毒親育ちmochi

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中皮腫と複雑性PTSDになり学んだ事

約半世紀生きてきても、知らない事が多く 日々アップデートしておりますが、結局「知識」が大事、人は「知る」とこで、相手を思いやる「幅」が広がるのだと痛感する。 それは、もしかしたら、私の家庭環境が「まとも」だったら、当たり前に「気づく」事だったかもしれないし、 もしくは、子育ての途中で「がん」にならなければ、わからない気持ちだったかもしれない。 違う人生を生きる事は出来ないので、 比べることは出来な […]

がんと知り家族の未来を考えた先が「絶縁」だった

自分が生きている「今」が 来年も等しくやってくると「病気を疑わず」生きていられたのは、がん告知を受けた日までだった。 人生とはきっと、そういうもで、いつだって前触れもなく、まさかは「突然」にやってくる。 知っていたけれど、こんなに思ったより早くやってくるとは、思ってもみなかった。(よろしければ、こちらもご覧ください↓) 毒親とアスベスト、私の心身を浸していく「毒」 あの日以降の私は、死ぬ気になって […]

毒親と契約と学費と命、天秤で測れる?

悪性腹膜中皮腫と言われてから 心境は常にまな板の上の鯉のような感じだった。 はじめはアスベストという物質がこの世にあること、危険を知っていながら使用していたこと、そこに怒りを覚えた。 その次に襲ってきたのは「絶望」だった。 次に、自分の家庭環境に、毒母に、毒父に、毒兄に、怒りを覚えた。 生きる「望み」を持たなければ楽になる、そう思った。 友達がバセドウ病。彼女は言う、残りの人生おまけみたいなもの、 […]

夢か現か幻か、共依存の救いのなさ

共依存という救いのなさ 過去を振り返ると、そんな言葉がぴったりだ。 強烈な愛情と愛着、それを根こそぎ掘り起こすような怒号。 父の、母の、感情の揺れ幅に、怯え、ギュッと目を閉じ、手を握り締め、体を縮こめ、食い縛り、我慢した、怒られている私は「夢」であって「現(うつつ)」ではないと信じ込もうとしていた。 愛着こそが、私へ与えられる正しい評価であり、愛なのだと。(詳しくはこちらから↓) 一番古い怒られた […]

父不在の一年、たがが外れていく家庭

殺伐とした父不在の一年 会話などなく、父が単身赴任から戻ったのは数回だった。兄ともほぼ顔を合わせず、母と私の二人家族のようだった。 私への依存が強くなっていく 母は私と外出したがった。 おしゃれをし、ウインドウショッピングを楽しみ、素敵なレストランへ出向くのだ。店員さんとおしゃべりを楽しむ母、仲の良い親子と言われたい母。 楽しそうにはしゃぐけれど、それも束の間、何がきっかけで不機嫌になるのかわから […]

暗黒時代の真っ只中

思い返しても暗黒時代でしかない 曖昧で、薄ぼんやりとした、高学年から中学の記憶。 誰かがイライラしては、怒鳴る毎日 その空気感、「どす黒い感情」がそこかしこに転がる日常。もはや家族全員が常に戦闘態勢、「笑顔」「安心感」などは微塵もなく、 なのに夢のような未来を語る母 機嫌の良いときは、楽しそうに「未来の家族」について語るのだ。兄は有名大学にはいり、私は女子大か音大にいくのだ。 その頃には父も本社に […]

だんだん追い詰められる私の心

引っ越して追い詰められていく私 引越しをし、家族全員が新しい環境に慣れなく、各々のフィールドで頑張っていたのだ。 環境の変化に家族全員が四苦八苦 両親は、共に生まれ育った土地から遠く離れた団地で、乳幼児を育てることを余儀なくされ、少し慣れて人の輪が広がってきた時に、さらにそこを離れたのだ。 両親が二人で戸建て購入を決めたのだが、その選択は、結果、またもや知り合いのいない場所でゼロから作り上げること […]

母の毒っぷりの加速と、解毒、解放へのはじめの一歩

母の毒っぷりの加速はあの家 失敗だったと思う、引越し 私が10歳の頃、山間部の頂を開発した、新興住宅街に家を購入した。庭付き一戸建てだ。(※中古住宅であることが後の結婚後の私への母の嫉妬に繋がることをちょとっこ覚えていてね※) 兄は中1、私は小3だった。学年のキリの良い新学期に、我が家は団地よりはるか田舎に居を構えた。 今思い返してもてもあれは失敗だったと思う。 幼稚園から中学卒業まで、一校づつし […]

