毒親育ちmochi

4/4ページ

「役に立たない娘」という呪いの言葉

役に立たない娘 私はその言葉に呪いをかけれてしまった。 何も役に立たないという言葉の呪い 私の後の人生を苦しめ、母の掌から逃れられなくなった呪いの言葉。 結婚後は言葉の呪いに従い、実家の近くに住まねば母が悲しむと忖度し、近くに家を借りた。 罪悪感を持ち、役立たずな自分を「挽回」しようと、自ら勝手に母の「寂しさ」を察知した行動。 母の望む「実家の側に住むね」という言葉を先回りで用意し「母への優しい気 […]

ギブ&テイクのシーソー

母はギブ&テイクが必須だった 共依存に浸かりきった母と私。 理不尽な要求をされると今度は私が「癇癪」を起こすようになる。すると不思議なことに、母が私に「気を使う」ようになった。 物欲を巧みに操る母 大人しか来ない父方の親戚の集まり、アウェイで心細い母は、私を連れて参加したい。私は行きたくない。 すると物でつるようになったのだ。私の欲しがっている「洋服」「靴」「カバン」、どれも10代の子供が持つには […]

夢か現か幻か、共依存の救いのなさ

共依存という救いのなさ 過去を振り返ると、そんな言葉がぴったりだ。 強烈な愛情と愛着、それを根こそぎ掘り起こすような怒号。 父の、母の、感情の揺れ幅に、怯え、ギュッと目を閉じ、手を握り締め、体を縮こめ、食い縛り、我慢した怒られている私は「夢」であって「現(うつつ)」ではないと信じ込もうとしていた。 愛着こそが、私へ与えられる正しい評価であり、愛なのだと。(詳しくはこちらから↓) 一番古い怒られた記 […]

父不在の一年、たがが外れていく家庭

殺伐とした父不在の一年 父の転勤したのは兄が高校3年生、大学受験を控えた兄を転校させられず、父は一足先に引っ越した。 父が赴任先から帰宅したのは数回。 兄ともほぼ顔を合わせず、母と私の二人家族のようだった。 私への依存が強くなっていく母 母は私と外出したがった。 おしゃれをし、ウインドウショッピングを楽しみ、素敵なレストランへ出向くのだ。店員さんとおしゃべりを楽しむ母、仲の良い親子と言われたい母。 […]

服の話の続きを

母は食い道楽ならぬ、着道楽であった。とにかく服が大好きで、「本物」を追求する人であった。ヨーロッパの洋食器や陶器の人形を集めていた。 母が新婚旅行に着ていたスーツは、刺繍にビーズがあしらわれ、モノクロでも上質なものとわかった。 好きというだけあって 母の目は高く、選ぶものはどれも品があり、それでいて、はかなげな可愛らしさを持ち合わせている、なんとも乙女心をくすぐるものばかりだった。 母自慢の陶器の […]

暗黒時代の真っ只中

思い返しても暗黒時代でしかない 曖昧で、薄ぼんやりとした、小学校高学年〜中学の記憶。特に「あの家」での記憶全般。 誰かがイライラしては、怒鳴る毎日 家庭内の空気は「どす黒い感情」がそこかしこに転がる日常。もはや家族全員が常に戦闘態勢、「笑顔」「安心感」などは微塵もなく、 なのに夢のような未来を語る母 機嫌の良いときは、楽しそうに「未来の家族」について語るのだ。兄は有名大学にはいり、私は女子大か音大 […]

だんだん追い詰められる私の心

引っ越して追い詰められていく私 知り合いが1人もいない見知らぬ土地へ引越しをし、家族全員が新しい環境に慣れるべく、各々のフィールドで頑張っていた。 環境の変化に家族全員が四苦八苦 父母は、共に生まれ育った土地から遠く離れた団地で、乳幼児を育てることを余儀なくされ、少し慣れて人の輪が広がってきた時に、さらにそこを離れたのだ。 父母が二人で戸建て購入を決めたのだが、その選択は、またもや知り合いのいない […]

母の毒っぷりの加速と、解毒、解放へのはじめの一歩

母の毒っぷりの加速は「あの家」からだった 失敗だったと思う、引越し 私が10歳の頃、山間部の頂を開発した、新興住宅街に家を購入した。庭付き一戸建。(※中古住宅であることが後の結婚後の私への母の嫉妬に繋がることをちょとっこ覚えていてね※) 兄は中1、私は小3だった。学年のキリの良い新学期に、我が家は団地よりはるか田舎に居を構えた。 今思い返してもてもあれは失敗だったと思う。 街には、幼稚園〜中学は一 […]

