毒母もまた母に愛されぬ娘だった
母と祖母との関係 よろしければ上記の『mochi家毒系譜』をご覧になられてから、お読み下さるとをわかりやすいかも知れませぬ。 ※母を含む四兄弟の呼称を、長男(松一)母(梅二)、次男(竹三)、次女(桃四)と表記する事があります※ ↓よろしければ関連記事もございます↓ 毒から毒へ負のバトン、毒母の兄弟。 因果応報、毒親は良い結果を生まない 母の実母(私の祖母)は猛毒の持ち主 デフォルトがしかめっ面で、 […]
by 毒親育ちmochi
母と祖母との関係 よろしければ上記の『mochi家毒系譜』をご覧になられてから、お読み下さるとをわかりやすいかも知れませぬ。 ※母を含む四兄弟の呼称を、長男(松一)母(梅二)、次男(竹三)、次女(桃四)と表記する事があります※ ↓よろしければ関連記事もございます↓ 毒から毒へ負のバトン、毒母の兄弟。 因果応報、毒親は良い結果を生まない 母の実母(私の祖母)は猛毒の持ち主 デフォルトがしかめっ面で、 […]
生い立ちを、病気を、告げる事 これは絶縁により「私の環境」は改善されたが、それを伝える事は、私の幸せに直結するする訳ではないというお話。 毒親との絶縁を決意し実行できたのは、やはり「希少がん」に罹患し今後も「完治しない」とわかって考え方がすっかり変わったからだとは思う。 でもちょっと遡り、パンドラの箱の中身が開いた、あの日がなれけば、もしかしたらほそぼそ付き合っていたかもしれない、 がんの進行が早 […]
改めて自己紹介と申しましょうか mochi絶縁年表 毒家族(毒父・毒母・毒兄・両親の親類全て)と絶縁を決めた経緯と絶縁後 mochi家毒系譜 私は母方の毒が強めな毒親育ちでして、系譜を図にしてみました。現在私は松一次女以外、縁が切れています(2022年3月3日まで)。 ざっとこんな感じでございます 父方に関しては全滅でして、あえて図解は必要ないかと…。 私だけでしたら、絶縁以前より父方親族とは誰と […]
昨日は成人の日でしたね。 新成人の皆様おめでとうございます。 予想していたのとは違うお式となり様々感情が交差したのではと想像いたします。でも「おめでとうございます」を心で叫び、ほっこりと梅を眺めておりました♪ 成人といえば、お酒が飲めるようになりますね。きっとね楽しみにされていた親御様も多いかと思います♡私のその一人でした(*´ 艸`) きっと自由と責任の範囲が広がる境が「成人」なのでしょうね。私 […]
さぁ、2021年がスタートしましたね。 年末年始を、毒親育ちがゆえ諸事情を抱えざるを得ない新年を迎えた方もいらしたかと思いますが、どうぞ疲れた時は、心身を大切になさってくださいね(涙)。 私は、年末年始に毒親からのアクションである「ポストイン」もなく、ほっと心穏やかに、新年を迎えることができました。 よろしければ毒親からのアクションの一つ、ポストインもご覧くださいませ⬇︎ 絶縁から半 […]
2020年もあと少しで終わりますね 新年がやってきますね。 今年は初めてブログを開設した年でありました。ご覧くださり本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。 昨年末、ふと突然に「悪性腹膜中皮腫」という「アスベスト暴露」による「希少がん」患者である私を、ようやく飲み込めた『実感』がやってきたのが開設のきっかけだった。 毒親である母に、癌患者それも希少がんであり、長期生存が難しいであろ […]
私は過去毒兄に 肉体的性的暴力を受けた被害者である。しかしながら、記憶は私の脳内で頑丈にロックをかけ奥深くにひっそりと隠すように置かれていたのだ。 そう、私自身その記憶が全くないと疑わない程、慎重かつ丁寧に仕舞われていた嫌悪の塊でしかない記憶。(家族が元通りになるのは不可能な毒) 兄の暴力については記憶があった。包丁を向けられ、首を絞められ、殴られた「死を感じる恐怖」。 だが性的暴力についていは一 […]
毒親に関して一つの区切りがついた、 私の心がそう感じたのは、下の子が18歳となる2020年12月そう今月の話。 正々堂々、毒親から心が解放される予感♯壱 正々堂々、毒親から心が解放される予感♯弐 人生の問題で考えるなら約半世紀、子育てならば20年ちょい、癌患者としてなら8年ちょい、絶縁してからなら4年強、長いのか短いのかは、まだよくわからない。 だけど、人生の「私の役目」の大きな大きな役をやり終え […]
機能不全家族に生まれ育つというリアル 機能不全家族という言葉も毒親という言葉も知らなかった子供時代。それでも私は小学生の頃には親に対し理不尽を感じ、怒りを胸に溜め、日々母の感情の爆発に怯え生きていた。 叱られる基準が「毒親の感情まかせ」という事に気づき始めていた。そしてゲンコツという当時の「しつけの範囲」では済まない暴力だという事も。 母は私の事を「癇癪持ち」で 「堪え性がない」子供と表現した。 […]
