毒親育ちmochi

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毒母自身が心を満たさずに誰が満たすのだ?

毒親育ちである私の毒が抜けた? それともと絶縁状態に慣れた?うーん 「私は毒親育ちです。だから親と絶縁しました」という事実を「隠さなければ」とか「私の人間性が疑われるかも」とか「かわいそうな人」と同情されるかも…という「私の中の世間様の目」を気にしなくなったのは2019年の冬頃だったと思う。 カウコンという幸せな年越し 私は2013年から年末はずっと東京ドームで年を越していた♪(どこへ向かう話?) […]

虐待と苦悩と緊張の走る毒家庭

家族間に緊張の走る毒家庭 私は機能不全家族に育ち、家族間には常に「毒親が発火」するのではという緊張が漂い、叩かれないよう、延々叱られる時間が始まらないよう、血が滲むほど殴られないようにと、不安と不満を心に押込め、場を和ませるピエロ役を買って出ていた。 私の役割は、 母を褒めて機嫌を保つ 進んで家事を手伝い母の機嫌を保つ 頑張って習い後の練習をし母の機嫌を保つ 父と母が喧嘩しそうになると間に入りなだ […]

いつだってキーマンは毒持ちなのだ

キーマンは毒持ち、これ本当 私の約半世紀の物語を綴ってきた。だがそれは「毒家族」との関係に葛藤してきた話でもある。(よろしければこちらを●) 毒親による独断と偏見に満ち溢れた「一般常識」を、「普通」と誤認しながら生き、恥ずかしい思いや、他者からの言葉に傷ついたり、傷つけたりしては、 どうしてうまく行かないのだろう、どうして理解してくれないのだろう?「どうして…どうして…」という私自身の心に翻弄され […]

毒親の盛りの良い恥ずかし話

私は機能不全家族に育ち、 一般的な常識とされる知識を毒親から教わり育った。 毒親育ちの方ならお分かりだろうが、毒親なのだ、知識には偏りがあり矛盾が生じ、矛盾を素朴な疑問として問いかけても、「世間とはそういうものだ」という、なんだかよくわからない回答で納得させられ、「これ以上聞くなよ」オーラで会話が終了してしまう。 したがって、いろいろ勘違い(知識の偏りという意味で)をしたまま育ってしまい、大きくな […]

街でみかけた母の背中

毒親である実家と我が家は極近 そう、私の住まいと毒親の住む家はめちゃくちゃ近所、よく言う「スープの冷めない距離」アッツアツのまま届けられる自信しかない近さ。実家から我が家が見える…近すぎる…全くもって…(よろしければご覧ください→■) 土曜日、買い物の帰り道、前を歩いている人が母だと気がついた。歩を止め、お母さんだ、と思いながら遠くなる背中を眺めていた。 以前の様に心が乱れることもなく、ただ「母だ […]

改めまして、毒親編はじめます

【毒親育ち|楽していこう】へ お立ち寄りくださり、誠にありがとうございます。 毒親と絶縁をし、父の誕生日、母の日、母の誕生日を3回スルーして、のんびりベランダで初夏を感じる、そんな贅沢を味わっておりました。 絶縁をしてしみじみ幸せを 感じるのは、好きな時に好きな事を好きな様にしていい、という「自由」がある事。 日常生活に、イライラ、ネチネチ、ぐちぐち、が無い素晴らしさ。 たったそれだけ? 毒親育ち […]

毒親と中皮腫(希少がん)について

100投稿、区切りがよかったのだと思います。 【毒親育ち|楽していこう】(当ブログ)で、 約50年という私の人生を綴ってきました。 何度自分に問いかけても、 やはり答えは一緒でした。 毒親から絶縁する起爆剤が悪性腹膜中皮腫(希少がん)宣告後の私をとりまく肉親とのやりとで、感じた絶対的な理不尽さでした。 だからこそ絶縁へと歩を進めることができました、ですがそれには痛みが伴い、複雑性PTSDの治療とい […]

自由を生きるための覚悟の解毒

世界は猛スピードで刻々と違う顔を見せていく 昨日と同じ「今日」が、明日もまたやってくるとは限らない。だからこそ、今を「今日」という時間を、丁寧にちゃんと過ごしたい。 家庭という場所を、 「密閉した空間」にしてはいけない。「安心し帰れる場所」にするべきなのだ。 毒親に「洗脳」され、目に見えない折の中に閉じ込められていた、私の本音。 絶縁し、1ヶ月ほどは、 「不安」「後悔」「罪悪感」が強く、何度も「謝 […]

毒親は自立を邪魔する杭を心に打つ

自立とは 「自分以外の助けを求めず、援助を受けず、自力で全てを行う事」 では実際、どういう事なのか? 生命誕生、ここに「自分の意思」は介在しない。やがて「自分の意思」で「生命を全うする」事を担う日がやってくる。 文章を眺めても、やはり「生きる」「意味」に「自分」は関わらず、 なんなら「勝手」に「世」に誕生「させられ」、ある年齢まで達したら「後は自力で生きろ」と 誕生「させた側」の「勝手な行為」によ […]

中皮腫と複雑性PTSDになり学んだ事

約半世紀生きてきても、知らない事が多く 日々アップデートしておりますが、結局「知識」が大事、人は「知る」とこで、相手を思いやる「幅」が広がるのだと痛感する。 それは、もしかしたら、私の家庭環境が「まとも」だったら、当たり前に「気づく」事だったかもしれないし、 もしくは、子育ての途中で「がん」にならなければ、わからない気持ちだったかもしれない。 違う人生を生きる事は出来ないので、 比べることは出来な […]

