正々堂々、毒親から心が解放される予感

私は毒親育ちで癌患者で複雑性PTSDでもある 2012年春以降の私は、通院が生活の一部となり現在に至る。 希少がんである「悪性腹膜中皮腫」に関しては、治療ではなく横隔膜に残る腫瘍のサイズ確認のため通院。 初めは夜寝られないと主治医に話したところ、希少がんに罹患した事による「不安」「睡眠障害」では?と。そうだなと感じ心療内科に通院していた。 元々母に不信感と理不尽を感じ、 不満と怒りを胸に思春期を乗 […]

口火はいつだって母、毒母が苛立たなければ争いは起きない

毒母が苛立たなければ争いは起きない お盆がやってきますね、日の並びによっては少ししかないお盆休み。 実家は関東、七月がお盆なのでお坊さんは七月に来ていました。そして家族で巡る恒例のお墓参りも七月、なので迎え火と送り火は本来は七月なのだ。 で・も・ね、お察しの通り八月も行くんです、お墓へ。あ、ちなみに私はお墓参りが苦手です。お盆の最中大渋滞の中、海へ山へ行くだろう荷物を乗せた車に混じり、イライラして […]

毒親に洗脳されていた実感と異常さ

毒親に洗脳されていた実感 機能不全家族である父・母・兄と絶縁し3年目となる。 絶縁により毒親である両親を、いや母を、悲しませているだろう罪悪感に揺れ動きマックスきつかったのは正味2ヶ月。この山を超えたらつきものが落ちた感じになっていった。 この罪悪感こそが「洗脳」されていた状態、申し訳ないと「思うように洗脳されていた」のだ。 それを実感するのは、私が希少がん(悪性腹膜中皮腫)とがん告知された日、真 […]

あの人達は以前家族だった加害者

私は機能不全家庭に育った、 いわゆる毒親育ち。複雑性PTSDと診断され治療をはじめて2年が過ぎた。(よろしければこちらをどうぞ↓) 家族が元通りになるのは不可能な毒 日常生活でふと、天候や光景や言葉が発端となってフラッシュバックが起きる。抗不安薬を追加したほうが良い時と、すこし経てば大丈夫そう、その感じが掴めてきた。 振り返ればきっと癌と わかったあたりから心身は限界だったのだろう。けれどあの時は […]

毒親の罪、言い逃れさせないよ?

家族間の事件を耳にすると、 私はたやすく「密閉された家庭」であったのだろうと思ってしまう。 兄は私が物心ついた時から「長男」「跡継ぎ」「同居」「介護」私の耳にもタコができるほど、これらの言葉を浴び続け成長していった。 引越しをし、ますます家庭が閉鎖された空間へ変化をするのと呼応するかのように、兄は「怒り」を溜め、心を内へ内へ向かわせていった。(よろしければこちらもどうぞ↓) 母の毒っぷりの加速と、 […]

家族が元通りになるのは不可能な毒

毒親を「理解」はするが「許す」事は無理。 この決意はちょっとやそっとでは翻らない。 なぜか? 家族間で解決できるような問題ではないから。 過去の私は、毒父に拳で殴られた。毒母に物や手で叩かれた。毒親に感情で叱られ、感情で責められ、感情で許される日々。全てが毒母と毒父の「気持ち」次第。 母の記憶が多いのは、 それだけ父が家にいなかったのもあるが、やはり母と娘は一体化しやすく、依存関係になっていたから […]

心療内科に実際に持参したメモ記載

私は以前より、別の心療内科に通っていた。 それは、悪性腹膜中皮腫の手術をし退院後から、横隔膜の悪性腫瘍、セカンドオピニオン、抗がん剤の種類、子どもをひっくるめ、将来の事、これらを考えていると眠れない夜が度々あった。 腫瘍内科の先生が、睡眠導入剤を処方してくれた。我慢せず薬の力で「脳を休めるため」に睡眠をとりなさい、と。 夜、睡眠導入剤を飲んで「寝る」ことが可能になっただけで、心も体調も回復が早く、 […]

毒親との決別は、苦渋の決断だ

絶縁宣言から一年経った春の頃 夫の務める会社の代表番号に伝言を3回残した両親。4度目の電話に夫が出た。(絶縁から電話に至るまで、詳しくはこちらからどうぞ↓) 絶縁から半年後、毒母の手紙がポストにインしてた 前置きになるが 絶縁をした「傘寿春の乱」の後、母と2度接触があったことを心療内科の先生に伝えた。(傘寿春の乱、詳しくはこちらからどうぞ↓) 私から毒親を捨てた日 先生曰く、私は「複雑性PTSD」 […]

母の毒っぷりの加速と、解毒・解放へのはじめの一歩

母の毒っぷりの加速は「あの家」からだった 失敗だったと思う、引越し 私が10歳の頃、山間部の頂を開発した、新興住宅街に家を購入した。庭付き一戸建。(※中古住宅であることが後の結婚後の私への母の嫉妬に繋がることをちょとっこ覚えていてね※) 兄は中学生になっていた。学年のキリの良い新学期に、我が家は団地よりはるか田舎に居を構えた。 今思い返してもてもあれは失敗だったと思う。 街には、幼稚園〜中学は一校 […]