無償の愛とは一体何だろう

無償の愛について考える 団地に住んでいた頃 家は一階で、ベランダから庭に降りれる階段があり、団地内の広場へ行き来ができる造りになっていた。兄が幼稚園に通い始め、母にもママ友が出来、遊び友達もできた。 服編で述べた、双子コーデのお友達も兄の幼稚園を通じてお友達になったのだ。 双子コーデのお友達 彼女はクオーターで、大きな英国犬を飼い、映画のセットのような、花柄の壁紙、洋風の家具、洒落たティーカップ、 […]

一番古い怒られた記憶

一番古い記憶は暗くて狭いトイレ 多分、それは3歳頃だったと思う。 お箸の持ち方で怒られ、手を叩かれ、父に担がれ、電気の消えてるトイレに閉じ込められたこと。暗くて狭くて、怒られた原因のお箸を握っている私の記憶。 集合住宅に住んでいたので、玄関から一歩出ると微笑ましい家族に見えてただろうけれど、家の中では、いつ父が、いつ母が、怒りのスイッチが入って矛先が兄や私に向かうのか、その法則が分からなかった。 […]

デジタル遺産として子供に遺したい

きっかけは子供に遺したかった このブログを開設したきっかけについて書いておきますね。 いつか子供①②が成長し、 あの時母は何を感じていたのだろう?だったり、子供②には病気を伝えていないし、子供①にも詳しくは伝えていないから、知りたくなる日がくるかもしれない。 そんな日が来るかもしれないし、こないかもしれないけれど、詳細まで手紙に残しておくには、私の生存期間により「分量」も変わってくるので、そのため […]

娘が、がんと知った時、母は「私の老後がなくなったのね」と言った

娘が「がん」とわかり母は私の老後がなくなったのね そう、毒母は間違いなくそう言った。 ん?私が代わってあげたい、とか、私の心や体調を心配するより前に、母自身の老後の不安が真っ先に口に出る? くう、かなりの毒親っぷりで気が遠くなりそう…でもね、その時の私は「共依存」であり「洗脳状態」だったから、母の期待に答える事ができない自分が不甲斐なく、母に申し訳なく思った。 我が子である、子供①②と夫に対する申 […]

毒親編はじめます

毒親というパワーワード 毒親と聞くと、肉体的虐待、ネグレクト、事件で目にするようなことを思い浮かべるひともまだまだ多いのではないでしょうか。 こういった場合、「毒親」と呼んでも、納得してもらえる言葉だと思います。 しかし、そこまでの目に見える肉体的虐待を受けていない場合、両親を「毒親」と呼ぶのは気が引けるのも事実。パワーワードすぎるなぁと… 毒親と言い切ってしまうのは、罪悪感を感じるけれど、実際大 […]

その頃のファッション

母はなかなかのお洒落さんでした 当時のどかな田園のなかで、母はお洒落なママさんでした。 ミシンも得意で、よく洋服を作ってくれました。売ってないけど、こんなのが欲しい、とお願いすると、生地を一緒に選んで、好みの服をさくっと作ってくれました。 覚えているのは、キティちゃん柄のフレアスカート(広げると360度になる、くるくる回りたくなるやつ)! あと、家庭科で使うエプロン・三角巾・入れるバック、これをキ […]

物心ついたあたりを書いてみる

私はもともと、一つの物事に没頭しやすいタチであった。 大好きだったリカちゃん人形 たとえば、リカちゃん人形の洋服が何着か増えてくると、ハンガーが足りなくなる。針金をワイヤーで曲げ、お人形用のベビーカーに紐を通し、お人形さんが寝るスペースに、リカちゃんのお洋服を全部つるしマイクローゼットを自作し、洋服の種類別に並べて、眺めてニヤニヤしていた。 いずみちゃん(リカちゃんのお友達)の髪をセルフカットした […]

毒親育ちmochi、ブログはじめました

はじめまして、毒親育ちmochiと申します。 ブログはじめました。 ・毒親に絶縁宣言をし、解放され解毒にいたった経緯について ・機能不全家族産まれ、」長年の精神・肉体的虐待により、複雑性PTSDと診断され治療中 ・希少がんひとつ、悪性腹膜中皮腫(希少がん)患者でもあります これらを軸に、ブログに綴ってみたいと思っております。 不慣れで読みづらいかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします。 ま […]

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