私は毒親育ちで癌患者で複雑性PTSDでもある 2012年春以降の私は、通院が生活の一部となり現在に至る。 希少がんである「悪性腹膜中皮腫」に関しては、治療ではなく横隔膜に残る腫瘍のサイズ確認のため通院。 初めは夜寝られないと主治医に話したところ、希少がんに罹患した事による「不安」「睡眠障害」では?と。そうだなと感じ心療内科に通院していた。 元々母に不信感と理不尽を感じ、 不満と怒りを胸に思春期を乗 […]
母の実母は毒母、それもかなり猛毒な、 私の母親は紛れもなく「毒親」であり「毒母」である。 この結論に至るまで、私は人生のほとんどを費やしたから、答えに迷いも罪悪感もなく、澄み切った心で「間違いなく毒親だ」と言い切れる。 父と母と兄を「毒父・毒母・毒兄」だと、 私自身が認めるまでには、相当の葛藤と苦しみがあった。だって「親」なんだもん。生きるためのノウハウを教わる最初の「先生」よ? 間違っているのは […]
いとこと私は似た気質の毒家族で育った いとこと話をしていた。 毒母が唯一今も付き合いのある親戚(松一長女)、そして私が唯一付き合いのあるいとこ(松一次女)。この二人は毒母の実兄(松一)の長女と次女だ。 ※母は四兄弟に関して綴る時、長男(松一)母(梅二)、次男(竹三)、次女(桃四)と表記する事があります※ もしよろしければ過去の関連投稿↓もご覧くださいませ。 因果応報、毒親は良い結果を生まない 毒か […]
家族間に緊張の走る毒家庭 私は機能不全家族に育ち、家族間には常に「毒親が発火」するのではという緊張が漂い、叩かれないよう、延々叱られる時間が始まらないよう、血が滲むほど殴られないようにと、不安と不満を心に押込め、場を和ませるピエロ役を買って出ていた。 私の役割は、 母を褒めて機嫌を保つ 進んで家事を手伝い母の機嫌を保つ 頑張って習い後の練習をし母の機嫌を保つ 父と母が喧嘩しそうになると間に入りなだ […]
私は機能不全家族に育ち、 一般的な常識とされる知識を毒親から教わり育った。 毒親育ちの方ならお分かりだろうが、毒親なのだ、知識には偏りがあり矛盾が生じ、矛盾を素朴な疑問として問いかけても、「世間とはそういうものだ」という、なんだかよくわからない回答で納得させられ、「これ以上聞くなよ」オーラで会話が終了してしまう。 したがって、いろいろ勘違い(知識の偏りという意味で)をしたまま育ってしまい、大きくな […]
100投稿、区切りがよかったのだと思います。 【毒親育ち|楽していこう】(当ブログ)で、 約50年という私の人生を綴ってきました。 何度自分に問いかけても、 やはり答えは一緒でした。 毒親から絶縁する起爆剤が悪性腹膜中皮腫(希少がん)宣告後の私をとりまく肉親とのやりとで、感じた絶対的な理不尽さでした。 だからこそ絶縁へと歩を進めることができました、ですがそれには痛みが伴い、複雑性PTSDの治療とい […]
自分が生きている「今」が 来年も等しくやってくると「病気を疑わず」生きていられたのは、がん告知を受けた日までだった。 人生とはきっと、そういうもで、いつだって前触れもなく、まさかは「突然」にやってくる。 知っていたけれど、こんなに思ったより早くやってくるとは、思ってもみなかった。(よろしければ、こちらもご覧ください↓) 毒親とアスベスト、私の心身を浸していく「毒」 あの日以降の私は、死ぬ気になって […]
悪性腹膜中皮腫と言われてから 心は常にまな板の上の鯉のようだった。 はじめはアスベストという物質がこの世にあること、危険を知っていながら使用していたことに怒りを覚えた。 その次に襲ってきたのは「絶望」。 次は、自分の家庭環境に、毒母に、毒父に、毒兄に、怒りを覚えた。 生きる「望み」を持たなければ楽になる、そう思った。 バセドウ病・膠原病の友がいる。彼女は残りの人生おまけみたいなもの、と笑う。 そう […]
そう家から一歩も出られなくなる がん拠点病院へ診察をお願いする運びとなって程なく、私は家から一歩の出ることができなくなってしまった。 リビングにあるパソコンに泣きながら向かい、ひたすら「中皮腫 腹膜中皮腫 余命 予後」等のワード検索をし続けた。情報が少なすぎて、論文まで読んでみた。 2012年当時、ブログを開設している中皮腫の方はさほど多くなく、開設していても更新されていない、もしくはご家族が代筆 […]
中皮腫の手術から現在まで 2012年 4月16日 総合病院でPET検査を受ける 初めてのPET検査。まず初めに検査薬を点滴する。腫瘍に目印をつける目的だそう。点滴後、個室へと案内される。可愛らしい壁紙とふかふかのリクライニングチェア。動かす部分に検査薬に含まれている糖が集まるので、音楽を聞くのはいいが、スマホや映像をみるのは禁止。1時間ほどそこで、検査薬が体内にめぐるのを待ち、検査をうけるのだ。 […]
そう、前回書いたが、2012年4月12日 14時頃 診察予約表に記された日時。 なかなか呼ばれない診察の順番 産婦人科の待合室は、たくさんの母子や女性でいっぱいだった。 16時になっても呼ばれず、一度看護師さんに確認に行くと「うん、予約はちゃんと入っているから安心してね。まっててね」というので、今日は混んでるのかと思い椅子に戻る。 でも後から入ってくる人が先に呼ばれるし…、17時になった時点では、 […]