がんと知り家族の未来を考えた先が「絶縁」だった

自分が生きている「今」が 来年も等しくやってくると「病気を疑わず」生きていられたのは、がん告知を受けた日までだった。 人生とはきっと、そういうもで、いつだって前触れもなく、まさかは「突然」にやってくる。 知っていたけれど、こんなに思ったより早くやってくるとは、思ってもみなかった。(よろしければ、こちらもご覧ください↓) 毒親とアスベスト、私の心身を浸していく「毒」 あの日以降の私は、死ぬ気になって […]

絶縁から半年後、毒母の手紙がポストにインしてた

「絶縁」を叩きつけた後 次に襲って感情は「罪悪感」だった。 毒父、毒母、毒兄、の3人が、私の「トラウマ」について、傘寿で帰国した時に、話し合ったのか、 それ以前に、悪性腹膜中皮腫(あくせい ふくまく ちゅうひしゅ)という希少がんだということを、兄が知っているのかさえ私は知らない。 最後に兄と会話したのは、「トラウマ」の事実確認の時だから、10年ほど前?顔を合わせたのは…うーん、多分15年くらい前が […]

毒親と契約と学費と命、天秤で測れる?

悪性腹膜中皮腫と言われてから 心境は常にまな板の上の鯉のような感じだった。 はじめはアスベストという物質がこの世にあること、危険を知っていながら使用していたこと、そこに怒りを覚えた。 その次に襲ってきたのは「絶望」だった。 次に、自分の家庭環境に、毒母に、毒父に、毒兄に、怒りを覚えた。 生きる「望み」を持たなければ楽になる、そう思った。 友達がバセドウ病→膠原病へ。彼女は言う、残りの人生おまけみた […]

複雑性PTSDという病名

毒親の何が辛いか 言うことに一貫性がない、すぐ怒鳴る、喚く、殴る、泣き落とし、あげれば両手両足じゃ足りないほど出てくるが、 その中でも私が嫌だったのが、 自分が言ったこと、自分が行ったこと、これらを全てきれいさっぱり「覚えていない」、それどころか、 美しい親子愛にすり替えて 「え?私がそんな酷いこと言うわけないじゃない」「被害妄想が過ぎるわよ」と、別の物語を、あたかも事実ごとく心底本気で、語るのだ […]

パンドラの箱の中身が開いた、あの日

30代の私は、もうすっかり両親が「毒親」だと理解し、「毒になる親(スーザン・フォワード著)」を読み返し、冷静に、成人が成人に対してとる行動かどうか、これを指針に親を観察していた。 母が毒母になる法則がわかったてきた 例えば、御近所さんが立ち話している横を通ったら会話が止んだ(私の悪口を言ってたに違いない)、親戚の誰かが具合が悪い(お葬式になったら親戚と顔合わせるのが嫌だ)、漠然と不安感がある(母は […]

毒親と決別を決めた日

長い間、自己を否定され続けてきた私は 何をするにも心の物差しが全て「母」だった。普通の家庭に育った人には到底理解できないであろう。 アラフォーの、もう立派な大人が、服1枚選ぶのにさえ「母が気に入りそう」な服を探してしまうのだ。 なぜそうなるのか、答えは簡単、「母の物差し」からはみ出たものを身に纏っていると、必ず「あら、珍しいわね、でもその色あなたに似合わないわよ」と恐ろしく出来の良い精度で返ってく […]

母を父を、毒親と呼ぶ切なさ

好んで、父母を毒親と呼んでいるわけではないが 私の育った環境は、反撃できないと分かっている弱い子どもをターゲットにする悪質な「いじめ」が、家庭内で起きている状態だった。 暴力であろうが、暴言だろうが、無視だろうが、 自力で生きていかれない年齢の子どもに行うのは「虐待」以外の何物でもない過去。 「毒親」「毒父」「毒母」と私が呼ぶのか 幼かろうが、自尊心はある。 しかし「毒親」は子どもが自分の力で手に […]

それでもまた依存先へ戻ってしまう

共依存の状態は厄介なもので 一緒にいるのは窮屈なのだが、離れるのも不安になる。 本当の意味で「独り」で人生を立っていないから、 父母の言う「困った時」に、助けてくれなかったらどうしよう…そんな呪詛に本気で怯えていた。私は母と精神が一体化し、母と私で一人の人間のようになっていた。母から離れるのは精神的に不安で怖くて出来ないと、心底思っていた。 激しい怒りの言葉の暴力を受けてきた経験から 毒母が怒った […]

毒と怒りと悲しさと

毒母の罠にかかった愚かな私 「役に立たない娘」であることに「罪悪感」を感じ、より一層母に寄り添うようになってしまった。それ以外、自分の「罪悪感」を沈める方法が思いつかなかった、完全なる洗脳と共依存の関係。 二人目の子どもが生まれ、つかまり立ちをするかしないか、そんな頃、家を購入しようと夫と話し合っていた。 私たちは水辺のエリアや、公園の近く、そしてなにより無理のない範囲でのローンを組めるような場所 […]

自分の親が毒親、毒母と感じるまでには

圧倒的「理不尽」な教育をされてきたはず。 私はどうやって毒親だと気がついたのか 叱る基準がコロコロ変わる、親の予定を優先しないと、食事やお小遣いなどで締め付ける、毒親家庭で育った人には「あるある」なことだけど、程度の差こそあれ「理不尽」に変わりはない。 親の言う事を「気持ちよく聞く」けれど隠し切れない、子供の発する「嫌そうな態度」を敏感に感じ取り、親の言うこと聞いたにも関わらず、親に不機嫌になられ […]

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