アスベスト

毒親育ちで希少がん患者、という私

ブログに自分の「負」の部分、 「毒親育ちで希少がん患者」というリアルを綴る事。 うーん、まぁきっかけはデジタル遺産として子供に遺したい・遺す家族への毒親の説明書、であった。 でも綴っているうちに、これに解毒効果がある事に気がついた。SNSの海へ「毒」を投げ捨てる感じ? 時系列で書いている時にね、あの話もこの話も…、なんて「親にされて悲しかった、悔しかった事」が次々浮か浮かぶけど「公開ボタン」をポチ […]

生い立ちを告げる事が幸せに繋がらないリアル

生い立ちを、病気を、告げる事 これは絶縁により「私の環境」は改善されたが、それを伝える事は、私の幸せに直結するする訳ではないというお話。 毒親との絶縁を決意し実行できたのは、やはり「希少がん」に罹患し今後も「完治しない」とわかって考え方がすっかり変わったからだとは思う。 でもちょっと遡り、パンドラの箱の中身が開いた、あの日がなれけば、もしかしたらほそぼそ付き合っていたかもしれない、 がんの進行が早 […]

2020年は毒親との関係を俯瞰でみた年だ

2020年もあと少しで終わりますね 新年がやってきますね。 今年は初めてブログを開設した年でありました。ご覧くださり本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。 昨年末、ふと突然に「悪性腹膜中皮腫」という「アスベスト暴露」による「希少がん」患者である私を、ようやく飲み込めた『実感』がやってきたのが開設のきっかけだった。 毒親である母に、癌患者それも希少がんであり、長期生存が難しいであろ […]

病と共に生きる、そう決めた。

つらつらと 自分の気持ちを綴り始めて、約2ヶ月がたった。 あの時は、世界が「同じ敵」に向かわなくてはならない程、大きく変化するとは思いもしなかった。 毒親と絶縁してから丸3年。 どういうわけか、2019年の冬、気持ちに大きな変化が起きた。理由はさっぱりわからないけれど。 スッと、自分が悪性腹膜中皮腫という「がん」だ、と言う事実。 家族と絶縁している事実。 複雑性PTSDで治療中である事実。 無理を […]

アスベストと中皮腫と抗がん剤の種類

私は悪性腹膜中皮腫という希少がん に罹患し手術をした。追加治療の抗がん剤治療は行わず、経過観察を選択した。初期は週一回、それが月一CT、半年に一度PET検査 一年ほど前からCTはその日に結果がわかるようになり、1回の通院で終わるので助かるが、それまで検査日と診察日が別で2回通院が必要だった。 CTもPETも、私が通院している病院は、がん拠点病院なので、ぶっちゃけちゃえば皆「がん患者」、だが検査待合 […]

毒親とアスベスト、私の心身を浸していく「毒」

悪性腹膜中皮腫、希少がん、アスベスト(石綿)、がん拠点病院、 全てのワードが自分には関係のない言葉だと、たかを括っていた。 仕事が忙しすぎて新婚旅行前に血尿が出て十二指腸潰瘍になったこと、出産前に子どもの心拍が確認できず1週間入院し寝たきりで過ごしたこと、 それを除けば、健康診断で引っかかることもなく、生理痛が重いくらいしか、健康について不安を感じたことはなかった。(告知の日について、詳しくは↓か […]

デジタル遺産として子どもに遺したい

ブログ開設のきっかけは子どもと私の命 このブログを開設したきっかけは、 毒親と絶縁した 子ども②は「がん患者」である事を知らない 子ども①は「がん患者」であることしか知らない 私の死後、子ども①②と夫が毒親に傷つけらぬよう 起きた事を綴っておきたかった いつか子ども①②が成長した時、 過去、我が家に「大事(がん告知)」が起きていたのは、きっと覚えているだろう。いつか詳細を知りたくなる日がくるかもし […]

家から一歩も出られなくなった

そう家から一歩も出られなくなる がん拠点病院へ診察をお願いする運びとなって程なく、私は家から一歩の出ることができなくなってしまった。 リビングにあるパソコンに泣きながら向かい、ひたすら「中皮腫 腹膜中皮腫 余命 予後」等のワード検索をし続けた。情報が少なすぎて、論文まで読んでみた。 2012年当時、ブログを開設している中皮腫の方はさほど多くなく、開設していても更新されていない、もしくはご家族が代筆 […]

中皮腫の手術から現在にいたるまでざっと書いてみた

中皮腫の手術から現在まで 2012年 4月16日  総合病院でPET検査を受ける 初めてのPET検査。まず初めに検査薬を点滴する。腫瘍に目印をつける目的だそう。点滴後、個室へと案内される。可愛らしい壁紙とふかふかのリクライニングチェア。動かす部分に検査薬に含まれている糖が集まるので、音楽を聞くのはいいが、スマホや映像をみるのは禁止。1時間ほどそこで、検査薬が体内にめぐるのを待ち、検査をうけるのだ。 […]

おかしいなあと思った診察の順番

そう、前回書いたが、2012年4月12日 14時頃 診察予約表に記された日時。 なかなか呼ばれない診察の順番 産婦人科の待合室は、たくさんの母子や女性でいっぱいだった。 16時になっても呼ばれず、一度看護師さんに確認に行くと「うん、予約はちゃんと入っているから安心してね。まっててね」というので、今日は混んでるのかと思い椅子に戻る。 でも後から入ってくる人が先に呼ばれるし…、17時になった時点では、 […]

希少がん告知を受けるその瞬間まで

術後、退院まで順調に回復し、日程通りの退院となりました。 腹腔鏡手術は回復が早いとはいえ 内臓を切る経験が初めてなので、 「痛みが少ないですよ」「回復も早くて楽ですよ」という意味がよくわからなかった(私の過去最高値は、出産と真横に生えた親知らずを抜いた痛み)。 よって私の比較対象は当てにならず…、 痛みはもちろんあるし、シャワー浴びるのも小鹿だし、怖くて傷口見れないし…、基本傷口は見ないように、院 […]

卵巣嚢腫の手術で終わりと思っていた

意を決した卵巣嚢腫の腹腔鏡手術 後に10時間超えの手術をするなんて知らないから、私的には人生の一大事で、清水の舞台くらいの決心で、d当時務めていた会社に事情を伝え、最短の手術日を予約した。 その時はまだ希少がんと告知される未来を知らないから、退院後2週間ほどでの職場復帰の予定を伝えていた。 そんな短期間で本当に復帰できるのぉぉぉ?と思いつつ、私の入院中の子どもの習い事や宿題の予定が気になった。 母 […]

病編はじめます

悪性腹膜中皮腫の発見に至るまで 経過について綴っていきたいと思います。 全ては7年前、母の鼻血から始まった 2012年2月頃 足の付け根上部が、擦れてヒリヒリするなあ…と思った事だった。部位を見ても特に赤くなっているわけではない、でも北風にあたってかさかさになった子供の膝小僧のように、そこだけヒリヒリ感がある。 もともと偏頭痛が酷く、痛み止めが(バファリンやイブ)手放せなかったけど、まぁ生理痛の重 […]