屈託なく生きるはずの子ども時代は私の心身の傷跡

私の心身の傷跡である複雑性PTSD
落ち着いたかな?もう平気かな?そんな風にすっきりウキウキ晴れやかな日もあれば、蘇る黒さが心の真ん中にモヤリンと鎮座してどいてくれない日もあるのだ。
癌細胞と同じで、私が頑張れば、はたまた努力や修行を重ねれば消え去るものではない。
私にできることは、叩いても亡霊のようにしつこく心のドアを無神経に開けてくる「黒」を、再び叩き焼き尽くす作業を繰り返すという「対処」しかできないの。
毒親は癌と心、どちらの心身も理解
してくれなかったなぁ、としみじみ。
もうね、これに関しては達観するしかないのかな。いくら過去の出来事だと言っても、今思い出した事は、今傷つくのだよ。過去なのに、まったくくどい。
両親は私の心因性の病気について、診断書は精神科はお金で好きに書いてくれるものであり、思い込みだと夫に言ったそうだ。(よろしければこちらもどうぞ♡)
両親は「心の痛み」を理解できないから「絶縁」するほどまでに至ったわけだから仕方がないんだろうな。
毒親によるしつけという名の虐待で
50に手が届きそうな私が今もなお苦しんでいるんだ。しかも小学生や中学生の「過去」にね。
素直に自分の心に正直に「屈託なく」生きることが可能な子供時代を、毒母の言葉で、毒父の拳で、文字通り「心身ともに傷を負った」のだ。
両親は言う、親不孝な娘だと。ならばこの壊れかけてしまった心身を交換してくれよ、そう叫びたい。それが無理なら、私の過去を、私の「屈託のない子供時代」を、私の人生そのものを、今すぐ綺麗に返しくれと。
出来ないでしょう?無理だよね?
だから私を諦めてくれ。毒親であるあなたたちが唯一できる「親心」、それは「一生私と会わない事」なのだから。
それを約束してくれたとて、私の壊れかけた心身が治るわけではないのを、どーーーーしてわからいかなぁ。わかんないよね、あなたたちじゃね。
昔父の部下の人がうつ病で休職をしたと聞いた事がある。
何度か実家に来て顔を知っている方だったから、心配したのだが、父はあいつは怠け病だ、いつも遅刻してくる、営業先に行ってそのまま帰る、あんなのただの言い訳だ、と言った。母も同調していたよ、ふぅ。
あの時感じたのは会社に居るのが苦痛なのでは?いや、なんなら父か?とよぎった。真相はわからないが、その後復職されたと聞いたのでほっとしたよ。
家に呼ぶ程可愛がっていた部下に
対してこうなのだ。心がタフなのねー、と遠い目をしたけれど…でも父は「アメリカインディアンの教え(加藤諦三著)」を私に贈る人物なのだ。(よろしければこちらも♡)
あの本、父から贈られる前にすでに私は読んでいた。そう、毒親に悩み、子育てのモデルケースがなく手探りだった私が手に取った一冊だ(ブーメランだよ父)。
良い本だった、こんな風に子供たちを受け止めて見守れたらかっこいいな、読んでよかったと思った。
父も共鳴したのなら、うーん???
疑問が湧いてくるのだよ。一体父はどこに共鳴したというのかい?
ううん本当は知ってるよ「自分のことは棚に上げる」ってやつだよね。
それとも本当に自分は「穏やかで知識のある紳士」と本気で思っていたのだとしたらそれはそれで怖いけど。
だから父の言葉は何も私に響かない。嘘だから嫌い。
痛みを知る人間にならなきゃダメだ、そう夫に言った事がある。きっと父も夫も忘れてるだろうけど(笑)。夫はスルースキルが高い、そして素晴らしく寝付きが良い(あ、これ関係ないか)。
ふふふ、毒親あるあるですよね。
ブーメラン。
子どもの頃はつい言い返して傷を余計に増やしてたけど、大きくなってからは母にも父にも言っても無駄だから、心で叫んでた言葉「むーん、今のセリフそっくりそのまま熨斗つけて返す」って。
つくづく離れてよかったなと。今の世界情勢のなか、一体父は母は私に何を求め、何を愚痴り、どんなはけ口に使われたか、想像したくもないからね。
イラついてるんだろうなー。
きっと二人で煮詰まってるんだろうなー。
私は子ども①から「お腹すいたんだけど簡単につくれるレシピある?」って電話きたりさ、子ども②と夫と三人で楽しい夕食過ごしてさ、夫とジュラシックワールド見ながらお酒飲んでさ。
楽しーよー。幸せだよー。
このくらい悪タレついたって許されるじゃろう。散々我慢したからのぅ。
けけけ(笑)
by毒親育ちmochi
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