改めまして、毒親編はじめます

【毒親育ち|楽していこう】へ
お立ち寄りくださり、誠にありがとうございます。
毒親と絶縁をし、父の誕生日、母の日、母の誕生日を3回スルーして、のんびりベランダで初夏を感じる、そんな贅沢を味わっておりました。
絶縁をしてしみじみ幸せを
感じるのは、好きな時に好きな事を好きな様にしていい、という「自由」がある事。
日常生活に、イライラ、ネチネチ、ぐちぐち、が無い素晴らしさ。
たったそれだけ?
毒親育ちじゃない人には不思議かもしれないけど。本当に「たったそれだけ」がこんなにも心が楽になれるのだ。
言葉だって立派な暴力だからね。日常的に手を上げる人と暮らしてる、と想像してもらえたらわかるかな。
肉体的な暴力と、
怒鳴り怒り責め泣き喚くという言葉の暴力と。
重さはどちらも変わらずに、痛みなのだ。
しつけという名の行き過ぎた体罰は「虐待」といい、暴力なのだという認知度が広がった。
しかし、言葉という暴力に関してはどうだろうか。
実際は、日々毒母から
垂れ流される、果てることのない愚痴や、叱責、嫌味、怒鳴り声、目に見える「痛み」はないけれど、
心を殴られた子供は確かに傷ついている。言った母は苛立ちをぶつけた、そんな軽い気持ちなのかもしれない。
だが、子供は違う。日々浴びせられる心の痛みに耐え、心の傷が癒える前に再び心を踏みつけ傷つけられる。
その結果、心的疾患を患おうとも、当事者である親は「お前の心が弱い」と平然と、さらに言葉の暴力で殴ってくる。
自分の肉体が痛みを感じないと、
わからないのかな?
両親の、あまりにも自分たちにとって都合の良い考え方に、理解などすっかり諦めているし、何も期待もしていない。できれば一生顔を合わせたくなどないほど、毒親と関わりたくない。
だけどね、冷静に考えてみると、
私は余命を越え生きている癌患者、そして喘息と複雑性PTSDという疾患も持っている。
covid-19…それでも私を心配しないのだなぁ、つくづく父も母も「親が上」を貫き生きて行くんだ、そう思った。ただそれだけだけど。
もし母に、心配しないのね?
と言ったところで答えは決まっている。
「あんただって老人二人いるのに心配しなかったじゃない、お互い様よ」とね。
だからこそ、私の絶縁という決断に間違いはなかったと思いを強く、心を軽くすることができた。
街の始動準備にあわせ、子供①がそろそろ自立の一歩へ踏み出す。
「毒親」という言葉のない頃に
親になり、母との関係に常に悩まされ、それでも母の様な母親にはなるまいと、必死で「子供側」に立って考えられる自分になれるよう、
情報を集め、自身の心に問いかけ、反省し、改める
この繰り返しで、子供たちに愛をもらい「人間」になれるよう、共に成長し続けてきた日々。
子供たちへの負荷も、
傷も、涙も、怒りも、きっと私の気がつかない「何気ない言葉」により負っていると思う。
だからこそ、私にできることは、私が生きている間、惜しみない愛を注ぎ続け、人間として成長し続けること。これしかない。
親とは「執着」という愛
でしか関係を保てなかったけれど、夫と子供たちとは愛で繋がっている安心感。
私はずっと、生まれてこなければよかったという思いが消えずにいた。
だからこそ、同じ思いを味合わせたくなかった。
でもね、私の中に毒母がいて、
どうしてもぶつける時があった。後悔もした、毒親という言葉を知り、負の連鎖を知った時、子供を産んだ責任が改めて重くのしかった。
子供が幼稚園の頃だと記憶している。
それからは図書館に通い情報を集め、私の中の毒母を消し去る方法、子供の心を踏みつけない様にする方法、モデルケースがないから一生懸命頭にインプットし続けた。
間に合ったのか、
正解は子供たちにしかわからない、一生私は知ることはない問いかけだろう。
だけどね、「なんか困ったらすぐ言えばいいんでしょ?」ってにっこり笑顔で聞いてくる子供①、それだけで母として幸せ一杯だよ。
「自分よりお母さんが寂しがるのが心配、大丈夫?」なんて聞いてくれるのも、泣けてきて困ってしまう。
人は間違ったらいつからでも、リスタートできる。
過ちを認め、改めて一歩を踏み出せばいい。
大切な人を傷つけたのなら、
心を込めて謝る。許しを願わずに。許すかどうかは相手が決めること、傷つけたことを認め自分が悪かったと伝える事以外なにもできない。
そして大切な人へ純粋に愛を持って接する、それだけで人生十分。
愛している人が、私がいない所で笑顔で生きていてくれる事、それを願い、そうだったら嬉しい、そう思える事が幸せというのだと思う。
だから私は幸せだ。子供①の旅立ちの記念すべき第一歩に立ち会えるのだ。
7年前に癌とわかった時には諦めていた未来。
だからこそ、いや母だからこそ
なのか?子供たちには親抜きで幸せに生きていって欲しい。親は困った時に頼る存在、それだけでいい。
この感情は、私が血を流し決死の覚悟で毒親と絶縁しなければ湧かなかったのだろうか?
それもまた答えは出ない。
ただね、そこまでしないと生きていかれず、そうまでしても心的疾患を患う程の毒を持った親が存在する事実。
目に見えない傷だから
見過ごされがちだけど、確実に心を蝕み後の人生を生きづらいものにする「毒」から抜け出せてよかった。死ぬ前で本当によかったよ。
会いたいから帰ってくる、だから安心して
そう言ってもらえる私になれてよかった
至らず、決して良い親ではなかったけれど
愛と愛で繋がっている「普通」の家庭になれてよかった
毒親育ちにとって「普通」は届かない遠い世界だから
さぁ、明日も「今日」を精一杯、愛と感謝を持って生き切るね
by 毒親育ちmochi
-
前の記事
毒親と中皮腫(希少がん)について 2020.05.24
-
次の記事
毒親はこの気持ちを知らずに世を去るのだろう 2020.05.30
ぽちぽちっと♡励みになります
SNS