無償の愛とは一体何だろう

無償の愛について考える 団地に住んでいた頃 家は一階で、ベランダから庭に降りれる階段があり、団地内の広場へ行き来ができる造りになっていた。兄が幼稚園に通い始め、母にもママ友が出来、遊び友達もできた。 服編で述べた、双子コーデのお友達も兄の幼稚園を通じてお友達になったのだ。 双子コーデのお友達 彼女はクオーターで、大きな英国犬を飼い、映画のセットのような、花柄の壁紙、洋風の家具、洒落たティーカップ、 […]

一番古い怒られた記憶

一番古い記憶は暗くて狭いトイレ 多分、あれは3歳頃だったと思う。 お箸の持ち方で怒られ、手を叩かれ、父に担がれ、電気の消えたトイレに閉じ込められた。暗くて狭くて、怒られた原因のお箸を握っている私の記憶。 集合住宅に住んでいたので、玄関から一歩出ると微笑ましい家族に見えてただろうけれど、家の中では、いつ父の、母の、怒りのスイッチが入って矛先が兄や私に向かうのか、その法則が分からなかった。 いつも何で […]

デジタル遺産として子どもに遺したい

ブログ開設きっかけは子ども このブログを開設したきっかけについて書いておきますね。 現在子ども②は私が「がん患者」である事を知りません。 いつか子ども①②が成長し、 あの時母は何を思い生きていのだろう?と思う日が来るかもしれない。子ども①には「がん」である事しか伝えておらず、治療の選択等の詳細は伝えていないから、知りたくなる日がくるかもしれない。その時に私が生きている保証は無い。 子ども①②に、父 […]

娘が、がんと知った時、母は「私の老後がなくなったのね」と言った

娘が「がん」とわかり母は私の老後がなくなったのね そう、毒母は間違いなくそう言った。 ん? 私が代わってあげたいとか、私の心や体調を心配するより前に、母自身の「老後の不安」が真っ先に口に出るの? くう、かなりの毒親っぷりで気が遠くなりそう… でもその時の私は「共依存」であり「洗脳」状態だったから、母の期待に添えない自分が不甲斐なく、母に申し訳なく思った。何なら私がいなくなった後の母の悲しみを先に想 […]

病編はじめます

悪性腹膜中皮腫の発見に至るまで 経過について綴っていきたいと思います。 全ては7年前、母の鼻血から始まった きっかけは、7年前(2012年)の2月の終わり頃 足の付け根上部が、擦れてヒリヒリするなあ…と思った事でした。見ても特に赤くなっているわけではないけれど、でも北風にあたってかさかさになった子供の膝小僧のように、そこだけヒリヒリ。 もともと偏頭痛が酷くて、頭痛と生理痛の時は痛み止め(バファリン […]

毒親編はじめます

毒親というパワーワード 毒親と聞くと、暴力ネグレクト等の肉体的虐待事件のような、ニュースで目にする事件関連を思い浮かべる人も、まだまだ多いのではないでしょうか。 ニュースになる事件の場合、親を「毒親」と呼んでも、納得してもらえる言葉だと思います。 しかし、目に見える肉体的虐待を受けていない場合、人に両親の事を「毒親」と呼び話すのは気が引ける自分がいるのも事実です。パワーワードかなぁと… 父母を毒親 […]

その頃のファッション

母はなかなかのお洒落さんでした 当時のどかな田園のなかで、母はお洒落なママさんでした。 ミシンも得意で、よく洋服を作ってくれました。売ってないけど、こんなのが欲しい、とお願いすると、生地を一緒に選んで、好みの服をさくっと作ってくれました。 覚えているのは、キティちゃん柄のフレアスカート(広げると360度になる、くるくる回りたくなるやつ)! あと、家庭科で使うエプロン・三角巾・入れるバック、これをキ […]

物心ついたあたりを書いてみる

私はもともと、一つの物事に没頭しやすいタチであった。 大好きだったリカちゃん人形 たとえば、リカちゃん人形の洋服が何着か増えてくると、ハンガーが足りなくなる。針金をワイヤーで曲げ、お人形用のベビーカーに紐を通し、お人形さんが寝るスペースに、リカちゃんのお洋服を全部つるしマイクローゼットを自作し、洋服の種類別に並べて、眺めてニヤニヤしていた。 いずみちゃん(リカちゃんのお友達)の髪をセルフカットした […]

毒親育ちmochi、ブログはじめました

はじめまして、毒親育ちmochiと申します。 ブログはじめました。 ・毒親に絶縁を宣言し、解放され解毒にいたるまで経緯 ・機能不全家族に産まれ、父母に長年の精神的肉体的虐待、兄による性暴力により、複雑性PTSDと診断され治療中 ・がん患者(悪性腹膜中皮腫・希少がん)患者でもあります これらを軸に、ブログに綴ってみたいと思っております。 不慣れで読みづらいかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたし […]

1 4