいり、私は女子大か音 […]

だんだん追い詰められる私の心

引っ越し、追い詰められていく家庭 知り合いが1人もいない見知らぬ土地へ引越した。(※父母は2度目※兄と私は初めての引越し※) 新しい環境に慣れるべく、各々が自分のフィールドでもがき頑張っていた。 環境の変化に家族全員が四苦八苦 結婚当初、母は父の実家に同居し兄を育てていた。 父の転勤が決まった先は、父母共に生まれ育った土地から遠く離れた知り合いのいない新たな場所だった。そこで乳幼児(兄私)を育て、 […]

母の毒っぷりの加速と、解毒・解放へのはじめの一歩

母の毒っぷりの加速は「あの家」からだった 失敗だったと思う、引越し 私が10歳の頃、山間部の頂を開発した、新興住宅街に家を購入した。庭付き一戸建。(※中古住宅であることが後の結婚後の私への母の嫉妬に繋がることをちょとっこ覚えていてね※) 兄は中学生になっていた。学年のキリの良い新学期に、我が家は団地よりはるか田舎に居を構えた。 今思い返してもてもあれは失敗だったと思う。 街には、幼稚園〜中学は一校 […]

無償の愛とは一体何だろう

無償の愛について考える 集合住宅に住んでいた頃 家は一階、ベランダから庭に降りれる階段がついていて、集合住宅の広場へ行き来ができる造りになっていた。兄が幼稚園に通い始め、母にもママ友が出来、遊び友達もできた。 私と双子コーデをしていたお友達も兄の幼稚園を通じて知り合った。 双子コーデのお友達 彼女はクオーター、大きな英国犬を飼い、映画のセットのような、花柄の壁紙、洋風の家具、洒落たティーカップ、穏 […]

一番古い怒られた記憶

一番古い記憶は暗くて狭いトイレ 多分、あれは3歳頃だと思う。 お箸の持ち方で怒られ、手を叩かれ、父に担がれ、電気の消えたトイレに閉じ込められた。暗くて狭くて、怒られた原因のお箸を握っている私の記憶。 集合住宅に住んでいた。 玄関から一歩出ると微笑ましい家族に見えてただろうけれど、家の中では、いつ父の、母の、怒りのスイッチが入って矛先が兄や私に向かうのか、その法則が分からなかった。 いつも何で怒られ […]

デジタル遺産として子どもに遺したい

ブログ開設のきっかけは子どもと私の命 このブログを開設したきっかけは、 毒親と絶縁した 子ども②は「がん患者」である事を知らない 子ども①は「がん患者」であることしか知らない 私の死後、子ども①②と夫が毒親に傷つけらぬよう 起きた事を綴っておきたかった いつか子ども①②が成長した時、 過去、我が家に「大事(がん告知)」が起きていたのは、きっと覚えているだろう。いつか詳細を知りたくなる日がくるかもし […]

1 9 10