中皮腫と複雑性PTSDになり学んだ事

中皮腫と複雑性PTSDになり学んだ事

約半世紀生きてきても、知らない事が多く

日々アップデートしておりますが、結局「知識」が大事、人は「知る」とこで、相手を思いやる「幅」が広がるのだと痛感する。

それは、もしかしたら、私の家庭環境が「まとも」だったら、当たり前に「気づく」事だったかもしれないし、

もしくは、子育ての途中で「がん」にならなければ、わからない気持ちだったかもしれない。

違う人生を生きる事は出来ないので、

比べることは出来ないが、家庭の「ゆがみ」に気がつき、両親が「感情の抑制」がきかない人だと、うっすら理解し始めた頃から

私のなりたい「大人」とは違う、という思いを抱いていた。

ただ、具体的に何をすればいいのか、どうしたら自分の思い描く「素敵」に近づけるのか、さっぱり見当がつかなかった。

母はいつも険しい顔をしていた

眉間の縦皺を気にして、だから私は「笑顔」で過ごそうと努めた。

父はいつも話を途中で遮り、使い古された立派な言葉を、酔いしれ語った。だから私は「謙虚」を学んだ。

兄はいつも自分以外を見下し、お前らはわかってない、と苛立った。だから私は、努力など欠片も感じさせない創作家たちを尊敬した。

反面教師、その言葉がぴったり

両親は、家のローンもなく、土地もあり、一部上場企業で退職後も約20年、ほぼ現役と同じ職を勤め上げ、健康にも恵まれている。

そして、結婚した娘も近くに住み、孫の成長も常に見守れ、きっと「世間的」には、「幸せ」な老後なのではないか。

健康とお金に不安がなければ、大抵は穏やかに暮らせるものではないか?と思ってしまう。

でも母はいつも不幸を探してくるのが得意

進んで「不幸」という名の「沼」を探して生きているかのように。

だから、私と同じ物を見ても「負」を真っ先に捕らえる。好きで「愚痴」を言っている、悪口を語る時の母は、どう見ても毒母。楽しそうにすら見える。

父は、理路整然とし、感情的にならず、論理的思考だと思っている「自分」の知識を、とくとくと語り、酔いしれている。本当はすぐにカッとし、怒鳴り、手が出る感情的な毒父なのにね。

兄は、自分は人と違う能力があると、今も思い世間を恨み生きている、俺を理解しないのは世間が馬鹿だ、と言わんばかりに、こちらも残念ながら毒兄だ

家族にしかはれない「見栄」

つまんない。まったくスマートじゃない。美しさも美学もひとかけらも見当たらない。

「本当」を持っている人は「見栄」を張らない。「自慢」なんてくだらないことをせず、一人で生きるなんて不可能な事をちゃんと知り、「謙虚」を持ち合わせている。

もしくは追随を許さぬ「圧倒的」な「何か」を持った天才。

私は常に謙虚を忘れず、笑顔でいたい

何者でもない私、でも家庭の中では存在感を放つ「母」、だからこそ、家族が安心して帰ってこられる場所を維持し続けたい。

それには母親の「安定感」が大切。これは毒母に学んだ事。

どう考えて悩んでいるか、まずは否定せず、話を聞く。これは毒父に学んだ。

「その人」にしか創作できない圧倒的「才能」を持つ人が大好き。これは毒兄から学んだ。

生まれる家庭環境を選べないし、

悪性腹膜中皮腫を体内から消し去る方法は今はまだない。残念ながら、過去へ戻りやり直すことは出来ない。

だからこそ、自分の両手を精一杯伸ばした範囲内の人を幸せにしたい、そう思った。

私の家庭は「幸せ」と「憎しみ」が常にセットだったから、だから安心して幸せを噛みしめる事は叶わなかった。

間に合ってよかった

悪性腹膜中皮腫とわかり、毒母・毒父・毒兄と縁を切る事が出来た。縁を切る痛みにより複雑性PTSDだとわかった。

人生を改めて見つめ直す事が出来た。過去の私なら、子供①の巣立ちを「悲しさ」100%で送り出しただろう。

今の私は、子供①の「心細さ」を代わってあげたい、それが出来ないから、せめて普段通りの暮らしを、mochi一家にいるうちは続け、笑顔で送り出してあげたい

子供①が、自分の不安に「だけ」に向き合えるように、決して母親の悲しみまで背負わせないように、

何も出来ないからこそ、普段通り、

そして時に「母の味」を箱いっぱいに詰めて送ろうではないか。開けた時の子供①の笑顔を思い浮かべて。

そう思えるようになれて、本当によかった。

共依存だった私は「自立」出来ていなかった。だから「一緒」に「暮らして」いないと、きっと不安に押し潰されていただろう。

毒親から解毒した今、「心が繋がっている」ことが何より大切なのであって、一緒にいる「物理的な時間」など対して重要ではないと知っている。

だから、やっと自分の「病気」を「飲み込む」事が出来たのかもしれない。

順番が私が「一番」だったとしても、きっと夫・子供①・子供②、と心で繋がれている「確かな感覚」がある。だから大丈夫、と。

告知の当時は、

自分が死ぬのが単純に怖かった。

8年目の今、私の死により、家族に悲しい思いをさせてしまう事が辛い。

家族のために、せめて子供二人が社会に出て一人で生きる姿を見る事ができたなら、とは思うけれど。

それはあまりに「怖くて」願えない。弱っちいからね(笑)。

今日も楽しく過ごせました。子供①の大好きなハンバーグも、なんだかとってもいい塩梅でできたしね。

さぁ、明日も普段通り、慎重に「今日」を過ごそう。笑顔でさ。

by 毒親育ちmochi